夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

夏の匂(にお)い・・♪   《初出2007.8.28.》

2008-05-30 12:15:20 | 食べ物、お酒
ときおり私は、自分が綴った文章を省(かえり)みたりする。
特に昨年の夏は・・一昨年の頃は何を思っていたのだろう、
と他愛ないことを振り返ったりする・・。

今朝は、今年の夏は7月には曇り、雨の日が多く、
8月になると平年以上の猛暑が多く、
スーパー、八百屋さんの店頭で並ぶ農作物が影響を見られているので、
昨年の夏は・・などど振り返りかえったのである。

一昨年の夏の終りに、私は西瓜(スイカ)のことを綴って折、
今年の夏を振り返ると、思わず苦笑したりしている。


スーパーで買物を済ませ、八百屋で野菜物を見ていたら、
西瓜があり、富良野産とシールが貼ってあった。

買物車にくくりつけた段ボールの中は、
野菜物を入れると溢(あふ)れそうになるので、迷ったのである。

結果としては、重い西瓜を片手に提(さ)げて、
片手に買物車を引っ張って、住宅街を抜けて歩いた。

サルスベリと称されている百日紅の淡い紅色の花を観たり、
宗旦木槿(ソウタン・ムクゲ)の底紅の純白の花びらを誉(ほ)めたりして、
暑い日中、アロハシャツも汗まみれとなりながら帰宅した。

夕暮れのひととき、家内と西瓜を食べながら、
『富良野の西瓜・・昔風の味だねぇ・・
最近は甘味が多すぎたものが多いが・・こうした味も俺は好きだなぁ・・』
と私は家内に言ったりした。

食べはじめていると、甘味が口いっぱいになり、
夢中で食べ終わると、口の周(まわ)りは西瓜特有の夏の匂いが漂(ただよ)った・・。

今年は6月の下旬より、茨城産、福島産、秋田産、北海道産を食べてきたが、
今日で西瓜は夏の香りを残して、最後と思われる。

家内は、夏の果物に関しては、メロンより西瓜が好きである。


このように一昨年の9月2日で綴っていたが、今年は天候が不順なので、
不作なのか高騰し、私が西瓜を提げてきたのは、
確(たし)か3回だったかしら、と家内と昨夕話したりしていた。



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『長崎の鐘』を聴くときには・・。  《初出2007.8.27.》

2008-05-30 12:12:48 | 音 楽
私は昭和19年9月に東京の郊外で生を受けた。

昭和25年の頃に、自宅のラジオから『長崎の鐘』がよく流れてきた・・。


♪こよなく晴れた 青空を
 悲しと思う せつなさよ
 うねりの波の 人の世に
 はかなく生きる 野の花よ

【『長崎の鐘』 作詞・サトウハチロー 】


私は5歳の幼児であったが、何かしら物悲しく感じたりした。


♪なぐさめ はげまし 長崎の
 ああ 長崎の鐘が鳴る


ここまで聴いていると、いじけた幼児の私でも涙があふれてきた・・。

翌年の夏、近くの寺院の境内で、映画が放映された。
この頃の時代は、学校の校庭とかで、スクリーンを張って、ときたま映画が放映されていた。
娯楽の乏しかった時代、ご近所の方達が集まって、
このような催しが行われた時代でもあった。

近くの寺院の境内で上映されたのは、映画の『長崎の鐘』であった。

母に連れられて、初めて観た映画だった。

帰路、満天の星空が綺麗だった、ということが今でも残っている。

映画のストリーは忘れてしまったけれど、幾つになっても、藤山一郎の歌声を聴くと、
私は涙ぐんだりしている。

私は後年になると、作詞はサトウハチロー、作曲方は古関祐而と知るのであったが、
肝心な『長崎の鐘』という原作を書かれた永井 隆は無知であった。

その後、このお方の人生経路を知り、涙で曇った。


♪召されて妻は 天国へ
 別れてひとり 旅立ちぬ
 かたみに残る ロザリオの
 鎖に白き わが涙


ここまで転記させて頂いているが、著者の永井 隆の人生を思い馳せると、
また瞼(まぶた)が熱くなってしまう。


国家の国益という怜悧の中、アメリカは広島に続き、
長崎にも原子爆弾を投下した。

思えば、7月26日に於いて、アメリカ、イギリス、ソビエトの首脳により、
『ポッタム宣言』で日本に降伏を勧告したが、
日本政府と軍の首脳部が混迷し、黙殺した結果となり、
8月6日に広島に続き、9日に長崎に投下された。

