私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の70歳の身であるが、
昨夜のひととき、愛読している総合ビジネス情報サイトの【ダイヤモンド・オンライン】を見ていた時、
【日本人が求めているのは「生活保守」「安全」。
安保法制が成立しても「戦争」などできるはずがない】
と見出しを見て、私はクリックし精読した。
そして私は安保法制に関して、この半年ぐらい新聞、テレビのニュースを見ながら、憂いを秘めてきて、
今回の論説は私の思いに近いことを的確に表現されていたので、私は微苦笑を重ねて、賛意したりした。
論説を書かれたは、作家の橘 玲(たちばな・あきら)さんで、この【ダイヤモンド・オンライン】に於いて、
『橘玲の日々刻々』連載中のひとつの記事であり、
原文は『週刊プレイボーイ』2015年9月7日発売号に掲載された寄稿文である。
そして【ダイヤモンド・オンライン】に2015年9月14日に配信されたものであり、
無断であるが、転載させて頂く。
《・・日本人が求めているのは「生活保守」「安全」。安保法制が成立しても「戦争」などできるはずがない
[橘玲の日々刻々]
戦後70周年の夏も大過なく終わり、その一方で安保法制をめぐる議論が熱を帯びてきました。
私の住んでいる街でも、週末には「平和を守れ!」「戦争反対!」のデモが行なわれています。
特定秘密保護法の審議でも反対派が国会を取り囲みましたが、
国民はほとんど関心を示さず、いまではそんな法律があることすら忘れています。
それに対して安保法制が政権を揺さぶるのは、
もともと憲法違反のものを諸事情によって合憲と強弁する筋の悪さとともに、
「戦争法案」への危機感が主婦を中心とする女性層を動かしたからでしょう。
ふだんは政治に興味を示さない女性誌も、
「読者の強い関心」から安保法制を特集するようになりました。
政治ゲームでは、敵に負のレッテルを貼るのは強力な武器になります。
民主党政権は「売国」のレッテルに苦しみましたが、
こんどは自民党政権が「戦争」のレッテルで同じことをされているだけで、
権力闘争とはそういうものです。
無益なレッテル貼りは社会のあつれきを増し政治の質を下げますが、
有権者の大半が面倒な議論を嫌い、わかりやすいレッテルを求める大衆民主政では
これはしかたのないことなのでしょう。
――米大統領選・共和党候補者指名争いでの富豪ドナルド・トランプの躍進を見れば、
同じことが世界じゅうで起きていることがわかります。
日本社会の保守化がいわれますが、ネトウヨ(注・ネット右翼)に影響されたのか、
安倍政権はそれを「愛国」と勘違いしたようです。
欧米も同じですが、政治的な大潮流は「生活保守」であって、
ひとびとが求めているのは「安全」なのです。
少子高齢化は子どもが減り高齢者が増えることですから、
高齢層の政治力が大きくなると同時に、
需要と供給の法則から希少な子どもの価値が上がります。
いまでは1人の子どもを両親と祖父母の6人で育てることも珍しくなくなりました。
そんな彼らは、自分の子どもや孫が「お国」のために生命を捧げるなどとは、
ぜったいに考えません。
かつて日本の首相は「人の命は地球より重い」といいましたが、
いまや「子どもの生命は国より重い」のは当たり前で、
だからこそ「戦争」や「徴兵制」の言葉に過敏に反応するのでしょう。
彼らにとって、子どもの安全を脅かす(ように見える)ものは、
すべて“絶対悪”なのです。
日本人の歴史観が奇妙なのは、「軍部や政治家が国民を戦争に引きずり込んだ」という話に、
いつのまにかなっていることです。
現代史をすこしでも勉強すれば、事実はまったく逆なことがわかります。
日清戦争で台湾と賠償金を手に入れて以来、
日本人は戦争で支配地域を増やすことが「得」だと思い込み、
利権を手放すことに、はげしく抵抗しました。
こうした国民のエゴイズムを一部の軍人や政治家が権力闘争に利用し、
