夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

高峰秀子さんに関する数々の本、つたない私でも買い求めて、ときには涙を浮かべ・・。

2012-03-21 15:41:34 | 読書、小説・随筆
一週間前、駅前に買い物に行った時、本屋に立ち寄った。
これといった買い求める本が決まったわけでないので、単行本のコーナーを見たりした・・。
私は定年退職後も相変わらず読書が好きで、特に塩野七生、佐野真一、藤原正彦、嵐山光三郎、
曽野綾子の各氏の作品を中核に、単行本、新書本、文庫本を購読している。

しかしながら、この各氏の店頭に並んでいる本も読んできたので、
何かしら魅了される本はないかしら、探したりしていた。
まもなく作家・斎藤明美さんの著作『高峰秀子との仕事 1 ~初めての原稿依頼』(新潮社)、
『高峰秀子との仕事 2 ~忘れなれないインタビュー』(新潮社)を見かけて、
買い求めたりした。

私は確か8年前頃に、作家・斎藤明美さんの著作『高峰秀子の捨てられない荷物』(文春文庫)を読み、
感銘したりし、その後は松山善三、高峰秀子ご夫妻の養女になられたと知り、
今回の本もまぎれなく最適任者と感じ、購入したのであった。

ここ一週間は読書中の本があったので、本日の9時過ぎから、
『高峰秀子との仕事 1 ~初めての原稿依頼』を読みはじめた・・。

居間のソファーに座ったりして、作家・斎藤明美さんに導かれて亡き高峰秀子さんの心情に思い馳せたり、
庭に下り立ち、満開となっている白梅を眺めたりしていた。


私は高峰秀子さんが綴られた随筆は、
一昨年の2010〈平成22〉の年末に高峰秀子さんの死去が公表される前に、
大半は読んだりしてきたが、
昨年の12月初旬に、松山善三、高峰秀子ご夫妻の『旅は道づれアロハ・ハワイ』〈中公文庫〉を購読した。
そして同時に、久々に『芸術新潮』の12月号を買い求めた。
特集記事に《没後一周年特集》として、
《高峰秀子の旅と本棚》と題された記事を私は精読した。

この特集記事のひとつに、作家・斎藤明美さんが、
『まさに”食う”ように』と題された寄稿文があり、私は圧倒的に感銘を受けた寄稿文であった。

最終章の部分には、
高峰秀子さんは、ひたすら読書を重ねる根源は、
劣等感を克服するために、たえず本から学び、生きることだった、
とこのような意味合いの綴りを作家・斎藤明美さんが記載され、
私は読みながら、涙を浮かべた・・。

その後は、1月下旬に高峰秀子・松山善三・斎藤明美、共著による『高峰秀子 暮らしの流儀』(新潮社)を
購読したりしてきた。


私は高峰秀子さんに関しては、知人でもなく、敬愛を重ねてきたひとりであり、
たった一度だけ偶然にお逢いできたことがあった。

私が二十歳の時は、東京オリンピックの開催された1964〈昭和39〉年の秋の時であったが、
大学を中退し、映画の脚本家になりたくて、映画青年の真似事をしていた時期で、
オリンピックには眼中なく、京橋の近代美術館に通っていた。

戦前の邦画名作特集が放映されていたので、
数多くの戦前の昭和20年までの名作を観ることが出来た。

この中の作品の中で、山本嘉次郎・監督の『綴方教室』(1938年)、
そして『馬』(1941年)も観て、天才子役、少女と称せられた高峰秀子さんの存在を実感させられた。

私はこの当時の1964年に於いては、
少なくとも木下恵介・監督の『二十四の瞳』(1954年)、
成瀬巳喜男・監督の『浮雲』(1955年)、
木下恵介・監督の『喜びも悲しみも幾歳月』(1957年)、
松山善三・監督の『名もなく貧しく美しく』(1961年)等は当然のように鑑賞していた。

そして封切館で松山善三・監督の『われ一粒の麦なれど』(1964年)で観たばかりの年でもあった。

私は女優の高峰秀子さんの存在は、天上の女神のような存在であり、
『二十四の瞳』と『浮雲』がほぼ同時代に演じたこのお方には、ただ群を抜いた女優であった。

子役、少女、そして大人としての女優としての存在は、
私のつたない鑑賞歴に於いて、このお方以外は知らない。

その上、脚本家、ときには監督もされた松山善三さんには、
まぶしいようなあこがれの存在の人であり、秘かに敬意をしていた。


このような過ごしていた間、確か冬の日だったと記憶しているが、
私は成城学園の近くの砧にある東宝の撮影所で、
宣伝部の方と話し合っていた時、
たまたま高峰秀子さんがこちらに向かって来た時があった。

宣伝部の方が飛び出て、
『この青年・・大学を中退し、この世界に・・』
と話されていた・・。

『こんにちは・・でも・・もったいないわ・・大学をお辞(や)めになるなんて・・
でもねぇ・・大変ょ・・この世界は・・』
と高峰秀子さんは私に言った。

私はこの当時も大女優であった高峰秀子さんとは、
これが出会いであったが、これ以降はお逢いしたことがない。

この後の私は、映画青年の真似事、その後に文学青年の真似事もあえなく敗退し、
やむなく私は中小企業のサラリーマンに身を投じ、35年近く勤めて、
2004〈平成16〉年の秋に定年退職となり、その直後から年金生活を始めた身である。

この間、サラリーマンの現役時代のいつの日が忘れてしまったが、本屋の店頭で、
高峰秀子さんの随筆の本にめぐり逢い、数冊の随筆集を読みはじめ、これ以降は本屋で見かけるたびに、
購読してきた・・。

そして一昨年の年末に高峰秀子さんの死去を知り、私も落胆したひとりであり、
もとより天上の花のひとつとなった高峰秀子さんにお逢いできるひとがないので、
せめて私は高峰秀子さんが上梓された数多くの随筆を読んだり、再読したり、
或いは出演された名画を鑑賞したりして、愛惜を重ねたりしている。


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