こうした事実を少しづつ知りはじめると、
なお一層、この歌は悲劇を通り過ぎて、悲惨な過去の実態にうっすらと涙を浮かべる。

私は年を重ねた62歳の身であるが、
ここ10数年、8月15日の敗戦日になると、
昼のひととき『長崎の鐘』を聴いて、平和の大切さをかみ締めている・・。


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ご年配のお方達に、敬意を・・!?  《初出2007.8.26.》

2008-05-30 12:09:20 | 時事【社会】
私は定年退職後の3年生の身であるが、
ここ10数年、新聞や雑誌などで死亡記事を読んだりしている。

或いは生者としての文化勲章、文化功労者、
そして受勲された人々の経歴なども読むこともある。

そして、そのお方の経歴、足跡を精読していると、大変な人生でしたね、
と思わず敬服しまうのである。

こうした方達の時代を思いを馳(は)せたりすることが多いが、
しばらくすると私は肝心なことを忘れていたことに気付くのである・・。

敗戦後の日本に於いて、荒廃しきった日本の各地域で、
無名な数多くの人々に寄って、たゆまぬ努力と創意工夫、英知により、
経済復興がしてきたのは、まぎれもない事実である。

今日の日本の豊かさが実感できない人は、海外旅行などで異国の地より、
我が祖国の日本の状況を観れば、歴然として理解して頂けると思っている。

私は若い頃から、歴史書、現代史、小説、随筆、映画などから教えられ、
或いは親族、知人の言動に接してきたが、
今日の日本の姿を思う時、10歳以上の男性、女性に敬意をし、
特に昭和一桁の人々に尊敬の念をいだいている・・。

そして私は、日頃からこうした無名のお方達には敬(うやま)い、
多くの人々から人生の知恵などを学んだりしている。

ブログの世界からでも、ご年配のサイトから、
人生の達人、とため息をしながら、教えを受けたりしている。


しかし日本のご年配の中で、一部の方であるが、
今後のいきがいの指針もなく、目の輝きを失(な)くされた人々には、
私は失望するのである。

更に困り果てるのは、公衆の場所に於いて、
羞恥心をなくした人々を見かけた時、
私はあなた方の世代から教えを受けた日本の美徳の心は・・
どうされたんですか、と問いかけたくなってしまうのである。

少なくとも日本人のひとりとして、さりげない美徳の心を受け継ぎ、
そして私達は子供達の世代に伝える責務があると、
と確信しているからである。

ご年配の一部の人であるが、残念ながらご婦人に多く、
こうした人の中にはご自分の娘さんと連れ立って、恥知らず言動に接したりすることもある。

ご婦人の60、70代の最大の魅力は、
若い世代の人に薄れてきている謙虚さと羞恥心を秘めたしぐさであり、
その上で良き明るさである。

こうしたことをお忘れなった人は、老害であり、
何よりお孫さんに当たる若い世代の人々に対し、
情操教育上よくないのである。

私は日常生活でスーパーで買物したり、
駅前の商店街などで、ときおり旅先で見かけたりして折、
私はため息をしながら憂(うれ)いているひとりである。


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我が家の鈴虫、こおろぎ、そして蝉(せみ)・・♪ 《初出2007.8.26.》

2008-05-30 12:06:54 | 小庭の情景を眺めながら
東京の郊外に住む我が家の小庭では、
鈴虫が鳴いて、蝉も負けじと盛んに鳴いて折、
夏の朝を迎える、

日中の暑い中は、蝉がワンマン・ショウのように鳴き響いている。
鈴虫の鳴き声が聴こえないのは、
日中は睡眠で夕方の6時過ぎに目覚めるのかしら、
と思ったりしている。

