私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の高齢者の身であるが、
ここ数日、アメリカの国務長官がミュンマーに57年ぶりに訪問し、
民主化運動指導者のひとりのアウン・サン・スー・チーさんと公式会談がもたれることを知り、
国際政治にも疎(うと)く、無力な私でも注視してきた・・。
昨夜、NHKのニュースを視聴していた私は、
アメリカのクリントン国務長官とミュンマーの最大都市で、アウン・サン・スー・チーさんと公式会談を終えた後、
このお二人が固く抱擁する情景が映し出され、
私は長年にアウン・サン・スー・チーさんの闘争に思いを馳せると、
鈍感な私でも、思わず目頭が熱くなり、気が付くと涙を浮かべていた・・。
先ほど、ネットでこの写真が掲載されていたので、無断であるが転載させて頂く。
http://dailynews.yahoo.co.jp/photograph/pickup/?1322836314
☆【YAHOO! JAPAN】<==
《 自宅での会談後、クリントン米国務長官(左)と抱擁を交わす民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさん=2日、ミャンマー・ヤンゴン 》☆
私は読売新聞などを読み、ミャンマーは今年の2011年3月に軍事政権から民政へ移管し、
テイン・セイン大統領はスー・チーさんとの対話や一部政治犯の釈放などの改革を進めている状況を知った。
もとよりミャンマーは、長年の軍事政権時代に中国の影響力が圧倒的に強い時代が続いてきた。
軍事政権から民政へ移管した後、アメリカはミャンマーへの積極関与姿勢に転換したことは、
地域で影響力を伸ばす中国をけん制する意味合いもある、と私は読売新聞で学んできた。
私がミャンマーの民主化運動指導者として名高いアウン・サン・スー・チーさんの名を知ったのは、
おぼろげながら記憶をたどれば、
確かノーベル賞を受賞(1991年)される数年前、
この人の伝記のような単行本を買い求めて、学んだのが最初であった。
その後、ノーベル賞を受賞の直前、
ノーベル賞の委員会の決定に、自国の軍事政権が猛反発し、世界の世論が注視した。
幾たびかの時の政権から圧力され、自宅軟禁を繰り返してきた・・。
私はビルマ~ミャンマーまでの歴史概要を学び、
イギリスに翻弄されて後、自国の混沌とした政権、そして軍事独裁政権・・
たえず数多くの民衆は、あてどなく時の政権に翻弄、弾圧され続けてきている。
アウン・サン・スー・チーさんをみじかな言葉で表現すれば、
こうした中で、ひとりの女性が強い意志で、少なくとも言論、人権の自由の信条を掲げて、
長年に及び、闘争をしてきた。
国際の強国はもとより自国の国益に基づいて、軍事、経済、外交などて政治が行われいるが、
ミャンマー(旧・ビルマ)はイギリスの植民地時代、その後はアメリカとソ連の冷戦下、
そして中国に強国の熾烈な思惑に翻弄されてきた。
こうした私の思いもあり、私はこの一葉の写真に圧倒的に感動したのである。
今朝、配達された読売新聞を読んだりした・・。
たまたま読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】にも、
私が注視した記事が掲載され、無断ながら転載させて頂く。
《・・
【ヤンゴン(ミャンマー)=山口香子】
ミャンマーの民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさん(66)は2日、
ヤンゴンの自宅でクリントン米国務長官(64)と会談した後、
記者団に対し、「政府と野党、米国や世界の友人が協力して前に進めば、民主化への道が後退することはないと確信している」と述べた。
スー・チーさんは、ミャンマー民主化のためには、米国をはじめとする国際社会の協力が必須だと強調。
具体的には、政治犯問題や少数民族問題の解決に向けた法治主義の確立のほか、
全国的な教育制度や保健体制の整備に国際的な支援が必要だと述べた。
スー・チーさんは一方で、「中国との関係は重要だ」とも述べ、ミャンマーと中国の関係も重視する姿勢を示した。
(2011年12月2日21時06分 読売新聞)
・・》
私は読みながら、スー・チーさんは、《米国をはじめとする国際社会の協力が必須》としながらも、
《中国との関係は重要だ》の発言は、
もとより自国の国益に基づき、長年に及び強国に翻弄されてきた怜悧な発露した言葉である、
と無力な私でも受け止めたりしている。
