夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

真夏の夜のひとときは・・♪   《初出2007.8.21.》

2008-05-30 10:48:34 | 小庭の情景を眺めながら
東京の郊外に住む私は、
連日の暑さに買物と散策以外は、極力外出は避けている。

昨夜、玄関の軒下で煙草を喫いながら、薄暗い中、樹木を眺めたりしていた。

日中の暑さが残っていたが、微風が吹いて、心身に心地よい・・。

玄関庭の塀際から鈴虫の鳴き声が合唱団となり、
耳をすませば、コオロギの鳴き声が加わっている。

蝉(セミ)は、朝、昼、夕方と日中で鳴きつかれたせいか、
眠りについていると思われる。

我が家のコロオギは主(あるじ)の私に似て、
鈴虫の盛大な鳴き声の中、ときおり遠慮しながら鳴いているように聴こえる。

私はどうしてと思い、苦笑しながら、居間に戻った。

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夏のひととき、私が涙ぐむ歌は・・♪   《初出2007.8.20.》

2008-05-30 10:46:27 | 音 楽
ときおり私は鼻歌を唄ったりしている。

真夏の時節は、特に私はふたつの歌を心の中で唄ったり、
或いは家の中で、散策の時に人影が少ないときは小声で唄いだす・・。

♪夏が過ぎ 風あざみ
 誰のあこがれに さまよう

【 『少年時代』 作詞・井上陽水 】

平成3年(1991年)の秋頃、街で流れていた歌である。

私が50歳前後の時であり、世の中はバブルが終焉となり、
数多くの人々の心の痛みを感じた時代でもあった。

私はレコード会社に勤めていたが、
安楽から激動の時代となり、翌年になるとある会社と統合となり、
長年苦楽を共にした人達が分散した時でもあった。
そして一部の方達は、やむえず業界から去っていたりした。


夏の時節、帰省のニュースをテレビで観ていると、

♪兎(うさぎ)追いし かの山
 小鮒(こぶな)釣りし かの川

【 『故郷(ふるさと)』 作詞・高野辰之 】

私はこの歌が連想されてしまう・・。

地方出身の方達が、大都市で勤務し、生活されている方の大半の人々が、
夏のお盆に帰省され、心を癒す、といったことを思いだしてしまうのである。

私は東京の郊外の調布市で、結婚前後の5年以外、
この地で生活している身であるが、
私さえこの地域の変貌に驚いたり、悲しみを覚(おぼ)えたりしている。

小学生の時は通学路は・・下校の寄り道は・・
と当時の情景を思い馳(は)せたりしている。


いずれにしても夏になると、この歌が想いだされ、
過ぎ去った時の愛惜に涙ぐむ時もある。



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残暑は、厳(きび)しくなり・・♪ 《初出2007.8.20.》

2008-05-30 10:43:17 | 小庭の情景を眺めながら
東京の郊外の調布市は、8月に入ると猛暑の日が続き、
36度前後の日々が多い。

一昨日、曇り空となり29度程度となり、処暑(しょしょ)の時節に近く朝夕は涼しかったので、
やれやれと思ったのが、これからの1週間は33度前後の猛暑の日が続き、
残暑の厳しい日が続く。

私は夏の暑い日は冬の寒さを思い、冬の寒さの時は夏のひとときを思い返して、
と平素は強がりを云ったりしている。

ただ、今年の連日の猛暑には、天上の気候の神々に、勘弁して下さい、
と祈願したりしている。

私は買物と散歩などの最低限の外出となり、
庭の手入れも怠(おこた)っているのである。

平年は日中は30度前後で、朝夕は涼しい風が吹き、過ごしやすくなる時節であるが、
今年はどうしてなの・・と青い空を見詰(みつ)めている。


さきほど、日中は34度の猛暑となり、ところにより雷雨、にわか雨、
とテレビは報じていた。

せめて乾ききった地に、恵みの雨をお願いします、
と私は呟(つぶや)いたりしている。

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されど、冷凍食品・・♪   《初出2007.8.18.》