これと同時に、蝉は鳴き声が途絶えるので、
暑さの日中に鳴いていたので、
鳴き疲れてお休みの睡眠時間となったようである。

鈴虫は夜行型、蝉は日中型と理解は出来るが、
我が家のこおろぎは耳をすませないと聴きもらすのである。

夜のひととき、鈴虫の盛大な合唱の中、
少し遠慮しながら鳴いているのである。

可哀想なこうろぎであるが、やがて初秋になれば、
蝉が消え果るので、ライバルは鈴虫となる。

鈴虫も夏の間、盛大に鳴いてきたので、
疲れ果てて、少しはおとなしくなるかしら、と思ったりしている。


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ピアノの音が聴こえた頃・・♪    《初出2007.8.25.》

2008-05-30 11:17:06 | 音 楽
先程、庭先で樹木を眺めながら、煙草を喫っていると、
近所のお宅からピアノの音色が聴こえてきた・・。

女の子の弾くのは、バイエルの何番かしらと思っていた時、
東京オリンピックの少し前の時代が甦(よみがえ)ってきた・・。


あの頃は私は実家に居て大学生の身であり、
今もあるが程遠くない所に有数な音楽専門大学がある。

近所の家では、親戚の娘さんと云われた方が、下宿していた。

バイオリンの音色が、毎日ある一定の時刻から聴こえはじめて、数時間は続いていた。
練習をしているらしく、今日はスムーズに聴こえている、
と私なりに感じたりした。

まもなく卒業したらしく、音色は途絶えた・・。

数年後、新聞で日本の有数なバイオリニストになった、
と私は知った。


このころ実家の最寄に、音楽家の夫婦が引っ越されてきた。

ご主人は、日本のある交響楽団でオーボエを担当され、
奥様はピアニストである、と風の噂で聞こえたきた。

日中からピアノの音色が聴こえ、
私なりに何回も聴いているうちに、そのピアノ独奏曲を覚えてしまった。
私が10数曲覚えた頃、海外に行かれた、と後日知った。

私が23歳になると、このピアニストは日本の国内の有数なホールで、
ピアノ独奏会を開催するまでになった。

数年後、あるレコード会社でレコードを3枚録音し、
ご主人と離婚されて、少し遠方にある小高い丘陵に一軒屋で過ごされている、
と私は知った。

私は音楽が好きであり、ある程度のレコード、カセット、CD、DVDを所有しているが、
ときおりピアノの楽曲を聴いたりしている。

残念ながらこのピアニストの弾かれたものはなく、
この方が著名になる前、練習で聴こえてきた音色を懐かしく想いだしたりしている。


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私の神は、仏さまに代(か)わって・・♪   《初出2007.8.25.》

2008-05-30 11:15:16 | 定年後の思い
私は宗教に無関心であり、それぞれの神にすがったりしていない。

生家に於いては、仏教の曹洞宗であり、神棚もあるごく一般の家であるが、
私は自己形成には何の影響も特に受けていない。

私は日常に於いて神社、仏閣に接した時は、手を合わしている程度である。

私が毎朝、手を合わせ、自己の教訓とか心をいさしめているのがある。

居間にあるビデオテープ棚の上に、
ひとつの立替えた日めくり厚いカレンダーのような物を置いている。

トイレ用の日めくり『ひとりしずか』と題され、
みつ、とさりげなく署名されている。

10数年前、家内の両親と4人で伊香保温泉に滞在旅行をした時、
街の中のお土産屋さんで、偶然に目に留まり、買い求めた品である。

書家、詩人と知られていた相田みつを氏の作品のひとつである。

例えば本日の25日には、


そんかとくか

人間のものさし

うそかまことか

佛さまの

ものさし

       みつを


と明記されている。

私は年を重ねた62歳の身であるが、つたない心しか持ち合わせていないが、
ときおり独断と偏見で断定する悪い癖がある。

裏打ちされた国文学、比較文化などの専門学問を学んだこともなく、
単なる独学であるが、日常生活で発言したり、文書に綴ったりしている。

そして後で学んで知ったりした時、
下を向きながら赤面をしたりしている。

こうした時は、根拠のない自信ばかりの私は、
年を重ねていても、自己形成が今だ未達のかしら、と思ったりしている。



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ときには、ものぐるいとなり・・♪   《初出2007.8.25.》

