夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

GLAY、私なりの懐かしき深い想いで・・。

2010-08-24 17:17:38 | 音 楽
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
昼食後、燦燦と照らす熱い快晴の中、散髪屋(理容店)に寄った後、スーパーに買物に行った。

店内で家内から依頼された生鮮食品を見極めていた時、


♪誰かの錆びたあのイノセンス 木もれ日に揺れている
 生まれた街の片隅に 遠い日の忘れ物

【『グロリアス』 作詞、作曲・TAKURO、編曲・GLAY、佐久間正英 】

と歌が店内から流れて、
私は思わず『GLAY(グレイ)だぁ・・』と心の中で呟(つぶや)いたりした・・。


私の現役時代のサラリーマンの時代は、あるレコード会社に35年ばかり勤めていた。
音楽を制作する部門でなく、管理畑で情報、経理、営業などの部署であったが、
それなりに音楽を聴く機会が多かったのである。

確か1994(平成6)年の春過ぎ、私が経理畑に所属していた頃、
ロビーの掲示板に数多くのポスターが掲載されていたが、
この中のひとつが私には解からなかったのである。
女のような若き男で長髪の4人が写しだされていたポスターであった。
『GLAY』と明示されていたが、私の心からは、ほど遠い存在であった。

その後、私は営業本部の片隅に異動した後、
GLAYを意識したのは、3枚目のアルバム『BELOVED』であり、
確か1996(平成8)年の11月だったと思うが、
普遍的であるが感覚として私の好みの詞であり、そしてサウンドも抵抗なく溶け込めていった・・。
私が50代の前半の時であった。


その後、シングル盤の『口唇』の後に、
翌年の1997年の秋、べスト盤のアルバム『REVIEW』発売され、
この頃の業界として空前の500万枚近い売り上げとなり、私は最も勢いのあるGLAYに、
秘かに私が予測した以上に、ただ驚き、ため息をさせられたのである。

私はこの前後に『BELOVED』、『HOWEVER』、『ずっと2人で・・』、『軌跡の果て』を盛んに聴いたりした。

そして、NHKの『紅白歌合戦』に出場され、
ボーカルのTERUが、『HOWEVER』を唄いあげていた。

この年は最もCD、ビデオ等でセールスに貢献したアーティストに日本レコード協会の主催で、
翌年の1998年1月に第12回『日本ゴールドディスク大賞』のアーティスト・オブ・ザ・イヤーを獲得している。
こうした実績を残されたので、私は年賀状を受け取った中のひとつに、
ある営業所の所長から、昨年はGLAYの年でした、と書かれていた。

その後、1998(平成10)年の4月にシングル盤の『SOUE LOVE』、『誘惑』同時発売され、
相変わらずミリオン・セラーが続き、
確か7月だったと思うが、『pure soul』のアルバムを270万枚を出荷した後、
私はGLAYから離れた・・。

この当時の私は、X JAPANの数多くの曲に、遅ればせながら魅せられて、
無我夢中に熱中していたからである。


そしてこの当時の業界全体の売上げピークは1998(平成10)年で、
この前後は、各社が社内業務の見直し、組織の大幅な改定、グループ会社内の統廃合、
そして資本による合併などが行われたりした。

これに伴ない、正社員のリストラが行われ、
人事配置転換による他部門の異動、出向、早期退職優遇制度により退職が行われた。

そして激動の1998(平成10)年の前後、
先輩、同僚、後輩の一部の人が、第二の人生を選択し、
早期退職優遇制度に申請を出されていたが、
私は定年まで勤め上げる思いが強くあったので、彼等の決断を見送っていた。

その後、1999(平成11)年の新春、
私は人事担当の取締役から、出向の話を打診された時、
《何で・・俺が・・》
と思いがあったが、私は物流情報会社に出向となった。

この中のひとつの職場は、音楽のCD、DVDなど商品を管理する商品センターであり、
CD、DVD販売店からの日々の受注により、出荷したり、或いは返品を受けたり、
製造会社より入荷したりする処であった。
もとより音楽商品は、それぞれ一枚一枚が激変し、多品種であり、曜日、季節の変動も加わり、
現場は多忙であった。

私はこうした商品センターに、センター長はじめ正社員4名と共に、
男性の20代の契約社員10名、パートの女性120名前後の中で、奮闘した。

しかし最初の頃は、30年近く本社に勤めていた私は、出向の身となった直後は、
まぎれなく都落ちで、失墜感が心身にあった。
この商品センターで大きな取り扱いの最初のCDは、
1999(平成11)年2月3日発売のひとつGLAYの『Winter、again』であり、
確か数ヶ月で177万枚を出荷した。

このCDシングル盤を最後に、GLAYは我が社から契約が切れ、
他社に移籍した。

そして私は商品センターのあるフロアーにある『pure soul』のアルバムの
大量な在庫を苦笑しながら見たりした。
このことは前作のべスト盤のアルバム『REVIEW』が空前に売れて、
570万枚を超えていたので、『pure soul』のアルバムを大量にプレスした結果であった。


この年、5月5日ら放映された『GLAY 奇跡と栄光の向こうに』
と題されたドキメンタリーの番組がNHKから放映された。
この番組はGLAYと命名したロックバンドの結成時の状況、5年後のメジャー・デビューするまでの苦節、
そしてブレイクするまでの実態、その後の4大ドームのライブ・コンサートを成功するまで、
結成から頂点に立つまでの10年間の軌跡を描いたドキメンタリーの良質作品である。


私は、この映像を幾たびか視聴するたびに、GLAYに熱中した曲と時代、
そして熱気帯びた観衆のシーンを想いだし、愛惜を重ねたりしている・・。

そして、思いだすように私はときおり、
保有しているメジャー・デビュー作品からアルバム『pure soul』までを取り出して、
聴いたり、手元の3本ばかりのビデオテープも視聴したりしている。

最後に、私が初めてGLAYに瞬時に魅せられた1996(平成8)年の11月の頃、
ひとつの歌を掲載する。
http://www.youtube.com/watch?v=yVT236Pkjuo&feature=fvst
☆【『BELOVED』 作詞、作曲・TAKURO、編曲・GLAY、佐久間正英 】☆


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九州新幹線、3月12日に全線開通、ニュースに私は微笑んで・・。

2010-08-24 10:10:36 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
今朝、いつものように読売新聞の朝刊を読んでいたら、
32面にある【社会】面に於いて、

《 九州新幹線、3月12日に全線開通 
       
          大阪―鹿児島 3時間47分 》

と見出しされた記事を読みながら、私は微笑んだりした。

この記事と同一なのが、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】に掲載されて折、
無断であるが、記事を転載させて頂く。

《・・
        九州新幹線、3月12日に全線開通

来年春の九州新幹線鹿児島ルートの全線開業日が、3月12日の見通しになった。
JR関係者が明らかにした。

開業と同時に始まる新大阪―鹿児島中央間の直通運転には、
すでに運行が決まっている「さくら」(所要時間約4時間)に加え、
停車駅を絞って最速3時間47分で結ぶ列車を新たに設定する。
列車の名称についてJR側は、「みずほ」で最終調整している。

「みずほ」は、1961~94年まで東京―熊本間などを結んだ寝台特急の名称。
「さくら」と同じ最新型「N700系」をベースにした車両を使用。

九州新幹線では、博多を出ると、熊本以外は停車しない見込み。
本数は、新大阪―鹿児島中央間を直通運転する「さくら」(約1時間に1本)より少なくなる見込み。


国土交通省の調査では、2007年度に関西から鹿児島に行った人の85%が航空機を利用しており、
JR側は、対抗策として、4時間を切る列車が不可欠と判断した。

航空機を使い、大阪市中心部から鹿児島市中心部へ移動する場合を想定すると、
大阪(伊丹)―鹿児島の飛行時間は約1時間10分。
市街地から空港までの移動時間を加えると、片道約2時間20分は必要。

JR関係者は「新幹線の勝機は十分にある」としている。

(2010年8月24日03時02分 読売新聞)
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多く、和暦も加えた。

http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20100824-OYT1T00097.htm?from=main6
☆【YOMIURI ONLINE】九州新幹線、3月12日に全線開通☆

私は結婚前後の5年を除き、東京郊外の調布市に住み、60年となっている。
家内との共通趣味は、国内旅行であるが、
鹿児島市を目指した旅は、わが生涯に於いても、たった二度しかない。