「愛国」の名の下に国家を破滅へと引きずり込んでいったのです。
――国民が戦争を求めたからこそ、国は戦争をしたのです。
こうした歴史に学ぶなら、国民のエゴイズムがこれほど頑強に「戦争」に反対している以上、
どんな愛国的な政治家でも、戦争などできるわけはありません。
安保法制がどうなろうが、平和な時代はこれからもずっとつづくことでしょう。・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
私は高校生から歴史が好きで、特に近代史の書物を乱読してきた。
ここ20数年は、塩野七生、徳岡孝夫、櫻井よしこ、中西輝政などの各氏を読み、
根幹の私の思想は、塩野七生さんの真似事をすれば、現実的理想主義である、と思ったりしている。
私は昨年の2014年7月中旬、集団的自衛権がマスメディアで論議されていた当時、
私は集団的自衛権などは世界の主要国に於いては、
時の政府は国益に基づいて、軍事、経済などを外交を通じて国際間の政治が行われているので、
もとより自国の領有は維持し、行使する権利を保有する中で、
国民の生命の安全と財産を守る責務が実施されているのが現実となっている。
敗戦後の日本の安全は、占領下の時代はアメリカを中核とした連合国の傘下となり、
やがて独立したが、この後もアメリカと日本の国益に基づいて、
アメリカの防衛体制下で守られて、今日の平和があるので、
ともすれば国民の一部の方には、自国の防衛に薄らいだ風潮が見られる。
もとより平和を願うだけでは、平和は維持できないという歴史上から実態であり、
世界の主要国は、それぞれ軍事力を有して自国の防衛に歴然とした怜悧な現実がある。
そして日本は憲法の解釈により「集団的自衛権は保有はするが、行使はできない」という自らに禁じて、
世界の主要国から見れば、自国の防衛もままならない半人前の不思議な国と黙視されている。
昨今の安倍政権の奮戦は、遅ればせながら、その禁止を解こうという目的であり、
日本も世界の主要国に仲間入りをするだけである。
このようなことが解らない人は、平和ボケであり、国際間の怜悧な常識も欠落した人であり、
世界の主要国、特にロシア、中国などから冷笑されている、と私は憂いたりしてきた。
この後、私は安保保障の第一人者の小川和久さんの著作『日本人が知らない集団的自衛権』(文春新書)を読み、
改めて数多く教示されてきた。
そして国会議員の諸兄諸姉は、少なくともこの本を理解した上で、
真摯に与野党間で安全保障に関して審議してほしい、と念願したりしてきた。
安全保障関連法案の審議に関して、
過ぎし4月に、民主党は将来の集団的自衛権の行使容認に含みを残す党見解をまとめた後、
どのような状況なら容認するかの党内論議を回避し、園児のような言動で法案反対を唱え続けている。
その上 戦争法案、徴兵制の復活などとマスメディアを通して、国民の不安をあおるような言動をしている。
岡田代表は以前から良きブレない直球だけの論戦をされ、怜悧な国益を配慮した政治家のひとりであり、
確か10年以上前からは米艦防護を可能にすることに前向きであり、現実を解る人と好感してきたが、
突然の反対一辺倒になってしまったのか、私は不可解となってきた。
こうした岡田代表に、戦争法案、徴兵制の復活などとありえない悪知恵を授(さず)けたのは、
党内の平和ボケした一派か、或いは生活の野党を率いる小沢一郎さんかしら、と私は妄想をしたりしてきた。
改めて今回の安全保障関連法案は、集団的自衛権の行使の要件に関しては、もとより日本の存立が脅かされ、
国民の権利が根底から覆される明白な危険がある「存立危機事態」に厳しく限定し、
日本周辺有事における米軍艦船の防護などを想定したものである、と私は認識している。
今回の作家の橘 玲(たちばな・あきら)さんの安保法制に関しての論説、
このような私の思いに近いことを的確に表現されていたので、
そうですよねぇ、と私は微苦笑を重ねて、賛意したりした。