2008-05-30 11:13:14 | 定年後の思い
私は定年退職後の3年生の身であり、趣味の本を読んだり、映画を観たり、
そして音楽を聴いたりしているのが多い。

本に関しては、小説、随筆、歴史書、現代史が圧倒的に多く5000冊程度、
映画の場合はVCT、DVDを専用棚に於いて1000本前後をときおり選択し、居間で観ている。
音楽についてはレコード、カセット、CD、DVDがやはり専用棚として3000枚ぐらい保管して折、
CDラジカセで聴いたりしていることが多い。

友人などに上げたりしてきたが、若き青年時代に映画青年、文学青年の真似事をした折、
倹約したり、一食を抜いて購入した本、レコード、そして映画を観たりしたので、
中々捨てきれないのである。

古ぼけた一軒屋でこのような中でつつまれていると、
誰しも同じような体験があると思われるが、
私は熱病のように無我夢中となったりする時があった。

一時的な3ケ月前後で終わることが多いが、
少なくとも1年以上続いたのを振り返った時、
私なりに微苦笑しているのである。

音楽の場合は、昭和46年にシャンソンの【バルバラ】、その後は【金子由香里】を盛んに聴いていた。
この頃はレコードであったので、擦り切れる程度の百回以上聴き惚れていた・・。

平成元年の頃には、【中島みゆき】を偶然に聴き、
平成9年の頃に【X JAPAN】をテレビで観て、
惚れ込んでしまった。

映画の場合は、脚本家として【橋本 忍】で東京オリンピックの頃であり、
映画監督の場合だと【デビット・リーン】、【セルジオ・レオーネ】に夢中になったりしていた。

本の場合は、小説分野は【立原正秋】には二十歳の頃、
随筆の場合は【山口 瞳】、紀行文は【宮脇俊三】を平成の初めの頃に知り始めた。

テレビの脚本は圧倒的に【倉本 聰】が多く、随筆も数多く精読している。

昨今は、【藤原正彦】、【塩野七生】の本が増えてきている。


私は単細胞の為か、ともかく惚れこんだら命がけの恋と同様に、
時を忘れ、寝る間をほしんで物狂いになるのである。

いずれにしても私のつたない感性で、
偶然に目に留まったり、聴いたりした人々の方達である。
そして、私なりの人生の心の宝物と思ったりしている。

尚、このように綴ると、私自身の思想、信条、そして日常の心情が解かるので、
発露をするのは少し危険かしら、と微苦笑しているのである。

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改めて、キャミソールよりブラウス・・♪   《初出2007.8.24.》

2008-05-30 11:10:23 | 時事【社会】
一昨日、駅前に出た時、数多くの女性とすれ違ったが、
様々に服を身に着けているので、暑さのためが幻惑させられたりした。
キャミソールとかタンクトップを身に着けているので、
目のやりばに困ったりしていた。

高校生の女学生が制服で歩いてきた。
白の袖襟付きのごく一般のブラウスであるが、颯爽と歩いて折、清々しさを感じたりした。
そして、私なりにちょつと可愛い子と思え、ときめきを感じたりしたのである。

キャミソールの場合は、下着のスリップを連想してしまい、
部屋着としてはよいが、外出先では、どうかしらと余計なことを思っている。

その点、ブラウスの場合は、内面からほのかな色気が感じ、ときめきを覚えることが多い。

大人の女性は、ご自分の女性としての魅力を大切にして欲しい、
と思っているのである。

年を重ねた62歳の私であるが、暑さのために少しボケてきたのかしら、
と思いながら、駅前の大きな樹木の下でたたずんでいた。

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『本日の主役は、僕なのですが・・』・・♪   《初出2007.8.24.》