私の独身時代、大学二年の夏、南九州を周遊する独り旅をした。
この当時1964(昭和39)年,、在来線で東京駅から鹿児島中央駅の直通列車は、
寝台特急の『はやぶさ』が確か24時間ぐらいの運行であったが、
学生の身としては、遥かな高価な運賃であったので、断念した。

そして時刻表を見ていたら、臨時急行の『桜島2号』を見つけ、
この列車に乗車した。
座席はこの当時のよく見られた対面ボックス4人席が並ぶ席であった。

確か東京駅を午前10時頃に出発し、翌日の午後に鹿児島中央駅に到着する列車で、
27時間半を要していた。
私は普通の座席に座り、やがて夜行列車となり、翌朝の熊本駅に着く頃には、
座りづかれた為、腰も痛くなり、やむえず立ち上がり車内の通路を歩いたりした。

そして私は鹿児島中央駅に到着した直後、駅前の喫茶店でレモンスカッシュの冷たい飲み物を飲みながら、
煙草を喫った記憶が鮮明に残っている。


昨年2009(平成21)の春、
家内の母が、生きているうちに一度は『知覧 特攻平和会館』を観たいわ、
と家内に云ったので、
私達夫婦は家内の母を誘い、鹿児島市の市内のホテルに3泊したりした。
この旅路の往復は、羽田空港と鹿児島空港を結ぶ航空路を利用した。


こうしたささやかな体験しかないけれど、
東京駅から新大阪駅の3時間弱、そして新大阪駅から鹿児島中央駅の4時間弱、
たった7時間ぐらいで到着する新幹線の威力に驚いている。
そして、いつの日にか、こうした旅路に良いかしら、と私は微笑んだりしている。


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「処暑」なのに残暑は厳しく、私は戸惑い・・。

2010-08-23 17:54:56 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
先ほど、読売新聞の夕刊を待ち焦がれていたが、
やむえず、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】を読んだりし、
ひとつのニュースに思わず微苦笑した。

無断であるが、記事を転載させて頂く。

《・・
     「処暑」なのに「猛暑」、9月も30度超続く?

23日は暑さが和らぐとされる「処暑」。

しかし、午前中から各地で気温が上がり、
正午までに東京・練馬では36・0度、大阪市でも35・2度を記録した。

気象庁によると、今週中も西日本を中心に35度以上の「猛暑日」が観測される見込み。

9月に入っても平年より暑い日が多いといい、厳しい残暑は当分続きそうだ。
23日は午後0時44分に東京・大手町で34・9度、名古屋でも午前11時18分に34・4度となっている。

同庁によると今週も最高気温は東京で33~35度、名古屋で33~35度、大阪で34~36度となる見通しで、
全国的に平年より2、3度高い状況が続きそう。
9月前半も各地で30度以上の「真夏日」が相次ぐという。

8月中旬(11~20日)の西日本の平均気温は平年より2度高く、
1961(昭和36)年の観測開始以来最高を記録。
東日本も1・8度高く、過去2番目となった。

今月22日までに、東京(大手町)では猛暑日が8日あり、
過去2番目に多かった2001(平成13)年に並んだ。
名古屋は14日、大阪は23日も含めると17日あった。

同庁の分析では、最近の猛暑は、お盆から日本列島が太平洋高気圧に覆われており、
その上空にも大陸からの高気圧が張り出して、
上空の気温も下がらないことなどが原因という。

また、南米ペルー沖の赤道付近の海面水温が上昇するエルニーニョ現象が、
昨年夏から今年春まで続いた影響で、北半球で気温を押し上げていることも関係している。

(2010年8月23日14時33分 読売新聞)
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多く、和暦も加えた。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100823-OYT1T00583.htm?from=top
☆【YOMIURI ONLINE】「処暑」なのに「猛暑」、9月も30度超続く? ☆


私の住む東京郊外の調布市に於いても、一昨日の21日は32度前後、
昨日の22日は34度前後、本日は34度前後の最高気温となり、
残暑の厳しい日々となり、暑さに苦手な私は戸惑っている。

今朝もカレンダーを眺めて、「処暑」なのに、暑さはいつまで続くの、
と私はぼやいたりしていた・・。


私は、今回のニュースを読んだ後、
昨年の2009(平成21)年のこの時節は、と思いながら、
私が投稿した綴りを読み返したりした。

【 東京郊外は、雨降る日を待ちわびて・・!? 】
と題し、昨年の8月23日に投稿していた。

【・・
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であり、
処暑の頃が過ぎた今、盛夏の頃の暑さも過ぎ去り、
幾分涼しげな朝涼(あさすず)のひととき朝を迎えている・・。

夕方も庭のテラスに下り立ち、煙草を喫ったりしていると、
風は樹木の間を通り抜け、私のたたずんでいる所にも、風が吹き抜けていく・・。
風は日中の熱さを流した後、秋めいた風で心地良いのである。


盛夏に彩(いろど)ってくれたアメリカ芙蓉(フヨウ)の花も終りを告げて、
花梨(カリン)の樹木とブロック塀の間に、
クロッカスに似た玉すだれ(タマスダレ)の白い花が群生して咲き、朝のひとときなど白い花が心に沁みてくる・・。
私は齢を重ねた64歳の身であるが、
これまでの人生の汚れきった心を何かしら浄化させてくれる花のひとつでもある。

紫露草(ムラサキ・ツユクサ)がそばに咲き、群生しているが、
小花の青色の澄み切った色合いも心に沁みてくる・・。

そして、薄暗くなった夕暮れ時、 玉すだれの白い花は、
ぽぉと白い花が浮き立っていて、妖艶なただよいを感じさせてくれる花である。


ここ数週間前頃からは群生させた秋海棠(シュウカイドウ)の花が、
可憐な淡紅色の花の彩(いろど)ったりして折、
この付近に、高砂木槿(タカサゴ・ムクゲ)の淡紫色の花が咲き続けて、
暑さの苦手な私は慰められてきた。

この時節、処暑の頃になれば、日中は残暑が厳しいが、
このように朝、夕、夜のひととき、
庭に下り立ち、秋めいてきた情景に心を寄せたりしている。


このように過ごしてきた私であるが、ここ10日ばかり雨が降らず、
この先の一週間も雨マークが表示されていなく、
心の片隅は戸惑っているのである・・。

過ぎ去った7月は平年以上に雨降る日々が多く、
天上の気候の神々はどうしたの、と大いに戸惑っていたのであるが、
乾期となった今は、懐かしく思われる。

昨日のひととき、テレビのニュースなどで、農作物の多くが高騰しています、
と報じられていた。
私は年金生活で買物を担当しているので実感しているが、
幼年期に農家の児であったので、何よりも農家の方がお気の毒と思ったりしたのである。

このような心情もあり、そして庭の樹木、草花は雨を待ちわびている状況もあり、
『ときには・・雨の降る一日にならないかなぁ・・』
と私は家内に云ったりしていると、
『洗濯物・・困るわ・・』
と家内は私に云ったりした。

『だったら・・深夜にしっかりと雨が降る・・こうした時間帯であれば・・』
と私は身勝手なことを云ったりしたのである。


いずれにしても、雨の恵みをもたらす天上の気候の神々から、私の住む地域は見放されているらしく、
この時節は晴れ間の日が3日続き、曇りの1日、そして雨降る1日、
このようなサイクルが私としては望ましいのであり、
秘かに願いながら、空を見上げたりしている。
・・】

このように投稿していたが、私は微苦笑を重ねた後、
どうか平年並みに采配の程を、と天上の気候の神々に祈願したりしている。


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時は過ぎて、クルマ離れの社会が始まり・・。

2010-08-23 11:45:16 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
今朝、いつものように読売新聞の朝刊を読んで、
愛読している【編集手帳】の記事を精読したりした。

読み終わった後は、時は過ぎ変貌してクルマ離れの社会が始まった、
と深く感じたのである。

この記事と同一なのが、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】に掲載されて折、
無断であるが、記事を転載させて頂く。

《・・
       8月23日付 編集手帳

松田聖子さんが歌った1982年のヒット曲『赤いスイートピー』は、
若い男たちに少なからぬショックを与えた。

<春色の汽車に乗って海に連れて行ってよ>。
作詞家・松本隆さんが描いた女性は、
彼氏にそう願い「デートの定番はクルマ」という若者神話をさりげなく否定してみせたからだ。
約30年後、「予言」は的中した。