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昨夜のひととき、愛読している総合ビジネス情報サイトの【ダイヤモンド・オンライン】を見ていた時、
【日本人が求めているのは「生活保守」「安全」。
安保法制が成立しても「戦争」などできるはずがない】
と見出しを見て、私はクリックし精読した。
そして私は安保法制に関して、この半年ぐらい新聞、テレビのニュースを見ながら、憂いを秘めてきて、
今回の論説は私の思いに近いことを的確に表現されていたので、私は微苦笑を重ねて、賛意したりした。
論説を書かれたは、作家の橘 玲(たちばな・あきら)さんで、この【ダイヤモンド・オンライン】に於いて、
『橘玲の日々刻々』連載中のひとつの記事であり、
原文は『週刊プレイボーイ』2015年9月7日発売号に掲載された寄稿文である。
そして【ダイヤモンド・オンライン】に2015年9月14日に配信されたものであり、
無断であるが、転載させて頂く。
《・・日本人が求めているのは「生活保守」「安全」。安保法制が成立しても「戦争」などできるはずがない
[橘玲の日々刻々]
戦後70周年の夏も大過なく終わり、その一方で安保法制をめぐる議論が熱を帯びてきました。
私の住んでいる街でも、週末には「平和を守れ!」「戦争反対!」のデモが行なわれています。
特定秘密保護法の審議でも反対派が国会を取り囲みましたが、
国民はほとんど関心を示さず、いまではそんな法律があることすら忘れています。
それに対して安保法制が政権を揺さぶるのは、
もともと憲法違反のものを諸事情によって合憲と強弁する筋の悪さとともに、
「戦争法案」への危機感が主婦を中心とする女性層を動かしたからでしょう。
ふだんは政治に興味を示さない女性誌も、
「読者の強い関心」から安保法制を特集するようになりました。
政治ゲームでは、敵に負のレッテルを貼るのは強力な武器になります。
民主党政権は「売国」のレッテルに苦しみましたが、
こんどは自民党政権が「戦争」のレッテルで同じことをされているだけで、
権力闘争とはそういうものです。
無益なレッテル貼りは社会のあつれきを増し政治の質を下げますが、
有権者の大半が面倒な議論を嫌い、わかりやすいレッテルを求める大衆民主政では
これはしかたのないことなのでしょう。
――米大統領選・共和党候補者指名争いでの富豪ドナルド・トランプの躍進を見れば、
同じことが世界じゅうで起きていることがわかります。
日本社会の保守化がいわれますが、ネトウヨ(注・ネット右翼)に影響されたのか、
安倍政権はそれを「愛国」と勘違いしたようです。
欧米も同じですが、政治的な大潮流は「生活保守」であって、
ひとびとが求めているのは「安全」なのです。
少子高齢化は子どもが減り高齢者が増えることですから、
高齢層の政治力が大きくなると同時に、
需要と供給の法則から希少な子どもの価値が上がります。
いまでは1人の子どもを両親と祖父母の6人で育てることも珍しくなくなりました。
そんな彼らは、自分の子どもや孫が「お国」のために生命を捧げるなどとは、
ぜったいに考えません。
かつて日本の首相は「人の命は地球より重い」といいましたが、
いまや「子どもの生命は国より重い」のは当たり前で、
だからこそ「戦争」や「徴兵制」の言葉に過敏に反応するのでしょう。
彼らにとって、子どもの安全を脅かす(ように見える)ものは、
すべて“絶対悪”なのです。
日本人の歴史観が奇妙なのは、「軍部や政治家が国民を戦争に引きずり込んだ」という話に、
いつのまにかなっていることです。
現代史をすこしでも勉強すれば、事実はまったく逆なことがわかります。
日清戦争で台湾と賠償金を手に入れて以来、
日本人は戦争で支配地域を増やすことが「得」だと思い込み、
利権を手放すことに、はげしく抵抗しました。
こうした国民のエゴイズムを一部の軍人や政治家が権力闘争に利用し、