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ここ数日、アメリカの国務長官がミュンマーに57年ぶりに訪問し、
民主化運動指導者のひとりのアウン・サン・スー・チーさんと公式会談がもたれることを知り、
国際政治にも疎(うと)く、無力な私でも注視してきた・・。
昨夜、NHKのニュースを視聴していた私は、
アメリカのクリントン国務長官とミュンマーの最大都市で、アウン・サン・スー・チーさんと公式会談を終えた後、
このお二人が固く抱擁する情景が映し出され、
私は長年にアウン・サン・スー・チーさんの闘争に思いを馳せると、
鈍感な私でも、思わず目頭が熱くなり、気が付くと涙を浮かべていた・・。
先ほど、ネットでこの写真が掲載されていたので、無断であるが転載させて頂く。
http://dailynews.yahoo.co.jp/photograph/pickup/?1322836314
☆【YAHOO! JAPAN】<==
《 自宅での会談後、クリントン米国務長官(左)と抱擁を交わす民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさん=2日、ミャンマー・ヤンゴン 》☆
私は読売新聞などを読み、ミャンマーは今年の2011年3月に軍事政権から民政へ移管し、
テイン・セイン大統領はスー・チーさんとの対話や一部政治犯の釈放などの改革を進めている状況を知った。
もとよりミャンマーは、長年の軍事政権時代に中国の影響力が圧倒的に強い時代が続いてきた。
軍事政権から民政へ移管した後、アメリカはミャンマーへの積極関与姿勢に転換したことは、
地域で影響力を伸ばす中国をけん制する意味合いもある、と私は読売新聞で学んできた。
私がミャンマーの民主化運動指導者として名高いアウン・サン・スー・チーさんの名を知ったのは、
おぼろげながら記憶をたどれば、
確かノーベル賞を受賞(1991年)される数年前、
この人の伝記のような単行本を買い求めて、学んだのが最初であった。
その後、ノーベル賞を受賞の直前、
ノーベル賞の委員会の決定に、自国の軍事政権が猛反発し、世界の世論が注視した。
幾たびかの時の政権から圧力され、自宅軟禁を繰り返してきた・・。
私はビルマ~ミャンマーまでの歴史概要を学び、
イギリスに翻弄されて後、自国の混沌とした政権、そして軍事独裁政権・・
たえず数多くの民衆は、あてどなく時の政権に翻弄、弾圧され続けてきている。
アウン・サン・スー・チーさんをみじかな言葉で表現すれば、
こうした中で、ひとりの女性が強い意志で、少なくとも言論、人権の自由の信条を掲げて、
長年に及び、闘争をしてきた。
国際の強国はもとより自国の国益に基づいて、軍事、経済、外交などて政治が行われいるが、
ミャンマー(旧・ビルマ)はイギリスの植民地時代、その後はアメリカとソ連の冷戦下、
そして中国に強国の熾烈な思惑に翻弄されてきた。
こうした私の思いもあり、私はこの一葉の写真に圧倒的に感動したのである。
今朝、配達された読売新聞を読んだりした・・。
たまたま読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】にも、
私が注視した記事が掲載され、無断ながら転載させて頂く。
《・・
【ヤンゴン(ミャンマー)=山口香子】
ミャンマーの民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさん(66)は2日、
ヤンゴンの自宅でクリントン米国務長官(64)と会談した後、
記者団に対し、「政府と野党、米国や世界の友人が協力して前に進めば、民主化への道が後退することはないと確信している」と述べた。
スー・チーさんは、ミャンマー民主化のためには、米国をはじめとする国際社会の協力が必須だと強調。
具体的には、政治犯問題や少数民族問題の解決に向けた法治主義の確立のほか、
全国的な教育制度や保健体制の整備に国際的な支援が必要だと述べた。
スー・チーさんは一方で、「中国との関係は重要だ」とも述べ、ミャンマーと中国の関係も重視する姿勢を示した。
(2011年12月2日21時06分 読売新聞)
・・》
私は読みながら、スー・チーさんは、《米国をはじめとする国際社会の協力が必須》としながらも、
《中国との関係は重要だ》の発言は、
もとより自国の国益に基づき、長年に及び強国に翻弄されてきた怜悧な発露した言葉である、
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