2008-05-30 09:56:31 | 食べ物、お酒
私は定年退職後の3年生の身であり、自宅にいることが多く、
朝は軽く、昼は程々に、夜は晩酌をしながら、鶏肉、豚肉、牛肉が主体の食事となっている。

そして、ときたま餃子(ギョウザ)などを食べたりしている・・。

家内の妹から、2年半前頃、
『餃子・・冷凍食品でも・・美味しいわよ・・』
と何かの話題の折、家内に言った。

私は餃子が好みであり、40代のなかばまでは、
家内に作って貰い、40個前後を食べたりしていた。

50代になると、スーパーで美味しいと思われる即売の2人前を食べたりして、
『XXちゃん・・この前のスーパーの方が・・美味しかったよ・・』
と家内に言ったりしていた。

家内の妹の助言により、
冷凍食品の餃子を買い求め、我が家の電子レンジで試みたが、
駅前の中華そば屋さんの餃子より美味しかったのである。

私達は2人前の24個入りを夕食の時に頂いたりしているが、
大半は私が食べ尽くしている。
そして、何故かしら辛口の純米酒と合うのである。
夏の時節は、クーラーの冷気の中で、冷やした純米酒を呑みながら、頂いたりしている。

家内が実家に宿泊した時、外出した時などは、
ときたま冷凍食品の炒飯(チャーハン)を食べたりする時もある。

『本格炒め炒飯』と明示され、こんがり焼いたジューシー焼豚入り、と強調されて折、
確かに電子レンジで温めると、香ばしい香りが漂(ただよ)い、それなりに美味しいのである。

私は冷凍食品は美味しくないと思ってきたが、
手軽に程々の味をしている、と遅ればせながら心を改めたのである。

尚、私は餃子と炒飯を食べた限り、
餃子は味の素、炒飯はニチレイが美味しく頂けた。

されど冷凍食品であるが、品質、味わいは進歩している上、
価格も廉(やす)いので、年金生活の私にとっては秘かに月数回の友かしら、
と思ったりしている。




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『ラジオ体操』の想いで・・♪   《初出2007.8.19.》

2008-05-30 09:54:37 | 幼年・少年時代の想いで
私は小学校に入学したのは、昭和26年の春だった・・。

夏休みになると、近くのお寺の境内でラジオ体操が行われていた。
集合時間は、朝の7時頃だった、かしらと思っているが確かでない。

お寺のお賽銭箱の横の階段の横に、ラジオが置かれて、
NHKの『朝のラジオ体操』が流れると、近所の30名前後の小学生の前で、
6年生の班長が少し高い台でお手本のように始め、
小学生達はそれに習って続く・・。

小学生は家を出る時は、必ず所定の出欠カードを持参し、
体操が終わった後、班長から出席のマークをカードに押して貰ったりしていた。

私の長兄、次兄は優等生であったので、
6年生になると班長に選出されていた。

3男の私は、いじけた劣等性であったので、
6年の夏に班長に選ばれる確率は少なかった。

結果として、班長は私となり、
この年から何故かしら副班長が設けられて、
お寺の娘の同級生が選ばれた。

この夏、私は照れながら、俺でいいのかしら、と心の中で呟(つぶ)いて、
小学生達に出席マークを押したりした。


【注) 私の旧サイトで投稿した原文を加筆した】

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いつものように、朝の情景は・・♪   《初出2007.8.19.》

2008-05-30 09:51:54 | 小庭の情景を眺めながら
東京の郊外の我が家の庭は、朝夕と小鳥が飛来している。

私は小鳥の種類は無知であり、家内の方が詳しく、
ときおり教えて貰っているが、直ぐに忘れてしまう。

以前はカラスが数多くいた時は、困ったが、
これ以外の小鳥には良いのではないかと思っている。

唯(ただ)、早春の時は、白梅(はくばい)、紫木蓮(しモクレン)の莟(つぼみ)を食べるので、
半分ほど残してね、と眺めているが、
これ以上食べ尽くす時は、他の所で食べてね、主(あるじ)の私は睨(にら)みつけている。