「愛国」の名の下に国家を破滅へと引きずり込んでいったのです。
――国民が戦争を求めたからこそ、国は戦争をしたのです。
こうした歴史に学ぶなら、国民のエゴイズムがこれほど頑強に「戦争」に反対している以上、
どんな愛国的な政治家でも、戦争などできるわけはありません。
安保法制がどうなろうが、平和な時代はこれからもずっとつづくことでしょう。・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
私は高校生から歴史が好きで、特に近代史の書物を乱読してきた。
ここ20数年は、塩野七生、徳岡孝夫、櫻井よしこ、中西輝政などの各氏を読み、
根幹の私の思想は、塩野七生さんの真似事をすれば、現実的理想主義である、と思ったりしている。
私は昨年の2014年7月中旬、集団的自衛権がマスメディアで論議されていた当時、
私は集団的自衛権などは世界の主要国に於いては、
時の政府は国益に基づいて、軍事、経済などを外交を通じて国際間の政治が行われているので、
もとより自国の領有は維持し、行使する権利を保有する中で、
国民の生命の安全と財産を守る責務が実施されているのが現実となっている。
敗戦後の日本の安全は、占領下の時代はアメリカを中核とした連合国の傘下となり、
やがて独立したが、この後もアメリカと日本の国益に基づいて、
アメリカの防衛体制下で守られて、今日の平和があるので、
ともすれば国民の一部の方には、自国の防衛に薄らいだ風潮が見られる。
もとより平和を願うだけでは、平和は維持できないという歴史上から実態であり、
世界の主要国は、それぞれ軍事力を有して自国の防衛に歴然とした怜悧な現実がある。
そして日本は憲法の解釈により「集団的自衛権は保有はするが、行使はできない」という自らに禁じて、
世界の主要国から見れば、自国の防衛もままならない半人前の不思議な国と黙視されている。
昨今の安倍政権の奮戦は、遅ればせながら、その禁止を解こうという目的であり、
日本も世界の主要国に仲間入りをするだけである。
このようなことが解らない人は、平和ボケであり、国際間の怜悧な常識も欠落した人であり、
世界の主要国、特にロシア、中国などから冷笑されている、と私は憂いたりしてきた。
この後、私は安保保障の第一人者の小川和久さんの著作『日本人が知らない集団的自衛権』(文春新書)を読み、
改めて数多く教示されてきた。
そして国会議員の諸兄諸姉は、少なくともこの本を理解した上で、
真摯に与野党間で安全保障に関して審議してほしい、と念願したりしてきた。
安全保障関連法案の審議に関して、
過ぎし4月に、民主党は将来の集団的自衛権の行使容認に含みを残す党見解をまとめた後、
どのような状況なら容認するかの党内論議を回避し、園児のような言動で法案反対を唱え続けている。
その上 戦争法案、徴兵制の復活などとマスメディアを通して、国民の不安をあおるような言動をしている。
岡田代表は以前から良きブレない直球だけの論戦をされ、怜悧な国益を配慮した政治家のひとりであり、
確か10年以上前からは米艦防護を可能にすることに前向きであり、現実を解る人と好感してきたが、
突然の反対一辺倒になってしまったのか、私は不可解となってきた。
こうした岡田代表に、戦争法案、徴兵制の復活などとありえない悪知恵を授(さず)けたのは、
党内の平和ボケした一派か、或いは生活の野党を率いる小沢一郎さんかしら、と私は妄想をしたりしてきた。
改めて今回の安全保障関連法案は、集団的自衛権の行使の要件に関しては、もとより日本の存立が脅かされ、
国民の権利が根底から覆される明白な危険がある「存立危機事態」に厳しく限定し、
日本周辺有事における米軍艦船の防護などを想定したものである、と私は認識している。
今回の作家の橘 玲(たちばな・あきら)さんの安保法制に関しての論説、
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