総務省が発表した昨年2009(平成21)年の自動車保有台数は1000世帯当たり1414台。
1964(昭和39)年の調査開始から増え続けたマイカー保有が、
初めてマイナスに転じた。

若者のクルマ離れが、最大の要因だ。
買うのも持つのもカネがかかる。
環境に優しくない。
ケータイやファッションの方が大事――。

親世代のように、
「車を持つことが社会的地位の象徴」
とは感じないとしても無理はない。

「男の夢をかなえる車・日産ブルーバード」、
「あなたの心まで豊かにします・トヨタカローラ」。
東名高速が開通した1969(昭和44)年の広告には、
成長ハイウエーを疾走するこの国の高揚感そのままの惹句(じゃっく)が並ぶ。

政治も経済も社会も、先が見えない渋滞の中にある今だから、
馬力とスピードを無邪気に追い求めた頃がなつかしい。

(2010年8月23日01時18分 読売新聞)
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多く、和暦も加えた。

http://www.yomiuri.co.jp/editorial/column1/news/20100822-OYT1T00749.htm?from=navlc
☆【YOMIURI ONLINE】 8月23日付 編集手帳☆


こうした記事を読みながら、若き人たちの一部は、クルマ離れとなり、
昨今の日本は超高齢社会で、65歳以上の人口が25%前後となる中で、
高齢者の免許自主返納も増加している今日、
クルマ離れの社会が確実に始まった、と私は感じたのである・・。


私は若き独身時代には、実家の乗用車を乗り廻し、
この当時の若者と同様に、高速道路を疾走したり、
昼夜問わず自動車の運転に魅せられて、一般道の車窓からの情景も好感したりしていた。

結婚して実家から遠い地に新婚時代を過ごし、
いずれは乗用車を購入しょうと思ったりしていたが、
その後は一軒屋を構えて、住宅ローンの返済で、とても乗用車を買い求める余裕がなくなった。

こうして50代を迎えた頃は乗用車を購入しても、と思った頃は、
民間会社の中小業に勤めていた私は、相変わらず多忙な勤務を過ごし、
心身も余裕もなくなり、ペーパー・ドライバーとなったりしていた。

そして2004(平成16)年の秋に定年退職となり、年金生活に入ったのであるが、
肝要な反射神経は鈍り、万一事故を起したら、残された人生が悲惨になる、
と思い、自動車免許書を破棄した身である。


このようなことを思い馳せたりしているが、昨今の経済の低迷を考えたりすると、
日本経済に於いて、自動車産業の経済効果は多大に貢献してきたことは、
まぎれない事実であるので、寂しさを感じる。

私がときおり夢想するのは、
ベルリンの壁が崩壊する前の1989(昭和64)年以前の社会に愛惜することが多い。

1960(昭和35)年の春、私は都心の高校に入学した頃からは、
数多くの方が一生懸命に働けば明日に希望が持て、少しつづ叶(かな)えられた時代であった。
こうした中で、総中流社会となり、少なからず日本は経済大国となり、
数多くの方は豊かさを実感できた時代でもあった。

現在のように利便性のある携帯電話、パソコンのインターネットは普及せず、
デジカメ、DVD、ブルーディスクなども存在しかったが、
多くの方が表情が生き生きとしていた。

こうしたことを思い浮かべ、時の流れを幾度も思いを重ねた。


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各国支援金8億ドル超える=パキスタン洪水、ニュースに私は微苦笑し・・。

2010-08-23 08:53:58 | 時事【政治・経済】等
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
先ほど、時事通信社の基幹ネットの【時事ドットコム】を開き、
《 各国支援金8億ドル超える=パキスタン洪水 》
と見出しされた記事を見て、私は深く精読した・・。

無断であるが、この記事を転載させて頂く。

《・・ 
     各国支援金8億ドル超える=パキスタン洪水

【ニューデリー時事】
パキスタンのクレシ外相は22日、
同国を襲った大規模洪水に対する国際社会の支援金総額が8億ドル(約685億円)を超えたことを明らかにした。
国営APP通信が報じた。

支援金については国連が当初、3カ月の想定分として約4億6000万ドルを国際社会に要請、
その後積み増しを呼び掛けていた。

クレシ外相は世界的な景気低迷の中、
各国の支援はとても勇気づけられると謝意を表明した。

(2010/08/23-06:10)
・・》
注)解説の原文にあえて改行を多くした。

http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2010082300024
☆【時事ドットコム】各国支援金8億ドル超える=パキスタン洪水☆


私は過日、新聞、NHKのニュースなどで、
パキスタンがモンスーンによる雨で洪水が発生し、被災者は300万人以上、犠牲者は2000人超、
と深刻な状況を知った。

そして国際緊急援助隊派遣法に基づき、
我が国もパキスタンの洪水被災地で国際緊急援助活動を実施する自衛隊が派遣され、
派遣部隊は隣国のアフガニスタン情勢の悪化に伴いテロが多発しているので、
派遣される隊員の方にどうかご無事に、と私は深く祈願したりした。

こうした私の心情があり、今回の《各国支援金8億ドル超えた》のニュースを知り、
大変喜ばしい限り、と無力な私は思った・・。


この後、私はぼんやりと過ぎし春に学んだひとつのニュースが思い浮かび、
やはりと思いを重ねたりした。

このひとつのニュースは、【時事ドットコム】に掲載されていたのであり、
無断であるが、この記事を転載させて頂く。

《・・
      テロ掃討強化で一致=米・パキスタン戦略対話閉会

【ワシントン時事】
米国とパキスタンの外務・国防閣僚らが出席して当地で開かれた戦略対話は25日、
パキスタンのテロ掃討や経済発展に向けた協力強化を約束し、
両国間の戦略的パートナーシップの重要性を確認する共同声明を発表して閉会した。

声明によると、クリントン長官はテロ掃討に懸けるパキスタン国民の勇気と決意を称賛。
同国はこれに対し、米国の軍事支援に謝意を示した。

両国は、テロリズムや過激主義が世界共通の脅威であるとして、
掃討の取り組みを強化していくことで合意した。

また、アフガニスタンの平和と安定が重要との認識でも一致した。

(2010/03/26-07:52)
・・》
注)解説の原文にあえて改行を多くした。

http://www.jiji.com/jc/zc?k=201003/2010032600117&rel=j&g=int
☆【時事ドットコム】テロ掃討強化で一致=米・パキスタン戦略対話閉会☆


私は若き日には映画・文学青年の真似事をした後、あるレコード会社に35年ばかり勤めて定年退職となり、
こよなく文化を愛するひとりであるので、政治・外交・軍事・経済などは恥ずかしながら疎(うと)い身である。

しかし、国際主要国はもとより怜悧な国益に基づいて、
外交、軍事、経済力などを背景とした政治が行われている現状ぐらいは少し判っているつもりである。

このような私は、《テロ掃討強化で一致=米・パキスタン戦略対話閉会》のニュースを思い重ねると、
妄想させられるのである・・。

アメリカはパキスタンのテロ掃討や経済発展に向けた協力強化する中で、
たまたま7月にパキスタンは悲惨なモンスーンによる雨で洪水が発生し、
被災者は300万人以上、犠牲者は2000人超の実態が発生した。

少なくとも人道上の意味合いから、アメリカは国連に働きかけ、
世界の主要国から多額な支援金がバキスタンにもたらした。

もとより被害を受けられたのはバキスタンの民衆であり、
今後のテロ掃討強化の支持、協力を得る為にアメリカは強力に支援している、
と感じてしまうのである。

いずれにしても、アメリカは怜悧な国益の為に、
功罪はともかく、ためらうことなく、したたかに徹底的に言動する大国である、
と過去の歴史からも感じることであり、改めて今回のパキスタン洪水の悲惨な実態からも、
私は学んだりしている。


☆下段のマークを押し、次画面の『投票』を押して下さいますと、
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パキスタン洪水支援、自衛隊の諸兄諸姉に私は敬意を・・。

2010-08-22 18:05:56 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
過日、新聞、NHKのニュースなどで、
パキスタンがモンスーンによる雨で洪水が発生し、被災者は300万人以上、犠牲者は2000人超、
と深刻な状況を知った。