今の時節は、蝉(セミ)の鳴き声が、朝、昼、夕暮れに合唱団となり、
そして鈴虫の鳴き声も合唱に参加したりする時もある。

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午後のひとときは、昼寝となり・・♪   《初出2007.8.18.》

2008-05-30 09:50:02 | 現役サラリーマン時代の想いで
定年退職後の三年生の私は、午後のひとときは昼寝をすることが多く、
悪い習慣となっている。

遅い昼食を家内と頂き、旅行先のこぼれ話、
私が10時過ぎに買物先のあった話題を話し合いながら食べたりしていた。

この後しばらくして、本を片手にしながら、
居間に持ち込んだ簡易ベットに横たわった。
今日の場合は、読み残した総合月刊雑誌の『文藝春秋』だったが、
1時間前後読んでいるうちに寝付いた・・。

先程、目覚めて顔を洗った後、着替えて、庭先の軒下で煙草を喫ったりしていた。

この8月になると、平年より暑い日々が続いていたが、
日中は曇り空の過ごしやすい日となったので、
ほっとしているのが本音である。

このように身勝手に午後のひとときを昼寝などをしているが、
現役時代の時は、数多くのサラリーマンと同様に、
日常は睡眠時間を削り業務に励み、午後のひととき眠くなった時は、
勤務先の一角にあるトイレの洗面所で顔を洗っていた。

そして、自分の敵は自分です、と心の中で呟(つぶや)きながら、
自席のデスクに戻ったりした。

あんな時代もあったね、と想いだしながら、今の私は自分にも甘えている。

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庭は、荒れ果て・・♪   《初出2007.8.18.》

2008-05-30 09:47:16 | 現役サラリーマン時代の想いで
私は東京の郊外の調布市に住んでいるが、7月の下旬は曇り時々雨の日が多く、
8月になると平年より暑い日が続き、
庭の樹木、草花などの手入れを怠(おこた)っている・・。

私はサラリーマン生活を卒業し、定年退職後の年金生活の3年生である。

実家の付近に家を建てたのは、30年前頃であり、
定年の少し前頃に外壁のモルタル壁の噴き付け、ペンキ塗り、屋根の修理、門扉などに業者に依頼し、
ある程度住み続けられるようにしているが、古惚(ふるぼ)けた一軒家となっている。

そして日常は、程々の小庭に樹木、草花を眺めながら、
四季のうつろいを享受している。


私が結婚する前、庭に興味を持ち少し勉強したが、
庭をある程度の形(かたち)にするには家の建築費程度を投じないと、
本格的な庭にならないと知った。

家を建てる時に、サラリーマンの身なのでローンを頼りにしていたが、
心の勢いとして、茶室まで含めて設計依頼をしてしまったので、
私のつたない実力以上に経費が掛かってしまい、あわてたりした。

