夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
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1995(平成7)年8月24日『ウィンドウズ95』が世界で同時発売された頃、私は・・。

2009-08-24 17:11:44 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であり、
殆ど毎日ネットの場合は、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】を見たりしている。

先程も【新おとな総研】を見たりしていたのであるが、
この中のひとつ【あの日あの時】の見出しのタイトルを読んで、思わず微苦笑したのである。

【 8月24日 ウィンドウズ95が世界で同時発売された。
    1995年(平成7年) 】

このような題名であったので、私は興味に惹(ひ)かれて読みだしたのである。
無断であるが、転載させて頂く。

《・・
ビル・ゲイツ率いる米マイクロソフトが世に送り出したパソコン用基本ソフト(OS)、
ウィンドウズ95(以下95)は、私たちの暮らしを激変させた。

それまで、コンピューターに詳しい人や仕事や研究でパソコンが欠かせない人を除いて、
パソコンは縁遠い機器だった。

95の1世代前のOS、ウィンドウズ3.1(93年5月発売)あたりから、使いやすくなったといわれていたが、
95は格段に使いやすく、処理速度が速いのも売りもの。
その前評判通り、95は爆発的な人気となり、社会現象にもなった。


マイクロソフトは、日本の一般ユーザー向けの試作版の購入を受け付けたところ申し込みが殺到、
当初予定の2倍の2万本に増やしたが、即「売り切れ」となってしまった。
日本語版の発売は遅れること3か月後の11月23日。

発売に先立ち、マイクロソフトの成毛真・社長(当時)は、日本語版95の売り上げ見込みを500万本と豪語した。

11月23日午前0時だった。
この日は勤労感謝の日で祝日ということもあり、家電量販店が集中する東京・秋葉原はお祭り騒ぎの様相を呈し、
販売店の前には長い行列ができ、めでたく95を手に入れた若者らの歓声が深夜の街に響き渡った。
その後、秋葉原は電気街から電脳タウンと言われるようになった。


予想以上のパソコン人口の広がりは、さまざまなビジネスチャンスを生み出した。
ゲームをはじめとするさまざまなソフトもそのひとつ。
年賀状のあて名が年を追うごとに手書きから年賀状ソフトへと変わっていった。

インターネットも、利用時間分だけ費用が発生する従量課金制からブロードバンドの普及に伴い定額制となり、
爆発的に利用価値が高まり、ネットビジネスは隆盛を極めている。


そして、パソコンに初めて触れる人たちが増えたことにより、
初心者を対象にしたパソコン雑誌も雨後のたけのこのように創刊され、
最盛期は100誌近くがひしめき、書店にはPC誌コーナーができた。

読売新聞社も96年10月、「37歳からのパソコン」と銘打って月刊誌「YOMIURI PC」を発刊した。
パソコンとはどういう機器で、どんな使い方が可能か、
さらに、キーボードの打ち方から始まり、エクセルやワードといったソフトの使い方、基本用語の解説など、
それこそかゆい所に手が届くような特集が組まれた。

また、当時の笑い話として話題になったのは、
パソコンメーカーのサポートセンターに寄せられるSOSの珍問答だった。
「あの、画面が暗いままなのですが」との問いに、
「お客さま、立ち上げていらっしゃいますか」
「いや、座ったまま操作しているのですが、立ってやらないとダメですか」。

こうした95パソコン草創期の悪戦苦闘は、つい15年ほど前のことに過ぎない。
あの当時、パソコンも、テレビやオーディオ機器と同じように、
購入して電源を入れたらすぐ利用できるような家電化が必要という論調も目立った。
インターネットの初期接続など至難の業だったと記憶している方もいるだろう。
それが瞬く間に身近なものになり、ネットの負の側面もあるものの、
欠かせぬ生活インフラの一部になった。
操作上のトラブルなどを教えてくれるパソコン通も増えたし、
ネットで調べれば解決する問題も多い。
子供たちは小学校から授業でキーボードに慣れ親しんでいる。

そうした背景がパソコン雑誌の需要を先細りにした。
雑誌の休刊が相次ぎ、「YOMIURI PC」も今年3月末、使命を終えたとして創刊以来12年余でその幕を閉じた。
時代の移り変わりの速さを感じざるを得ない。(神)

・・》
注)記事の原文をあえて改行を多くした。

http://otona.yomiuri.co.jp/history/20090824_01.htm?from=yoltop


この頃の私は、あるレコード会社の本社で、
ソフト(レコード、CD、ビデオテープ)販売店の請求・回収業務などの債権管理をして折、
レコード各社のあるグループの共同オンラインシステム、社内の独自システム一括処理、そして表計算のロータスを活用し、
業務に専念していた時であった。

パソコンで革命的な『ウィンドウズ95』が発売されるニュースを知った時、
果たして一般の個人の方たちは果たして使いこなしができるかしら、
と思ったりした程度であった。


私は東京オリンピックが開催された1964(昭和39)年の秋、
大学を中退し、アルバイトをしながら映画、文学青年の真似事をしたしていた。
その後、明日の見えない日々であったが、根拠のない自信ばかりで習作活動に励んでいたが、
30代を迎えた時を想像すると家庭を持ち妻子を養う自信がなく、
早々と断念して、コンピュータの専門学校のソフト系を一年間学んだ。