そして、昨日、自衛隊の一部の隊員が救援に派遣をされた、と知った。

私は齢ばかり重ね、無知ことが多いので、ネットのニュースで色々と検索して学んだ。

この中のひとつとして、時事通信社の基幹ネットの【時事ドットコム】を開き、
《 パキスタンへのヘリ派遣命令=第1陣、21日出発-北沢防衛相  》
と見出しされた記事を見て、私は深く精読した・・。

無断であるが、この記事を転載させて頂く。

《・・ 
    パキスタンへのヘリ派遣命令=第1陣、21日出発-北沢防衛相

北沢俊美防衛相は20日、洪水被害が深刻なパキスタン救援のため、
国際緊急援助隊派遣法に基づき自衛隊のヘリコプター部隊を派遣するよう折木良一統合幕僚長らに命じた。

陸上自衛隊第4師団(福岡県春日市)などによる第1陣の約50人が21日に日本を出発。
来週後半にも現地での活動を開始する。

活動に参加するのは、陸海空各自衛隊の計約530人。
陸自の多用途ヘリUH1と大型輸送ヘリCH47の計6機を、
海自の輸送艦1隻と空自のC130輸送機6機などで現地まで運ぶ。

ヘリ部隊は、パキスタン中部のムルタンを拠点に、
当面は約1カ月間の予定で被災者搬送や物資輸送などを行う。
防衛省によると、ムルタン周辺の治安情勢は「比較的安定している」という。 

一方、菅直人首相は20日、パキスタンのギラニ首相に対し、
被災者に対する見舞いのメッセージを送るとともに、自衛隊ヘリ部隊の派遣を伝えた。
在パキスタン日本大使館を通じて書簡で伝達した。

(2010/08/21-00:11)
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2010082000836
☆【時事ドットコム】パキスタンへのヘリ派遣命令=第1陣、21日出発-北沢防衛相☆


或いは読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】を見ていると、
《・・
     パキスタン洪水支援、自衛隊ヘリ第1陣が出発

パキスタンの洪水被災地で国際緊急援助活動を実施する自衛隊ヘリコプター部隊の第1陣が21日、
福岡空港から民航機で出発。
来週以降、現地での支援物資輸送などを始める。

この日の派遣部隊は陸上自衛隊第4師団(福岡県春日市)を中心とする約50人。

同国中部ムルタンを拠点に活動する予定で、
同日朝、石崎敦士隊長は
「日本の代表として困っている人を助けられることに喜びと誇りを感じる」
と決意を語った。

防衛省によると、同国では近年、隣国のアフガニスタン情勢の悪化に伴いテロが多発。
自衛隊の活動地域となるムルタンについて、
同省幹部は「比較的、治安は安定している」としているが、
周辺では昨年もテロによる死傷者が出ている。

武器を携行しない派遣部隊の活動拠点はパキスタン軍が警備するが、
イスラム過激派などによるテロが多発するパキスタンへの派遣に、
隊員の家族らは不安な面持ちだ。

この日午前9時過ぎ、福岡空港に見送りに来た長崎県の男性(58)は、
「31歳の長男が派遣されるが、絶対無事に帰ってきてほしい」
と祈るように話していた。

(2010年8月21日11時40分 読売新聞)
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100821-OYT1T00308.htm
☆【YOMIURI ONLINE】パキスタン洪水支援、自衛隊ヘリ第1陣が出発☆



私はこの記事を深く読んだが、
やはり、国民は何かと『自衛隊』は頼りになる、と素直に感じたのである。

もとより防衛省は国防を責務とされ、この中の自衛隊の諸兄諸姉は、
目に見えることの少ない過酷な職務の中、
平素は一部の国民から何かと疎(うと)んじられている。

こうした中、台風、震災などの災害時になると、
緊急を要する過酷の中での救助、ともすれば悲惨な状況の中で復旧、
日頃は何かと目にしない自衛隊員の果敢な実態に、いざという時は多大にお世話になっている。

私はこれまでの人生の65年間で直接には自衛隊から救助も受けたことはないが、
今回のニュースで視聴したり、新聞、ネットを読んだりするたび、
改めて自衛隊諸兄諸姉は大変な職務と責務に携わっている、
と感銘さえ覚えることがある。

本来であるならば、国際緊急援助隊派遣法が発令する中、
国民の有志の方が参加するのが望ましいが、
やはり治安の不安な地域は、何かと日頃から訓練された自衛隊の諸兄諸姉に頼るのが実態であるので、
国民に代わりパキスタン洪水支援に携わる自衛隊の諸兄諸姉に、
私はたとえ職務といえ、敬意をしてしまうのである。


尚、私自身、親族、友人関係に於いて、自衛隊、防衛省に職務する人はいないが、
無力で体力の衰えた私が素直に感じたことである。


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高齢者の確かな味方は、携帯電話・・!?

2010-08-22 09:12:50 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
昨夜、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】を見ていたら、
【ネット&デジタル】の中で、BCNニュースのひとつに、

《 富士通と北海道白老町、「らくらくホン」で高齢者向け生活支援サービス 》

と見出しされ、
私は高齢者であるが、携帯電話が使えず保有していない身なので、思わず読んでしまった・・。
無断であるが、この記事を転載させて頂く。


    富士通と北海道白老町、「らくらくホン」で高齢者向け生活支援サービス

富士通と北海道・白老町は、
シニア層をターゲットとする富士通の携帯電話「らくらくホン」を活用した高齢者向け生活支援サービスとして、
地域のコンタクトセンターシステムを共同で構築し、8月23日に運用を開始する。

白老町が、ひとり暮らしの高齢者を中心とした60名に「らくらくホン」を配付。
必要に応じて端末の
「よやく(予約)」
「そうだん(相談)」
「きんきゅう(緊急)」ボタンを押すことで、
地域の支援ボランティアとの相談や、119番通報ができるようにする。

また、携帯電話の内蔵センサから自動通知される歩数情報や、
GPSなどにより探知できる位置情報を安否確認として活用。
高齢者の安全の確保と、生活を支える見守りサービスを提供する。

白老町は、携帯電話が高齢者にとって身近な存在になることで、
「いつでも・どこでも、安全・安心に暮らすことができる地域づくり」を目指す。

さらに、今回のシステムの対象範囲を高齢者以外にも拡大することで、
地域住民の利便性向上や地域活性化などへの活用を検討していく。

(2010年8月20日 読売新聞)
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。

http://www.yomiuri.co.jp/net/news/bcn/20100820-OYT8T00388.htm
☆【YOMIURI ONLINE】【ネット&デジタル】BCNニュース
     富士通と北海道白老町、「らくらくホン」で高齢者向け生活支援サービス☆


私は2004(平成16)年の秋に民間会社を定年退職した身であるが、
携帯電話が使えず保有していない。

確か退職する10年前の頃の1994(平成6)年の頃は、
私はあるレコード会社の管理畑に勤めていたが、
この当時は職場の机上には、ひとり一台のプシュホンの電話があり、
各部署の数台のパソコンで電子メール、
或いは表計算のソフトを使用して管理表を作成していた。
そして一部の営業部隊、外部と頻繁に交渉する人だけが、
携帯電話を職務として利用していた。

思い浮かべれば、携帯電話の着信音がベルのように鳴り、
電話連絡があると気付き、携帯電話を取り上げて、職場の片隅、通路などで会話していた。

この後は、若者を中心に着信音に好みの音楽が設定できる着信メロディとなり、
若者を中心に急速に普及していた。

私は1999(平成11)年の初春に、リストラ旋風の中、
出向となり、ある物流情報会社に定年退職まで勤めた。

この中のひとつの職場は、音楽のCD、DVDなど商品を管理する商品センターであり、
CD、DVD販売店からの日々の受注により、出荷したり、或いは返品を受けたり、
製造会社より入荷したりする処であった。
もとより音楽商品は、それぞれ一枚一枚が激変し、多品種であり、曜日、季節の変動も加わり、
現場は多忙であった。

私はこうした商品センターに、センター長はじめ正社員4名と共に、
男性の20代の契約社員10名、パートの女性120名前後の中で、奮闘したりしていた。

こうした職場であったので、私は携帯電話が職務上で必要でなかったので、
世の中は誰しもが携帯電話を保有するようになった時代でも、
私は携帯電話を覚えることなく、パソコンで電子メールを大いに活用していた。