やむえず庭は、雑木を主体とし、業者に依頼し植え頂いたり、
その上、私が園芸店で買い求めた苗木を我流植えたりした。

当初は庭全体はかぼそい雑木で占められていたが、
4年を過ぎると想像以上に成長し、
私はノコギリ、剪定バサミで我流で枝葉を払ったりした。

7年を過ぎた頃、虫などが付き過ぎて馴染まない樹木は切り倒したり、
大木になるのを恐れて思い切って枝を落としたりした。

退職の数年前に、私の老後の手入れの可能な範囲は樹高4メートル前後と定め、
業者に剪定を依頼した。

私は溜め息を付いたのは、業者の人件費でなく、
枝葉の始末のトラック3台分の産業廃棄のような費用が想像以上に要したことだった。

私の住む周囲は、郊外といっても住宅街なので、止む得なかったが、
何より驚いたのは、主木と枝ばかりのこじんまりとなった樹形であった。

そして庭全体の情景は余りに変貌し、
樹木は枯れ果てるのではないか、と心配したりした。

この1ヶ月が過ぎた頃の昼下りのひととき、
家の周囲の小道から年配の男性が庭をしばらく覗(のぞ)き込んでいた、
と深夜に帰宅した私に、家内が話した。

私は、この前にお世話になった植木屋さんだろう、と話したりした。

季節がひとつ過ぎると、枝からまたたくまに枝葉が伸びだして、
雑木のたくましさもさることながら、
植木屋さんの確かな技量を教示させられたりした。

そして、私は時折庭に下り立ち、
植木屋さんの樹形の基本に倣(なら)い、樹木の剪定をしている。

ここ1ヶ月ばかり、気候のせいにして、
庭の手入れを止めたりしているので、
枝葉は伸び、草も繁って、荒れた庭に変わっている。

先程、庭に下り立った時、煙草を喫いながら、
少し涼しくなったら、と思案している。


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東京の郊外は、朝涼(あさすず)を迎えて・・♪  《初出2007.8.18.》

2008-05-30 09:41:26 | 小庭の情景を眺めながら
東京の郊外の調布市は、どんよりとした曇り空の朝を迎えている。

深夜にわずかな雨が降り、門扉や植木鉢が少し濡れている。

ここ連日は35度前後の猛暑が続いたので、
久々の朝涼(あさすず)となって折、樹木、草花が清々しく見られる。

日中も29度前後が予測され、暑さが和(やわ)らぎ過ごしやすい日を迎える。

朝夕は所(ところ)により雨と報じられているので、
私は天上の気候の神々に、にわか雨をお願い致します、
と空を見詰(みつ)めながら、身勝手に祈願したりしている。


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改めて、ZARDの坂井泉水からの想いで  《初出2007.8.17.》

2008-05-30 09:39:03 | 音 楽
昨夕、音楽関連のランキング情報と知られている【オリコン】のサイトで、
5月下旬に突然亡くなわれたポップス・グループのZARDの坂井泉水の追悼盤のアルバムの二枚が、
ランキングの1位、2位となったのを知った。

そして、先程配達された読売新聞の夕刊で、
この件に関して、トップ記事となって折、私は微笑みながら、苦笑もし、読んだりしたのである・・。

私はこの方については、旧サイトで綴っているので、
改めて掲載する。


『ZARDの坂井泉水からの想いで・・♪』  投稿日:2007.5.29.


私は昨日、旅先の観光ホテルで、
ポップス・グループのZARDの作詞家、ボーカリストの坂井泉水さんの死を知った・・。

私はこのお方には、残念ながらお会いしたことがないが、
私なりに一時は熱愛し、歌の数々に魅了させられた時代もあった。

平成5年(1993年)の晩春、私はレコード会社の管理畑に勤めていたが、
あるレコード会社と事実上統合なった結果、
初めて長戸大幸・氏の率いるビーイング系のZARDを知った。

これより少し前の時代として、新田和長・氏の率いるファンハウスが、
女性ボーカルとしては岡村孝子、辛島美登里、永井真理子などで全盛期でもあった。

私は素人なりに、ZARDの透明感ある甘い若き女性の歌声、
若い女性の思いの心情を託した作詞、
そしてビーイング系に多い馴染みやすいメロディーと感じたりした。

『負けないで』、『君がいない』、『揺れる想い』のシングルCDが大ヒットとなり、
アルバムとしては、前年の『HOLD ME』に続いて、『揺れる想い』がミリオンとなり、
この年の女性ボーカルとしては、頂点を極(きわ)めた。

この後、ビーイングはビーグラム社として完全独立され、
私の務めていた会社から離れていったが、数年後まで私なりにアルバムを買い続けたりした。

結果としは、私は50歳前後で『負けないで』を愛聴し、
出向時代の初め頃、ベスト盤を購入した時は、豪華なジャケットを眺めながら、
あの時代は業界も幸福な時代だった、
と懐かしげに自分の姿を思い浮かべたりした。

そして定年退職後の3年生の今でも、
ときおりアルバムの5枚を聴いたりしている・・。

今回、突然の訃報に接し、お若い身なのにと悲しみを覚(おぼ)えたが、
90年代の女性ボーカリストの代表として活躍された坂井泉水さんに、
『大変でしたね・・ご苦労様・・ゆっくりとお休み下さい・・』
と心から冥福を祈ったりした。