2008-05-30 11:08:34 | 現役サラリーマン時代の想いで
私が結婚したのは、昭和51年の春だった・・。

結婚式の1週間前、
『やはり・・貴方・・羽織(はおり)、袴(はかま)にしなくては・・おかしいわよ・・』
と母は私に言った。

私はサラリーマンの5年生であり、和服を身に付けた少なく、
着慣れたスーツの代わりに、黒の礼服を着れば良いと思っていた。


結婚式の当日の朝、式場の着付け室で私と兄が着付けをして貰い、
3人の中年の女性が着付けをはじめてくれた。

兄がこの中のリーダー各と思われる人に寸志を手渡していた。
『お兄様・・良いお召し物で・・
やはりある程度以上のものですと・・』
とこの女性の方は、兄の衣装を誉(ほ)めちぎっていた・・。
兄は旧家であったので、日頃から着慣れて折、高価な紋付の羽織と袴を持っていたのである。

私の方は、借り物の《やや良い》の部類で、昔の通信簿だと『4』程度であった。

しばらくすると、兄の着付けに3人掛かりとなって、
私の方は誰もいなくなった。

『本日の・・主役・・僕なのですが・・』
と中年の女性達に聴こえる程度の小声で私は言った。

『あらぁ・・ご免なさい・・そうでしたわねぇ・・』
と2人の女性がきて、私の着付けをはじめた。

『主役の貴方・・スラっとしたお方ですので・・
タオルを当てましょうね・・』
とひとりの方が言った。

私はこの頃は、体重は56キロ程度で、身長は170センチであった。

その後、私のお腹周辺にタオルを2枚あてがって、着付けをしてくれた。

着付けが終わると、私を鏡の前に導いて、
『お似合いですわ・・』
とリーダー各らしい女性が言った。

私は不馴れな羽織、袴はそぐわなく落ち着きを失った上、
明(あき)らかに誉めたおされていると感じ、
『兄貴・・俺・・先に出て・・煙草を喫っているよ』
と私は兄に大きな声で言った。


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処暑の時節にふさわしく、朝涼となり・・♪   《初出2007.8.24.》

2008-05-30 11:06:43 | 小庭の情景を眺めながら
東京の郊外は、微風が吹く中で、
朝を迎えて折、清々しい空気につつまれている。

昨日は久々の1日の雨と予測されていたが、
朝の9時過ぎには止んで、薄日となり、昼下りには快晴となったが、
30度前後であり、風の吹く過ごしやすい1日であった。

夜のひととき、玄関庭に下り立つと、
夜風が吹いて折、この時節は古人から処暑(しょしょ)と称され、
改めて実感したりした。

旧暦に於いては、暑さが止むと云われているが、
新暦の今日では朝夕は涼しく感じられ、日中の残暑があるが、
過ぎ去った一時のピークを思い浮かべれば、
それなりにと受け止めることが出来る。

尚、私の住む街は、朝は24度で日中は快晴で34度前後の暑さとなるが、
8月初旬からの猛暑を振り返れば、笑って過ごせるのである。

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私が映画を観はじめた頃・・♪   《初出2007.8.23.》

2008-05-30 11:04:29 | 映画・テレビ
私は東京の郊外の調布市で、昭和19年に農家の三男として生を受けた。

祖父、父が女の子を期待していたらく、
私の数年後に妹が生まれたので、
幼児の私は何となくいじけた可愛いげのない子であった。

私のおぼろげな記憶をたどれば、
私が最初に映画を観たのは、小学校の入学前、『長崎の鐘』だった、
と思い返している・・。

この頃は、ラジオからこの主題歌が流れていて、
私の幼児なりに、物悲しさを感じ、涙を浮かべたりしていた。

近所のお寺の境内で、隅にスクリーンが張られ、
夜のひとときを上映してくれた。
私は母に連れられ、近所の方達と共に立ちすくんで観た。
この頃は娯楽が少なく、こうした映画を無料で観られるのは、
稀(まれ)であったので、盛会だったと記憶に残っている。

帰宅の途中、母に手を引かれて歩いていた時、
夜空の銀河の天の川が綺麗であり、
年を重ねた62歳の今の私でも、あのような満天の煌(きらめ)いた星空は一期一会であった。