こうして定年退職後、私達夫婦は携帯電話の使い方が解からないので、
保有していない・・。

最も私達夫婦は、携帯電話がなくとも、
これといって不便と思ったのは数回限りである。

2004(平成16)年の秋、家内の父が亡くなる1カ月前頃から、
家内の母と家内は、交代で入院先で看護をしていたが、
連絡確認が遅れた時であったりした。

この後、3年過ぎた頃の2007(平成19)年に、
これといって不便を感じていないが、
ある程度の老後になると、やはり必要なのかしら、と私共は話し合ったりしている。

この当時、読売新聞の日曜版に於いて、【Y&Y 旬】の記事で、
【持たせて安心 わが子の安全】
という特集記事があり、読んだりしたからである。

無断であるが、記事を引用させて頂く。

《・・
子供が被害者になる犯罪や事故が後を絶たない。
この為、子供に持たせる防犯グッズへの関心も益々高まっている。

・・子供の現在地を把握するために、
GPS(全地球測位システム)を活用した商品も増えている。

KDDI(au)は、『ジュニア携帯』を3月中旬頃に発売する。
電源が切れたり防犯ブザーが作動したりすると、
自動的にカメラでその場の様子を撮影してメール送信し、
GPSで把握した位置情報をその後の足取りを1分ごとに保護者等に通知する機能が付いている。
価格は、1万円前後。
・・》

このような記事であったので、私の10年後は体力は衰えるので、
このような携帯電話をたえず外出の時は持ち歩くのが想像できる、と思ったりしたのである。


私ひとりで駅前まで散策し、本屋に寄ったりした後、
コーヒーショップの『ドトール』で購入した本を煙草を喫いながら読んだりしている。

或いは都立の大きな植物公園に散策に行ったりした時、
隣接した寺の近くの蕎麦屋で食事をしたりする。
笊蕎麦を頂く前に、お酒を注文する・・。

店員さんが50代前後の女性で私が魅了された時、
『お姉さん・・お代わりね・・』
と私は壱合の徳利を指すと思ったりしている。

このような情景が家内が自宅のパソコンで見て折、
『早く・・家に戻ったら・・』
と家内の声が聴こえたりする。

このような事を10年後の私を想像していたが、
昨今このような事を現に私は行っているので、
さて全ての私の出来事が逐次撮影されたことを思えば、
何かしら私は笑ったりしている。


この後、これまでの間は、これといって携帯電話がなくとも不便とも余り感じたことがなく、
電子メールは家でパソコンに向かって、JISのキーボートで綴り、
発信すれば良いと思ったりしている。

私は頑固な性格か、
携帯電話でどうでもいいようなおしゃべりする暇があったら、
言葉、心の勉強として本の1冊でも読みなさいと思っている。


このような心情の私は、今回のニュースを知り、
この地域のシステムの中で、それぞれの高齢者の方が携帯電話を活用されれば、
まぎれなく高齢者の確かな味方、と感じたりした。


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『猛暑一転ロシアで初雪』、私は驚き・・。

2010-08-21 11:49:00 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
先程、ネットでニュースを見ようと【YAHOO! JAPAN】を開き、
《 猛暑一転ロシアで初雪 》
と題された見出しに、どうしてなの、と思いながら私は思わずクイックした。

そして産経新聞が配信された記事と判り、
《 露で初雪、急激に気温下がる 森林火災は沈静化 》
という見出しで、詳細記事を精読した。

記事であり、無断ながら転載させて頂く。

《・・
   露で初雪、急激に気温下がる 森林火災は沈静化

記録的な猛暑が続いていたロシア西部の気温が20日までに急激に下がり、
北西部のムルマンスクでは初雪が観測された。

国営テレビ・ロシア24によると、
20日午前のモスクワ市内の気温は9度。

猛暑と干魃を受けた森林・泥炭火災も収束に向かっており、
大統領令で導入された非常事態は7地方のうち6地方で解除された。

モスクワでは今夏、連日の気温が30度を超える異例の暑さが続き、
7月29日には観測史上最高の38.2度を記録した。

(モスクワ 遠藤良介)
8月21日0時4分配信 産経新聞
・・》
注)解説の原文にあえて改行を多くした。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100821-00000500-san-int
☆産経新聞 露で初雪、急激に気温下がる 森林火災は沈静化 ☆


私はNHKのニュースなどで、
ロシアのモスクワ周辺で異例な猛暑となり、
森林火災による被害が拡大の一途をたどっている。

そして火災で発生した有毒なスモッグによる健康被害と、
猛暑による熱中症などが多発している、と知ったりしてきている。

このような異変の天候により、干ばつ被害に見舞われているロシアが
2010年度(農業年度)に500万トン以上の穀物輸入を迫られる可能性がある、
とニュースを視聴し、憂(うれ)いたりしている。


私の住む東京郊外の調布市の片隅地域は、梅雨明け後は突然に猛暑が続き、
平年より遥かに熱い日々が続いており、暑さに苦手な私は戸惑うことが多く、
空を眺めたりし、天上の気候の神々に、どうしてなの、
と心の中で呟(つぶや)いたりしていた。


今回のニュースに於いて、
《・・記録的な猛暑が続いていたロシア西部の気温が20日までに急激に下がり、
北西部のムルマンスクでは初雪が観測された
・・
猛暑と干魃を受けた森林・泥炭火災も収束に向かっており、
大統領令で導入された非常事態は7地方のうち6地方で解除された・・》
と知ったが、
ロシアに住まれた人たちは、大いに戸惑いながら、それぞれ対処したと思われるが、
おかしなおかしな天候が世界の各地で多発化しているので、
多くの人々が実感されたと思ったりしている。

私は無力な身であるので、せめて天上の気候の神々に、
どうか世界の各地は平年並みの天候の采配をお願い致します、
と祈願するしか、手立てがなかったのである。


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櫻井翔、ゴルバチョフ氏と「貧困」「核軍縮」激論30分、ニュースを私は微笑んで・・。

2010-08-21 09:59:14 | 時事【政治・経済】等
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
先ほど、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】を見ていたら、
【エンタメ】の中で、『報知芸能ニュース』のひとつに、

《 櫻井翔、ゴルバチョフ氏と「貧困」「核軍縮」激論30分 》

と見出しされ、
私は櫻井翔(さくらい・しょう)さんは、どのような分野で活躍されている方が無知であるが、
少し記事を読み、昨今音楽業界で最も勢いのある『嵐』のメンバーのひとりと理解した。

それにしても、何故ゴルバチョフ氏に逢えて、「貧困」「核軍縮」などを話し合えたのかしら、
と齢を重ね私は、現代史に興味があるので、精読した・・。

無断であるが、この記事を転載させて頂く。

《・・ 
     櫻井翔、ゴルバチョフ氏と「貧困」「核軍縮」激論30分

人気ユニット「嵐」の櫻井翔(28)がこのほど、
旧ソ連のゴルバチョフ元大統領(79)とロシア・モスクワで初対面した。

日テレ系「24時間テレビ33 愛は地球を救う」(28~29日放送)の企画で、
経済格差から生じる貧困や核軍縮などについて意見を交わした。

この1年、「世界平和への祈り」をテーマに様々な人々を取材を続けてきた櫻井の活動を、
ゴルバチョフ氏は絶賛した。

櫻井キャスターが“超大物”のインタビューを実現した。
米ソ冷戦を終結させ、ノーベル平和賞を受賞したゴルバチョフ氏だ。

取材は猛暑のロシア・モスクワで行われた。
櫻井がロシア語で自己紹介すると、ゴルバチョフ氏はいきなり事前に用意された資料を払いのけた。
戸惑う櫻井に「テレビは抜きにして君の意見を聞きたいんだ」。
本音で語り合おう―という意思表示だった。

対談は30分以上行われた。
経済格差から生じる貧困や核軍縮、今後の平和活動など話題は多岐にわたり、
意見を交わした。

「あなたのようなしっかりした若者と会えてよかった。
自分のことだけでなく、他の人の苦しみについて考えることができ、
助けたいと思う人々がさらに増えることを願っています」
とゴルバチョフ氏。
櫻井の世界平和に対する考え方や、その姿勢を絶賛した。