彼女の率いたZARDの音楽は、永遠に残ると確信しているが、
少なくとも私は、幾つになっても時折聴くと思っている。

【注) 私が綴った原文より、補筆した】


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天上の神々は、ご機嫌が悪いの・・♪   《初出2007.8.17.》

2008-05-30 09:35:48 | 定年後の思い
東京の郊外の調布市は、ここ一週間は36度前後の猛暑の日々が続いて折、
暑さに苦手な私は、どうしてなの・・、と空を見詰めたりしている。

昨日は各地で記録的な猛暑と報じられて折、
埼玉県の熊谷市、岐阜県の多治見市では観測史上最高の40.9度となり、
1933年(昭和8年)7月25日に山形県市山形市の40.8度の国内最高気温を74年ぶりに更新した、
とテレビで報じていた。

過日、蓮(ハス)の花を観るために、3泊4日で訪れた群馬県の最南東部にある館林市では、
昨日は40.3度の猛暑となったりしている。

私は天上の神々のご意向と思っているが、
庭の樹木、草花はうるおいもなく乾いた状態となっている。

水不足が心配されるので、こうした折に散水すれば、非国民と云われそうなので、
やむえずただ眺めている。

農作物を育てられている農家の人々の労苦を思えば、
言葉はなく、ただ天上の神々に、恵みの雨をお願いします、
とひたすら伏せ願ったりしている。

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私の別ブログの【風のように光のように】の由来 《初出2007.8.16.》

2008-05-30 09:32:29 | 定年後の思い
私は大学中退後、映画青年、文学青年の真似事を20代の前半をしていた。

小説、随筆などで、明治以来の作家で最も影響を受けたのは、
私の長年のつたない読書歴からして、
昭和55年の夏に亡くなわれた小説家・立原正秋・氏である。

小説、随筆、詩集など公表された作品は全(すべ)て読んでいるつもりであるが、
この中に1冊の詩集がある。

詩集『光と風』(角川書店)より、昭和53年5月に刊行された本である。

亡くなわれた後、追悼として、角川書店より愛蔵版として『立原正秋全集』(全24巻)はもとより、
数多くの知人、関係者から評論、随筆集が刊行された。

この中で、奥様の立原光代・著の『追想~夫・立原正秋~』、
そして長女の幹様より『風のように光のように~父・立原正秋~』が角川書店から刊行された。

特に立原 幹・著の『風のように光のように』に関しては、
余りに激しく、余りに美しい《父恋の記》と解説に明示されていたが、
私は幼児に父と死別された上、敬愛した作家の愛惜の動揺からして、
脳裏に長年深く残った。

幹様の綴られた随筆は、素人の文章であるが、きらめく感性があり、
何より父恋きの想いが深く、好感して読んだりしたのは事実である。


私は定年退職後、ブログの世界を知り、タイトル名には色々と考えた・・。

【のちの想いに】にするか、
或いは敬愛する小説家の長女の方の随筆のタイトルを借用するか、
迷ったのである。

結果として、私の青年期の自己形成に教示され、敬愛する小説家のなので、
長女の視線からと似た念願の意味合いから、
いけないと知りながらも、借用したのである。

尚、私は日本風土の四季折々の移ろいを限りなく愛着があるので、
それぞれの地の風光に心を寄せたりしている。




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『早起きは、三文の徳』・・?!