これ以前に観た映像作品は、祖父が自宅で近所の人達を集めて、
幻灯機で『母をたずねて三千里』を観たのが、
幼児なりに記憶があった。

私が小学校の四年頃になると、
映画館にひとりで行き、東映の時代劇の3本立ちをたびたび通いはじめた・・。
『里見八犬伝』、『笛吹童子』、『紅孔雀』等であった。

母より100円を頂き、映画代が40円で、電車の往復で10円であり、
帰路の街の中華店でラーメンが35円だったのでたびたび食べたりした。
そして、映画館の売店で残りの15円で都こんぶ等を買えたりした。

この映画館は翌週になると大映映画を放映していたので、
予告編も上映されていた。

山本富士子、京 マチ子は大人の人すぎて興味がなかったが、
若尾文子、川上康子、八潮悠子を観たりすると、
都会の綺麗なお姉さんと感じたり、まばゆい文化にふれて、
子供心にため息をしたりした・・。

そして特に若尾文子には、色っぽい女の人、
と私の人生で最初にときめいた人である。

このような映画に熱中しはじめ、
やがて私は大学を中退し、映画青年の真似事まで一時的に過ごしたりした。


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雨脚に目覚めれば・・♪   《初出2007.8.23.》

2008-05-30 11:02:45 | 小庭の情景を眺めながら
東京の郊外は、早朝から雨が降りだした・・。

6時過ぎに布団の中で、うとうととしていると雨脚が屋根にあたる音で目覚めた。

昨夜、NHKの深夜番組の『東京裁判』を観たので、
この後に降りだしたと思われる。

郊外の調布市に住む私は、猛暑の日が続いていたので、
暑さに苦手な私は、何もしてない私さえ夏バテかしら、
とここ1週間は心身感じたりしていた。

玄関の軒下で煙草を喫いながら、小雨の降る中の樹木、草花などを眺め、
清々しい情景の朝涼(あさすず)に微笑んでいた。

処暑(しょしょ)の時節を迎えているので、
暦(こよみ)も当たるよなぁ、と心の中で呟(つぶや)いて、居間に戻った。

『XXちゃん・・軽井沢みたい・・』
と私は家内に言ったりした。

私の現役時代は、夏休みの折、暑さを逃れる為に、軽井沢、蓼科高原に小旅行をしたので、
避夏地の朝の情景をたびたび口にしたりしている。

東京の郊外は、日中は雨となり、最高気温は27度前後が予測されます、
とテレビで報じていた。

昨日は37度の猛暑だったので、恵みの雨となり、涼しい日中に、
ひたすら天上の気候の神々に感謝して、
雨の舞い降る主庭を眺めている。



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猛暑の中、駅前に・・♪   《初出2007.8.22.》

