迂闊に人生を語り、昔の経験を口にすれば、「老害」と揶揄される昨今。
長々と諭してみたところで、相手の心に伝わるとは限りません。
貴重な時間が、無駄になってしまうこともしばしば。
ならば、先人が残した言葉や金言を用いることで、
あなたの真意や願いが、相手に伝わる良案となるかもしれませんね。
そんな時に役立つ言葉をご紹介いたしましょう。
第38回の座右の銘にしたい言葉は
「健全なる精神は健全なる身体に宿る(けんぜんなるせいしんは、けんぜんなるしんたいにやどる)」 です。
☆「健全なる精神は健全なる身体に宿る」の意味
「健全なる精神は健全なる身体に宿る」について、『⼩学館デジタル⼤辞泉』では、
「身体が健康であれば、おのずから精神も健全である。
詩の一部が、訳されて広まった言葉。
本来は『大欲を抱かず、健康な身体に、健全な精神が、宿るように望むべきだ』の意」とあります。
この言葉は、心と体の健康が密接に関係していることを示しており、
現代においても、その重要性は変わりません。
シニア世代にとって、健康と心の調和を保つことは、
豊かな老後を過ごすための鍵となります。
☆「健全なる精神は健全なる身体に宿る」の由来
この言葉の原文は、ラテン語で
「Mens sana in corpore sano(メンス・サーナ・イン・コルポレ・サーノ)」と表記されます。
この言葉は、古代ローマの詩人ユウェナリスの作品『風刺詩集』に登場します。
原文では「祈るべきは、健全な精神が、健全な身体にあることだ」という意味で、
人間の理想的な状態を表現しています。
しかし、「祈るべきは」という部分が、省略された形で流布し、
格言となったようです。
ですから、バランスがとれた肉体と精神が望ましいということで、
不健全な身体には、健全な精神は宿らない、という意味ではありません。
この考え方は、現代の「ウェルネス」や「マインドフルネス」にも通じるものがあります。
☆「健全なる精神は健全なる身体に宿る」を座右の銘としてスピーチするなら
まず、聴衆が理解しやすいように、
この言葉の意味や由来を、簡潔に説明することが大切です。
そして、自身の体験やエピソードを交えて話すことで、
聴衆にリアリティを感じてもらうことができます。
この言葉がどのように自分の人生に影響を与え、
実践しているのかを共有することで、参加者との共感を生むでしょう。
以下に「健全なる精神は健全なる身体に宿る」を取り入れたスピーチの例をあげます。
◆心と体の調和を意識したスピーチ例
本日は私の座右の銘についてお話しさせていただきます。
それは、「健全なる精神は、健全なる身体に宿る」という言葉です。
この言葉は、古代ローマの詩人ユウェナリスが残したものですが、
私の人生にも深く結びついています。
私たちは年齢を重ねるにつれ、健康への意識が高まります。
ただ、体だけを鍛えることが、健康に繋がるのではありません。
心の健康も同様に大切です。
私自身、趣味で始めたガーデニングを通じて、心の平穏を得ています。
土に触れ、植物が育つ姿を見ることで、
日々のストレスが軽減され、自然と心も穏やかになります。
また、毎晩感謝の気持ちを持つことを心掛けています。
その日一日を振り返り、小さな幸せを見つけることが、
心の健康に繋がると信じています。
「健全なる精神は、健全なる身体に宿る」という言葉は、
私にとって、心と体の調和を意識するための大切な教訓です。
ぜひ皆さんも、この考えを日常生活に取り入れて、
心豊かな人生を楽しんでいただきたいと思います。
☆最後に
「健全なる精神は、健全なる身体に宿る」という言葉は、
2000年以上の時を超えて、現代人の生き方に、示唆を与え続けています。
心と体のバランスを意識した生活は、
充実した人生を送るための重要な鍵となるでしょう。
この格言を座右の銘とすることで、
日々の生活に新たな視点と指針を得ることができます。
古代ローマの叡智を、現代の私たちの生活に活かしていきましょう。
●執筆/武田さゆり
国家資格キャリアコンサルタント。中学高校国語科教諭、学校図書館司書教諭。
現役教員の傍ら、子どもたちが自分らしく生きるためのキャリア教育推進活動を行う。
趣味はテニスと読書。
●構成/京都メディアライン ・・ 》
注)記事の原文に、あえて改行など多くした。
今回、国家資格キャリアコンサルタントの武田さゆりさんより、
《・・「健全なる精神は健全なる身体に宿る」意味、由来、スピーチの例まで、
懇切丁寧な解説文、遅ればせながら80歳の私は、学び、多々教示させられたりした・・。
何かしら大学の講座として、知性豊かな女性の講師より、
私は生徒のひとりとして、拝聴しているようであり、
思わず襟を正して、講義を受けているようであった。
もしも20年前に、定年退職後に多々り理由で年金生活を始めて、
この当時に私は、今回の講義を学んでいたら、少し人生観が、
変わっていただろう・・と思い馳せたりした・・。
あの当時の年金生活を始めた2004年の秋の当初は、
人生信条として、『清く貧しく美しく』と掲げたりしていた。
私は定年退職後に年金生活を始めたが、
1944年〈昭和19年)9月生まれであり、
満62歳にならないと年金は満額を頂けないので、
この間の2年間は満額の6割弱の片翼飛行のような、年金生活を過ごすことになった。
程々の貯金を崩しながら、つつましく退職後の生活を過ごす予定で、
私は秘かに退職時に人生信条を掲げた。
【・・定年退職後・・野に咲く花のように、と生活信条を掲げていますが、
身過ぎ世過ぎの年金生活ですので、
清く貧しく美しくが適度な目標です。・・】
このようなことを年金生活の初めての年賀状にも明記したりした。
野に咲く花のようにの発想の語源は、
古人の利休が、花は野にあるように、という銘言は私なりに知っていたが、
私は40歳の初めに、人生信条として『野に咲く花のように』と掲げて、
年賀状などで明記し、たびたび公言したりしている。
『清く貧しく美しく』の発想は、
松山善三さんの脚本・監督された『名もなく貧しく美しく』(1961年=昭和36年)、
そして宝塚歌劇団の『清く正しく美しく』から、
言葉を重ね合わせ、
何かしら年金生活に相応しいと確信して、明記したりした。
このような拙(つたな)い私は、今回の格調高い「健全なる精神は健全なる身体に宿る」、
見上げるような格言かしら、と微苦笑したりしている。
尚、今回の『サライ』は、教養雑誌であり、
私は現役サラリーマンの50代に於いて、愛読書として、
確か10年間前後、購読したりしていた。