固い握手を交わして別れた櫻井は
「小学生の頃、ニュースで見ていた方に実際にお会いすることができて非常に光栄でした」と、
興奮冷めやらぬ様子で振り返った。


日テレ系「NEWS ZERO」のキャスターを務める櫻井は、
昨年8月から「世界平和への祈り」をテーマに沖縄や長崎、広島などを訪ね、
取材を続けてきた。

そして、今回の24時間テレビでは
「嵐・櫻井翔が緊急リポート! 世界の貧困と格差社会の現実~マンホールで暮らす人々とは~」と題して、
ロシアをはじめ、ドイツで「ベルリンの壁」の今を取材。
さらにルーマニア・ブカレストで経済格差による貧困の実態をリポートする。


「東西冷戦を終え20年たった今、世界にどのような変化が起きているのか。
対岸の火事とも思えない状況から、日本の今を考えるきっかけをお伝えできたら」
と櫻井。
この模様は29日に放送(一部地域を除く)される。    
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。

http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20100821-OHT1T00020.htm?from=yol
☆【YOMIURI ONLINE】櫻井翔、ゴルバチョフ氏と「貧困」「核軍縮」激論30分☆

私は日本の敗戦後、世界はアメリカ、ソ連の巨大国が冷戦となり、
軍備競争で核の競争をされ、核の恐怖から核の均衡を得て、世界第三次大戦が回避されてきた。
そしてゴルバチョフ氏が冷戦を取りやめ、やがてソ連は崩壊し、
大きく変貌したロシアの大国となっている。

この間、東ヨーロッパの各国も大きく変貌したり、
「ベルリンの壁」は崩壊し、やがて西ドイツは東ドイツを吸収合併し、統合した。

このように思い馳せると、まぎれなくゴルバチョフ氏の実行と影響力でこのような事態となり、
この後は世界各国は政治・軍事・外交・経済・社会などのあらゆる面で変貌してきた。


もとより日本の政治の昏迷、経済の低迷、社会の劣化の今日、
主因は「ベルリンの壁」の崩壊後の世界に対応できなかったことが大半であると確信している私は、
今回のこのニュースを読み終わった後、苦笑をした後、微笑んだりした・・。

『嵐』のメンバーのひとりの櫻井翔さんが、
このような真摯な思いで、ゴルバチョフ氏に対し、「貧困」「核軍縮」などを話されたことは、
テレビを視聴される多くの方は、このテーマを学ばれると思う。

何よりも期待するのは、櫻井翔さんに導かれて、若き10代、20代の数多くの男女が視聴すると思われるので、
こうした現実が世界の激動にあり、日本に多大な影響があった実態を、
と認識して欲しい、固く願っている私は微笑みに代わったのである。


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『保険不利用で、年金停止の検討』厚労省、ニュースを知り、私は賛意・・。

2010-08-20 19:07:10 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
午前中に庭の手入れををした後、
何気なしに、ネットでニュースを見ようと、時事通信社の基幹ネットの【時事ドットコム】を開き、
《 保険不利用で年金停止検討=高齢者所在不明で対策案-厚労省  》
と見出しされた記事を見て、思わずクイックし、記事を深く精読した・・。

無断であるが、この記事を転載させて頂く。

《・・ 
    保険不利用で年金停止検討=高齢者所在不明で対策案-厚労省

高齢者本人が死亡しているのに、遺族が年金を不正受給する事態を防ぐため、
長妻昭厚生労働相は20日、
医療保険を利用した形跡のない高齢者に安否確認を行った上で、
年金支給を一時停止する対策案を検討していることを明らかにした。

長妻厚労相は同日の閣議後会見で、
「一定の年齢以上の高齢者なら、通常年1回は病院に掛かるはずだ」と指摘。

医療保険の利用実績がない受給者を抽出し、
安否を答えてもらう「現況届」の提出を求めるという。

その上で、現況届の返信がなかった場合などは不正受給の可能性があることから、
年金の支給を一時停止することを検討しているとした。

(2010/08/20-13:22)
・・》
注)解説の原文にあえて改行を多くした。

http://www.jiji.com/jc/c?g=soc&k=2010082000331
☆【時事ドットコム】保険不利用で年金停止検討=高齢者所在不明で対策案-厚労省☆

私は高齢者の65歳で、厚生年金を受給されている身であるが、
昨今、年金を不正受給する事態のニュースを見るたびに、
悪質なことに怒りさえ感じ、何とか撲滅する方法はないかしら、と思っている。

今回の厚労省の《医療保険を利用した形跡のない高齢者に・・
安否確認を行った上で、
年金支給を一時停止する対策案・・》
こうしたこともひとつの方法かしら、と私は賛意する。


私はこの不正受給の撲滅対策案として、
このサイトに過ぎし8月13日に於いて、
【 年金不正受給者に対して、自治体は公表せよ・・。】
と題して、投稿している。

http://blog.goo.ne.jp/yumede-ai/e/9d241aba463b7e85a3d0bfd5ce732c9e
☆【年金青年のたわむれ記 ~かりそめ草紙~】8月13日『年金不正受給者に対して、自治体は公表せよ・・。』☆


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『ガールズグループ 韓流旋風』、齢を重ねた私は学び・・。

2010-08-20 17:55:47 | 音 楽
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の6年生の65歳である身であり、
殆ど毎日、買物をしたり、散策をしたりしている。

こうした日常生活の中では、やはり読書の時間が多いが、
綴ることが好きで、ブログ系のサイトなどに投稿したりしている。
そして、ときたま居間でビデオ、DVDの映画作品を鑑賞したり、
CD、DVDで音楽を聴いたりしたいる。

私の現役時代は、たまたまレコード会社に35年ばかり勤め、
制作に直接係わる部門でなかったが、管理部門の各部を体験してきたので、
それなりにカセット、CD、DVDをある程度は保有している。

2004(平成16)年の秋、定年退職後の年金生活になると、
その日の心情により、適当に聴いたりしているが、
オペラとジャズは苦手であり、これ以外のどの分野でも聴いたりしているが、
やはり中島みゆき、井上陽水、X JAPAN、ミーシャなどは、
現役時代から引き続いて多く聴いたりしている・・。

そして、年金生活になると、読書が最優先となり、投稿文を綴ったりしているので、
音楽の興味は薄れているが、年金生活で初めて知り、私なりに夢中になり、
少なくとも300回以上の歌を聴いたアーティトがいる。

絢香ちゃんの『三日月』、コブクロの『赤い糸』、そして徳永英明の『ハナミズキ』の歌に魅了されたのである。

この程度つたない身であるが、
現役時代は音楽専門誌の『オリコン』のベストテンは、
ヒット曲の指標として、出来る限り聴いたりしてきたが、
昨今の音楽事情は恥ずかしながらも判らないことが多い。


今朝、いつものように読売新聞を読んだりしていると、
15面の【文化】エンタ面に於いて、トピック(TOPIC)と題された定例特集に於いて、

《 ガールズグループ
 
      韓流旋風

      日本上陸 半年で4組 》

と大きく見出しされ、ぼんやりと私は読んだりした。

この記事とほぼ同一なのが、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】に掲載されて折、
無断であるが、記事を転載させて頂く。

《・・
   ガールズグループ 韓流旋風
              日本上陸 半年で4組

韓国のガールズグループがこの夏、続々と日本に上陸する。
デビューを記念するイベントには大勢のファンが詰めかけ、人気は早くも過熱気味。
旋風を巻き起こしそうな韓流アイドルの魅力と、日本進出の背景を探った。(田中誠)

11日にシングル「ミスター」でデビューしたのが、
親しみやすさで人気の5人組、KARA。
動画投稿サイトでは、腰をくねらす「ヒップダンス」が話題を集めている。
同日、東京の「渋谷109」前で行われた記念ライブには、
事前告知をしなかったにもかかわらず約3000人(主催者発表)が訪れた。


韓国の音楽グループの日本進出は、
東方神起、BIGBANG(ビッグバン)など男性グループが先行していたが、
今年に入ってから、韓国でのブームが波及する形で、女性グループの動きが目立つようになった。

先陣を切ったのは、5月にデビューした5人組、4Minute(フォーミニッツ)。
ラップ担当もいるヒップホップ色のあるグループで、
先月早くも2枚目のシングルを発表した。

KARAと同じ8月11日には、来月デビューを控えた9人組、少女時代の、
これまでの音楽ビデオなどを収録したDVDが発売された。
すらりと伸びた脚を強調した衣装が特徴で、韓国では絶大な人気を誇る。
25日には、東京・有明コロシアムで1万人規模のイベントを開催する。