高卒、大卒、企業に入られた後に退社したり、或いは防衛大を卒業された方などに混じり、
私は科学計算向きのフォートラン、事務計算向きのコボル等のプログラムを実習したり、
汎用の小型コンピュータを稼動させて、テスト処理を行ったり、
或いはシステム概要、特に苦手な微分・積分などの授業を受けたりした。

私は映画の脚本とか小説などの創作者向きと思った文科系の身であったので、
人生やり直しと思い、苦手なコンピュータ分野であったが、
企業に中途入社する為に、何らかの技量が不可欠と思いながら、あえて学んだのである。


そして、ある大手の民間会社に何とか中途入社が出来たのは、1970(昭和45)年の春だった。
上司から現場を学べと指示されて、工場にある商品管理に勤務してまもない時、
音楽事業本部の中のひとつのレーベルが外資レコード会社として独立し、
私もこの外資レコード会社に異動させられた。
翌年の春、私は本社のコンピュータ担当者として指示を受けたが、
たったひとりであった。

この頃は、私が入社した音楽事業本部の方が完成されたシステムを運営されていたので、
このシステムを活用して、利用させて貰ったのである。
そして、本部の方から、共同管理のつもりでね、と暖かい支援を受けながら、
多々学びながら、業務に奮闘していた。

このシステムはバッチ(一括)処理で、私達は入力(伝票、指示入力データ)、
出力の各分野の管理表を決定させて、改定したりし、
この間のコンピュータのシステム開発、処理は外注させていた時代であった。

こうして数年が過ぎた時、
ミニ・コンピュータで機械言語に相当するアセンブラーのプログラムなどの研修をしたが、
悪戦苦闘をしたりした。

そして1980年の初めの頃、パソコンが市販されたので、
私も個人の自宅用にNECのPC8801、そしてフロッピー・ディスク、プリンター、漢字用のロムなどを購入したら、
この頃のボーナス分に近い金額を要し、住宅ローンの返済もあったので、
何かと苦渋したのであった。
肝要のパソコンの言語はベーシックだったと思うが、簡単ようで、中々手こずったのは本音であった。


この後まもない時、わが社だけで独自のシステムで全て管理し、管理コストを削減する目的に基づいて、
情報部門を設置してもらい、私達四名が奮闘しはじめたのが、1983(昭和58)年の秋であった。

入力(伝票、指示入力データ)、出力の各分野の管理表を決定させて、
コンピュータの基幹システム開発は外注のソフト会社に委託し、
枝葉などはコボルより使いやすい簡易なプログラムで作成したのであったが、
少し高度なプログラミングは、私も苦慮したりしたのである。

こうしてオフィス・コンピュータの中型を導入して、
テスト処理、本稼動に伴う運営、管理表の作成、システムの部分改定などをしたりすると、
日曜日だけは休むようにしたが、お互いに奮闘した時代であった。


この後、1992(平成4)年になると、あるレコード会社と合併することになり、
各分野のシステムを互いに調整した後、
わが社のソフト販売店の請求・回収業務などの債権管理をしている責任者が突然に退社したので、
私がこの業務に専念することになり、
私は20年近い情報畑から異動することになったのである。

私は不慣れな債権管理などの管理畑で悪戦苦闘をしたりした後、
他部門に異動したいなぁ、と思ったりしていた時、
『ウィンドウズ95』のニュースを知り、
果たして一般の個人の方たちは果たして使いこなしができるかしら、
と思ったりしたのであった。


その後、私は念願の他部門に異動し、この部門はバソコンの設置台数が少なかったので、
私は遅ればせながら『ウィンドウズ98』のノート・パソコンを個人的に購入して、
社内はもとより、自宅でも活用をしたのであった。

その後、1999(平成11)年の初めに出向先となり、
定年退職後に備え、自宅のパソコン『ウィンドウズXP』のディスクトップに一新させたのは、
退職時の3年前の2001(平成13)の晩秋であった。

多忙な勤務状況であったので、自宅に於いては個人的な電子メールの送受信などには余裕がなく、
殆ど個人的な資料を表計算を利用して作成したり、ソフト会社から販売されている日記に綴ったりしていた。

そして、退職時2004(平成16)年の数が月前に、インターネットを開設したのであるが、
ウェブ環境にただ驚き、ため息をつくことが多かったのである。
全くの初心者の身となり、ホームページの開設を思案したりしていた。

この後、退職後まもない時、本屋のあった一冊の本で、ブログの世界を知り、
私はブログ、ブログに準じたサイトなどに加入した。
そして、四つばかりのサイトに加入し、彷徨(さまよい)ながらも、
殆ど毎日投稿をしている。

この間、ネットを利用して、ニュース、旅行のことなどを検索して、
数多く学んでいるが、
ネットの買物、予約などは技量もさることながら、カード番号などの危険性を配慮して利用したことがない。

そして私は殆ど毎日ブログ、ブログに準じたサイトに数通投稿したり、
興味のあることを検索をしたり、4時間前後はバソコンに触れることが多い。


このように安穏とした日々であったが、肝要のパソコンが壊れ、
やむ得ず『ウィンドウズXP』のディスクトップの二代目として2006(平成18)年の初秋に購入し、
今日に至っているのである。

そして、まもなく『ウィンドウズ7』が販売されると聞いたりすると、
少しボケた私は、これ以上進化しても勘弁してほしい、と思ったりしている。

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