2008-05-30 05:42:00 | 定年後の思い
昨?E隠瓜瓩㌔某欧燭里任△?E♤晋里㎠靴蕋鎧北楹个瓩討靴泙辰拭?br />
新聞も配達さ?E討い覆せ屬任△辰燭里如?br />私は煎茶を淹?E晋紂▲優奪箸妊縫紂璽垢鮓㎠燭蠅靴討い拭ΑΑ?br />
?E未箸靴董∋笋?E峇愎瓦♢△蝓擬┐気擦蕕?E織縫紂璽垢蓮?br />『?E丱優奪函戮涼罎如愼?E丱┘灰漾次戮瞭段模∈楜Ⅶ里劼箸弔任△辰拭ΑΑ?br />
下記の記事を無断であ?E♤僂気擦督困④泙后?br />



宋文洲さんに聞く

中国の汚染、?E屬糧?E下圓話羚饋諭幣紂?br />
宋文洲 ソフトブ?E璽鵝.泪諭璽献瓮鵐肇▲疋丱ぅ供次?br />1963年中国山?E弊犬泙?E?5年?E椶卜嘘悄?br />92年ソフトブ?E璽鸛篭函?0年?E撻泪供璽此?5年?E擅栄緇?E?6年から現職。
著書に「やっぱ?E僂世萋?E椶留超函廖屬海海☜僂世萋?E椶隆浜Α廚覆鼻?br />
 感情論になっては解決できない――。中国で生ま?E?E椶妊愁侫肇Ε┘?E箸鯆糠弍弔靴燭箸いΨ侘鬚㎠蕁?br />?E罎侶从僉匆駝簑蠅砲弔い得儷謀Ⅳ鉾世垢?E愁侫肇屮?E璽鵑料彿現Д泪諭璽献瓮鵐函Ε▲疋丱ぅ供爾蓮?br />環境問題をめぐ?EこΔ梁侘渋い魏鬚㎤㌔論こΨ从僂旅渋い鰺鬚垢?E海箸砲△?E叛發∮?br />ポスト京都議?E颪力帆箸澪蠅任眞椶鮟犬瓩?E羚颪侶从僉匆颪砲Ⅳ韻?E超㌣簑蠅慮従噺未靴髻∩彁瓩吠垢い拭?br />
 

◇   ◇   ◇



――中国人の環境意識はどのあたりにあ?E里任垢?br />
 

 ?E瑤凌佑隆屬任蓮超⑯媼韻呂匹鵑匹鷙發泙辰討い泙后?br />理由は単純。自分が汚い空気を吸いたくないからです。
決して誰かのためではなく、まず自分に汚染が迫ってい?E㎠蕕任后?br />
 ただ、?E瑤陵喫,平佑箸發里垢瓦ゔ亘海平佑砲箸辰討隆超④呂舛♢い泙后?br />?E椶任盥發いⅱ發鯤Г┐弍気?E討い覆い發里鮨④戮?E海箸♢任④泙垢♤?br />食べていくのがやっと、という人は、あま?E媼韻靴討い覆い㎠發靴?E泙擦鵝?br />中国の格差はその?E椶硫診椶砲發覆?E里任后?br />
 本当に食べ?E里♢㌔蠅㌔蠅凌佑燭舛♤∨賃腓砲い?E?br />そういった人たちに「環境」といっても理解できません。
?E椶覆匹㎠藐㎠特羚颪覆匹隆超④悗亮茲?E箸澆戮討い蕕い蕕垢?E㎠發靴?E覆い♤?br />この層が?Eい燭瓩亡蔽韻砲呂い㎠覆ぁ海?E鯑?E椶凌佑砲話里辰討曚靴い里任后?br />
 


渋滞の激しい北京市内の幹線道路。大気汚染が深?E修靴討い?E牟ζ院?br />

――中国のなかでも2つに分か?E討い?Ebr />
 

 「富裕層」とい?E?E?E佑世韻覇?E椶凌邑剖瓩い阿蕕い凌瑤砲覆蠅弔弔△蠅泙后?br />しかしそ?E任?E3億人のなかの1億人。
13人のなかで1人だけが「環境を大切に」と叫んでも、
ほかの12人が「いやだ」といってい?E屬任后?br />?E羇屬茲?E羚馥睇瑤力請茲里曚Δ〄磴靴ぁ?br />こ?E脇?E椶凌佑呂曚箸鵑秒里蕕覆せ造任后?br />
 ?E椶砲眞羚颪㎠蕾㎐修瑤鵑任?E掘気?E振い⇄㌔?E討?E箸盡世?E?E討い泙后?br />しかし、そ?E蝋④こい鬚呂気鵑如△㎠覆?E隼兇靴毒覆辰燭發里任后?br />?E屬糧?E下圓話羚颪琶?E蕕靴討い?E擔佑任后?br />彼らも?E椰涌幣紊法峅燭箸㎠靴討?E廚帆覆┐討い?E里任后?br />
 