その25日には、「小生意気ダンス」で注目を集めた大人の色気を漂わせる4人組、
BROWN EYED GIRLS(ブラウン・アイド・ガールズ)がデビュー。
半年足らずで4組が日本に進出する事態となっている。


個性は少しずつ異なるが、流行の電子音楽で、
息の合ったダンスやセクシーな衣装を武器としているのが共通している。


「かわいさ」より「かっこいい」

獲得競争の末、3組と契約したユニバーサルミュージック合同会社の小池一彦CEO兼社長は
「男性グループの成功で、韓国のポピュラー音楽は日本に定着した。
次に何が来るかを考えたら、韓国でピークを迎えている女性のグループ」
と狙いを語る。

同じ社内の異なるレーベル(部門)からとはいえ、
本国で人気を分け合うグループが同時期にデビューすることについて、
「ライバルがいた方が市場を刺激する。
火が付くのは早いと思う」
と相乗効果を期待する。


相次ぐ日本進出について、
韓国で音楽専門チャンネル「Mnet(エムネット)」を放送する
CJメディアの日本法人の宣伝企画チーム宣伝広報パート長・金ミン廷さんは、
「Kポップ(韓国のポピュラー音楽)のグループは、海外進出を前提にしている」
と説明する。

「質の高いグループ、歌手を育成するためには高額の費用がかかり、
それを国内市場だけで回収するのは限界がある」
ためで、デビュー前から外国語やダンス、歌唱の厳しい訓練をしているという。

これまでの韓流ブームを支えてきたのは、
ドラマ「冬のソナタ」や東方神起のファンを始め、女性が中心だった。
「業界内では、日本で女の子のグループが受けるだろうかという意見が多かった」(金さん)が、
これまで開催されたイベントでは10~20代の男性ファンも目立つようになったと指摘する。

「かわいさ」や手に届きそうなところが魅力の日本のアイドルとは違い、
同性から「かっこいい」とあこがれられる存在という韓国のガールズグループ。
今年後半の音楽業界の台風の目となりそうだ。

(略)
(2010年8月20日 読売新聞)
・・》
注)記事の原文にあえて改行など多くした。

http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/music/mnews/20100820-OYT8T00551.htm
☆【YOMIURI ONLINE】ガールズグループ韓流旋風 日本上陸 半年で4組☆

この後、新聞に掲載された4組のそれぞれの美麗な写真を見ながら、
私は『KARA』、
『4Minute(フォーミニッツ)』、
『少女時代』、
『BROWN EYED GIRLS(ブラウン・アイド・ガールズ)』
とグループ名を二度ばかり呟(つぶや)いたりした。


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「いすゞ」のトラック CMに、齢を重ねた私は励まされて・・。

2010-08-20 00:08:36 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
テレビはNHKのニュース、ドキュメンタリーの番組を視聴している。

殆ど民間テレビの視ることはないが、たまたま過日の14日に於いて、
敬愛している倉本聰(くらもと・そう)氏のテレビ用の脚本されたドラマ『歸國(きこく)』の合間か、
或いは家内が居間で、民間テレビの番組を視聴している間が不明だが、
ひとつのCMが脳裏に残って、ここ数日は微苦笑しがら、何気なしに励まされているのである。

どの作詞家、作曲家が創られたか私は無知であるが、

♪いつまでも いつまでも
 走れ走れ いすゞのトラック
 ・・
 どこまでも どこまでも

確かこのような歌詞だったと思われるが、少しボケた私は不安になり、
何かと頼りにしている【YouTube】にすがり、
検索をしたりした・・。

http://www.youtube.com/watch?v=pvzuspskPTc&feature=related
☆「いすゞ」のトラック CM ☆

確かこのようにテレビのCMに放映されていた、と私は微笑んだりした・・。


私は若き独身時代には、実家の乗用車を乗り廻し、
この当時の若者と同様に、高速道路を疾走したり、
昼夜問わず自動車の運転に魅せられて、一般道の車窓からの情景も好感したりしていた。

結婚して実家から遠い地に新婚時代を過ごし、
いずれは乗用車を購入しょうと思ったりしていたが、
その後は一軒屋を構えて、住宅ローンの返済で、とても乗用車を買い求める余裕がなくなった。

こうして50代を迎えた頃は乗用車を購入しても、と思った頃は、
民間会社の中小業に勤めていた私は、相変わらず多忙な勤務を過ごし、
心身も余裕もなくなり、ペーパー・ドライバーとなったりしていた。

そして2004(平成16)の秋に定年退職となり、年金生活に入ったのであるが、
肝要な反射神経は鈍り、万一事故を起したら、残された人生が悲惨になる、
と思い、自動車免許書を破棄した身である。


この間、私達夫婦は子供に恵まれなかったせいか、
共通趣味の国内旅行に数多く行ったりした。
たとえば観光周遊バスの旅行に行った時、高速道路でトラックが疾走する状景を見たり、
深夜のパーキング・エリアでトラックのドライバーを見かけたりした。

もとよりトラックは、産業の原料、部品、完成品などを輸送したり、
農作物、漁業などの食料品などを過酷な勤務の中で、所定の時間に到着させる責務もあり、
私達に最も身近な宅配便の集荷・配達もして下さる今日、
私達の日常生活に欠かせないトラック輸送となっている。

このように日本の各地に走り、瞬時も息も抜けることがない職務のドライバーのお陰で、
安住できる日常生活を過ごせる日々となっている。


このように思ったりしている今日、
たまたま今回のトラックのCMを視聴したりすると、
日本津々浦々、朝夕、深夜にトラック輸送に従事するドライバーのさわやかな姿を見たリすると、
体力を衰えた私は思わず元気を頂き、励まされるのである。

そして感謝しながら、このCMを視聴したりしている。

尚、私、親戚、友人などを含めて「いすゞ自動車」には一切関係がなく、
私の現役サラリーマン時代は音楽関係の会社に勤めた身である。


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余りにも強欲な大阪府民共済・松本前理事長に、私はあきれ果てて・・。

2010-08-19 18:08:37 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
先ほど、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】を見ていたら、
《 府民共済前理事長、功労加算要求や私物化の言動 》
と見出しされにニュースを読んだりした。

私がこのサイトに朝の9時過ぎに、
【『大阪府民共済、前理事長に議決得ず退職金2億5000万円』、私は驚き・・。】
と題し、投稿したが、
この問題の続きのニュースなので、精読した。

無断であるが、記事を転載させて頂く。

《・・
       府民共済前理事長、功労加算要求や私物化の言動

大阪府民共済生活協同組合の松本一鶯・前理事長が退職金支給前、
特別功労加算金として退職金の30%(約7350万円)上乗せを求めていたことがわかった。

理事らが「あまりに高額になるのでは」と反対し、実現しなかったという。

5月の退任後にも、自ら創設した相談役のポストに就き、
「理事長室」をそのまま使い続けるなど、
非営利団体である府民共済の“私物化”ともいえる言動が浮かび上がっている。


府民共済によると、特別功労加算金は、
顕著な功績があった役員の退職金を規定額より上乗せする制度。

規定額が比較的低い非常勤理事に支払うことを想定してつくられ、
加算率が最大30%から50%に引き上げられた2006年以降で、
役員5人が退任時に50%加算を受けたという。

一方、松本前理事長が理事に相談せず、自身で決めていた月額報酬は約360万円で、
役員在職年数(27年)を加味した規定額は2億4500万円に上った。


複数の関係者によると、松本前理事長は退任時、
総務担当の常勤理事に対し、「30%の加算なら理解を得られるのではないか」
と上乗せを要求。

だが、別の理事らは規定額は知らされていなかったが、
「高くなりすぎる」などと問題視。
後任の瀬戸川徹理事長の判断で加算は見送ったという。

また、退任前の3月下旬にあった理事らの会合で、
松本前理事長は2年前に創設した相談役に就任させるよう主張。
「創業者常任相談役」の肩書で引き続き理事会メンバーに残すことや、
理事長時代と同水準の報酬の保障も求めたという。

最終的には週2日出勤する非常勤の相談役(任期2年)として月数十万円の報酬を受け取ることになり、
理事会メンバーにも入らなかったが、
今も理事長時代に使ってきた本部ビル7階の部屋を使い続けている。