2008-05-30 10:57:27 | 読書、小説・随筆
東京の郊外は、8時過ぎには早くも30度を越えて、
相変わらず暑い日中を迎えようとしていた。

私はここ10日前後は、最寄のスーパーで買物を済ませたり、
少し遠回りして散策をしている程度であった。

本日は駅前の歯科医院に10時半に予約しているので、
9時半過ぎに家を出て、川沿いの遊歩道を歩いた。

途中で私の好きな底紅で純白の花びらの宗旦木槿(ソウタン・ムクゲ)が数多く咲いていたが、
炎天下の中、心に余裕がなく、少し観ただけで先を急いだ。

駅前のスーパーのトイレで、顔を洗った後、本屋に寄った。

これといって欲しい本がなかったが、
新刊本コーナーで、一冊の本の題名に惹(ひ)かれて、購入した。

今年の春に敬愛した作家の城山三郎の追悼して一冊であり、
『城山三郎 命の旅』(講談社)であり、内橋克人、佐高 信の両氏が編集された本である。

私は城山三郎・氏に関しての思いは、少なくとも2篇綴っているので省略する。


『慈父のような存在だった城山三郎・氏・・!!』 投稿日:2007年3月23日

『慈父のような方、死の淵(ふち)に・・。』 投稿日:2007年6月11日


この後、歯科医院の待合室で読みはじめ時、
私の名前が呼ばれたので中断した、

治療後、コーヒーショップの『ドトール』で、
アイスコーヒーを飲みながら、編集された内橋克人、佐高 信の両氏に寄る対談のタイトルが、

”慈母”としての城山三郎

と掲げられていたので、私は微苦笑をしたりした。

そして、座談の名手の特集の中で、
城山三郎、宮澤喜一の両氏に寄る対談を精読した。

この両氏の賢人の発言に教示されたことは当然であるが、
発言された時代に思いを馳(は)せると、
より一層目頭が熱くなる・・。

両氏は今年に他界された方であるが、
こうした人こそ日本の貴重な人であり、稀な人だった、
と改めて私は教示を受けている。

この後、スーパーで買物を済ませ、家内の好みのパン屋に寄った後、
帰宅した。

昼過ぎのニュースで、東京は37度の猛暑と報じて折、
私は洗面所で顔を洗い、クーラーの冷気に身を寄せたりした。


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猛暑の時節は、白雨(はくう)恋しき・・♪  《初出2007.8.22.》

2008-05-30 10:54:42 | 小庭の情景を眺めながら
東京の郊外は、猛暑が続いているので、
私は恵みの雨を待ち焦(こ)がれて折、
天気予報は所(ところにより夕立と報じられているが、
私の願いもむなしく一向に降らないのである。

私は『足跡メッセージ』は、季節のうつろいを明示することが多く、
ここ一週間は私の願いを込めて、
【猛暑の時節は、白雨(はくう)恋しき・・♪】
と記載しているのである。


昨年の夏、快晴のうだるような暑い中、
夕方の4時頃、空は青空から急速に暗くなり、
雷鳴と共に大粒の雨が降りだして、数分後は豪雨となり、
周辺の情景は白く煙るようになった・・。

樹木、草花などは、白雨の中で輪郭が薄らぎ、大丈夫かしら、と思うほど激しく雨に受けている。

30分ぐらい過ぎた時、小雨となり、ふたたび陽射しが庭を照らした後、
雨は上がり、樹木の枝葉は雨粒をたたえ光をおびていた。
そして地表は黒土となり、清々しい情景となった。

雨上がりの庭を眺めていたが、
潤(うるお)いある光景に、私はしばらくの間、見惚(みと)れていた・・。

そして、蝉(セミ)の鳴き声が聴こえてきた・・。


こうした光景が昨年の夏は、確かに数回あったじゃないの、と呟(つぶや)きながら、
暑さを増してきた庭を眺め、雲ひとつない青い空を見つめている。




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私が別サイト【OCN Cafe】に綴る時は・・♪ 《初出2007.8.21.》

2008-05-30 10:52:31 | 定年後の思い
私は定年退職後の3年生の身であるが、
小説、随筆を読んだり、居間で映画を鑑賞したり、音楽を聴いたりしている。

ときおり、庭の手入れをしたり、家内と国内旅行をしたりしている。

そして、退職後からは日常に感じたことを綴ることが好きなので、
日に数通を旧サイト【goo簡単ホームページ】等で投稿してきた。

退職後の身過ぎ世過ぎの生活をしているが、
季節のうつろい、日常の思い、感じたことを、
あふれた思いとなって、心の発露を綴っているにすぎない。

別サイト【OCN Cafe】に8月2日に加入し、
8月13日に旧サイトを移行した後、投稿して1週間が過ぎた今、
私なりに投稿する際は配慮している点がある。

投稿し無視されるのは辛(つら)く、出来る限り多くの方に読んで頂きたく、
小説・随筆の本と違い、パソコンの画面で読んで頂く為に、
あえて改行を多くしたりしている。

背景の黒の色合い、文字の白文字もこうしたことを配慮した結果である。

そして投稿内容が同じようであると飽きられるので、
なるべく多岐にわたり分野で、最後まで読んで頂けるように、工夫したり、
タイトル名も重視している。

つたない脳裏の私は、それなりに労苦の伴う時もあれば、
楽しく綴れる時もあり、こうして退職後の1,000日をまもなく迎えようとしている。



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