以上、長らく無断であ?E♤僂気擦督困①?br />原文よ?Eー蠅鵬圓鯊燭靴泙靴拭?br />
原文の全ての記事は、下記のサイトです。
ご興味のあ?E蓮△爾卞匹鵑把困④燭ぅぅ鵐織咼紂宍Ⅶ任后?br />

http://eco.nikkei.co.jp/interview/article.aspx?id=MMECi3021018072007


私は、このお方から、?E椰佑了?E世醗磴ぁ?br />冷静に現代の問?E世梁燭力隻召魍悗鵑任い?E劼箸蠅任后?br />
私は、たまたまこの記事を読むことができたので、
『早起きは三文の徳』かしら、と少し眠いのですが、
学んだのであ?E?br />
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過ぎ去る『昭和』の想いで・・♪

2008-05-30 04:10:09 | 読書、小説・随筆
過日、駅前の本屋に寄った時、
これといって切実に欲しい本がなく、
雑誌コーナーで『文藝春秋 SPECIAL』の特集記事を見て、
購入して、読んだりしている。

http://www.bunshun.co.jp/mag/special/index.htm
この雑誌は、季刊誌として発売されているが、
私は特集に興味を抱いている内容であったならば、
購入している程度であり、
今回は『日本人へ ~私が伝え残したいこと~ 』であった。


私は昭和19年に生を受け、『昭和』の時代を40数年過ごした身であるので、
昭和の良きところは多少知っている。

少なくとも人様の前での恥じらい、羞恥心が確かにあったと思いながら、
ときにはこうした雑誌を読んだりしている・・。


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猛暑の時の想いで・・♪   《初出2007.8.16》

2008-05-29 12:34:37 | 現役サラリーマン時代の想いで
東京の郊外の調布市では、7月の中旬から下旬は曇り日、雨が降ったりした日々が多く、
小・中学生が夏休みに入ったのに、どうして・・、と心配したりした。

暦(こよみ)が変わった8月になると、
暑い日々が続き、余りにも猛暑が続いて折、戸惑っている。

私は愛煙家のひとりであるが、定年退職後まもなくして、
室内禁煙の宣言をして、庭の樹木の下、玄関の軒下など喫ったりしている。

先程も炎天下を避けて、軒下で喫ったりしていると、
現役時代の頃が想いだされた・・。


本社勤務が多かったが、この時節、ワイシャツとネクタイで出社すると、
まずはトイレの洗面所で顔を洗ったりした。

その後、出向時代の時、物流会社の倉庫で、冷房がないフロアーがあり、
不馴れな最初は眩暈(めまい)を感じたりした。

この時は、外廻りでスーツにネクタイの人を考えたり、
或いは炎天下の下で業務をする人を思いながら、耐えたりしたのが本音である。


退職後の今、買物とか散策などで暑い街並みを歩いたりしている。
深めの帽子、サングラス、そして扇子で扇(あお)ぐ仰ぎながら、
暑さに苦手な私は歩いたりしている。

川沿いの遊歩道を散策したりしているど、大きな樹木の下の付近のベンチで休んだりする時ある。

木陰で涼んでいて、ときおり微風を身体に受けると、心地よくなり、
周辺に人影がいないことを確認し、小声で唄ったりしている。


♪夏が過ぎ 風あざみ
 誰のあこがれにさまよう

【 『少年時代』 作詞・井上陽水 】


しばらく唄い続けているが、
現役時代の苦楽が甦(よみがえ)って、その時を想いだされ、
瞼(まぶた)が熱くなり、過ぎ去った日々に愛惜を感じるのであった。

そして、再び炎天下の中を歩き、家路に向ったりしている。



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