瀬戸川理事長は19日の記者会見で、
加算金を認めなかった理由を
「功績があったとはいえ、規定以上に支給するのは加入者らに理解いただけないと判断した」と述べた。

また、松本前理事長が相談役に就任していることについて、
読売新聞の取材に対し、
「功績があり、急にやめさせられなかった。
松本前理事長は影響力を行使したいのかも知れないが、私が防波堤にならなければいけない」
と今後の任期延長などに慎重な姿勢を示した。

(2010年8月19日16時02分 読売新聞)
・・》
注)記事の原文にあえて改行など多くした。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100819-OYT1T00725.htm?from=top
☆【YOMIURI ONLINE】 府民共済前理事長、功労加算要求や私物化の言動☆

私は非営利団体の府民共済の基金を運用する管理の立場で、
理事長の地位を乱用し、このような恥知らず人は、あきれ果てている。

非営利団体の大阪・府民共済の理事長時代、
《・・
理事に相談せず、自身で決めていた月額報酬は約360万円・・》
の高額な役員報酬を得た上で、

私は今朝のニュースで、
《・・総代会での議決なしに、退職金2億5000万円・・》
と知り、私は動顚したと、とこのサイトに記載した。

そして今回のニュースで、
《・・松本前理事長は退任時、
総務担当の常勤理事に対し、「30%の加算なら理解を得られるのではないか」
と上乗せを要求。

だが、別の理事らは規定額は知らされていなかったが、
「高くなりすぎる」などと問題視。
後任の瀬戸川徹理事長の判断で加算は見送ったという。
・・》

或いは、《・・退任前の3月下旬にあった理事らの会合で、
松本前理事長は2年前に創設した相談役に就任させるよう主張。
「創業者常任相談役」の肩書で引き続き理事会メンバーに残すことや、
理事長時代と同水準の報酬の保障も求めたという。
・・》

結果としては、
《・・週2日出勤する非常勤の相談役(任期2年)として月数十万円の報酬を受け取ることになり、
理事会メンバーにも入らなかったが、
今も理事長時代に使ってきた本部ビル7階の部屋を使い続けている・・》


こうした経過を私は知り、
松本前理事長は府民共済に加入された約125万人(157万件)人たちを、
まぎれなく愚弄し、もてあそんだ、と私は深く感じたりしている。

もとより老害を遥かに超えた強欲なふるまいの言動に、
たとえ法治国家といえ、松本前理事長は府民共済の加入者から、
石を投げられても致し方がない、と私は思ったりしている。


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『大阪府民共済、前理事長に議決得ず退職金2億5000万円』、私は驚き・・。

2010-08-19 09:18:02 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
今朝、いつものように読売新聞の朝刊を読んで、
30面の【社会】面のひとつのニュースに苦笑しながら読んでいたのであるが、
読み終わった後は、動顚(どうてん)しながら、、
世の中には心の節度を失くし、強欲な人がいると思ったりした。

《 前理事長に退職金2億5000万円

        大阪府民共済 総代会での議決なし 》

と大きく見出しの記事であり、
この記事と同一なのが、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】に掲載されて折、
無断であるが、記事を転載させて頂く。

《・・
     大阪府民共済、前理事長に議決得ず退職金2億5000万円


大阪府民共済生活協同組合(大阪市、瀬戸川徹理事長)が、
消費生活協同組合法(生協法)で義務づけられた総代会での議決を得ないまま、
今年5月に退任した松本一鶯(いちおう)・前理事長(75)に、
約2億5000万円の退職金を支払っていたことがわかった。

大阪府は「生協法違反にあたる」として、19日に立ち入り検査する。

都道府県民共済は同法に基づく非営利団体で、
民間の生命保険にあたる生命共済などを運営。

府民共済には現在、府民の約7分の1にあたる約125万人(157万件)が加入している。

同法では、退職金を含む役員報酬は、
加入者の代表者による総代会で定めると規定している。
しかし、5月の総代会では議案書に退職金が挙がっておらず、
6月の理事会でも金額が明らかにされないまま、退職金は同月下旬に支払われた。

府は19日の検査結果次第では、業務改善命令も検討する。

松本前理事長は労働団体の幹部出身。
府民共済設立当初の1983年から常務理事を務め、1993年から理事長。

読売新聞の取材に、
「私は創業からずっと(役員を)やっており、(退職金は)当然高くなる。
非営利団体といっても、経営は大企業と同じだ」と説明している。

(2010年8月19日03時05分 読売新聞)
・・》
注)記事の原文にあえて改行など多くした。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100819-OYT1T00066.htm?from=main3
☆【YOMIURI ONLINE】大阪府民共済、前理事長に議決得ず退職金2億5000万円 ☆


私の現役時代は民間会社の中小業のサラリーマンを35年ばかり勤め、
定年退職をし、年金生活をしている無力な身であるが、
このニュースを読んでいた時、唖然(あぜん)としたのである・・。

松本一鶯(いちおう)・前理事長(75歳)は、
《・・労働団体の幹部出身・・
府民共済設立当初の1983年から常務理事を務め、1993年から理事長され、
本年の5月に退任・・》
今回の退職金の算出から推定すれば、常務理事、理事長の歴任した時代、
高額な給与を受領されていたと思われる。

その上、退職金2億5000万円に関しては、
《・・退職金を含む役員報酬は、
加入者の代表者による総代会で定めると規定している。
しかし、5月の総代会では議案書に退職金が挙がっておらず、
6月の理事会でも金額が明らかにされないまま、退職金は同月下旬に支払われた。
・・》

そもそも生活協同組合は
大正時代に米騒動や物価高に苦しんだ人たちが、生活必需品を確保するために設立したと解説文に明記され、
今日に於いては、《・・都道府県民共済は同法に基づく非営利団体で、
民間の生命保険にあたる生命共済などを運営・・》
とされている。

こうした実態の精神からして、
今回のこのような不祥事は、府民共済に加入された約125万人(157万件)人たちを、
まぎれなく愚弄し、もてあそんだ、と私は深く感じたりしている。


こうした心情からすれば、現・瀬戸川徹・理事長の采配は不信感があり、
前・松本一鶯・理事長に長年従い、高収入と理事長の座に目がくらみ、
今回のこのような事態を招いた、と妄想させられてしまうのである。


何よりも松本一鶯・前理事長は、
心の節度もなく、恥知らずの人と私は確信を深めている。

氏は府民共済に加入された約125万人(157万件)人たちを、
まぎれなく愚弄し、もてあそんだ人であり、
死ぬまぎわは、人一倍苦しまれ、そして死後は天国の世界に程遠い、
地獄の世界でさまよう人たちと私は思ったりしている。

尚、《・・非営利団体といっても、経営は大企業と同じだ・・》
とコメントされているが、高慢な言葉である。
民間企業は他企業競争はもとより、たえず切磋琢磨して、税金を支払っているのである。


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ときには、駅前の本屋で文庫本を選べば・・。

2010-08-18 18:26:50 | 読書、小説・随筆
私は東京郊外の調布市に住む65歳の高齢者の身であり、
東京の郊外で農家の児として生を受けて、
中小業のサラリーマンを35年ばかり勤め、卒業した年金生活の6年生である。

古びた一戸建てに住み、小庭の雑木、草花を眺めたり、
周辺の遊歩道、公園を散策をしたりして、日々季節のうつろいを何よりも教示されている。

ときおり、家内との共通趣味の国内旅行などをして、
各地の四季折々の限りない美に心を留め、齢を重ねるたび愛惜が深まっている。

こうした私であるが、高校時代の初め、突然に読書に目覚め、
本を読むことに深く魅せられている。


昼前に駅前の旅行代理店に予約した交通・宿泊券を受け取るために寄った後、
何気なしに本屋に寄った。

私は自宅に未読の本があったが、最新の本を眺めるのも好きであり、
こうした悪い癖は、45年ばかりの習性となっている。

教養・文藝関係の雑誌コーナーを眺め、新刊本の書棚を見たり、文庫新書の書棚、そして文庫本の書棚、
このような順番で眺めることが多い。

本日もこのような順番で見たりしたのであるが、
たまたま最後の文庫本で魅せられた2冊があり、購入した。

車谷長吉・著の『文士の魂・文士の生魑魅』(新潮文庫)であり、
新刊本の発売時に見逃した本である。

http://www.shinchosha.co.jp/book/138515/
☆新潮社ホームページ 車谷長吉・著の『文士の魂・文士の生魑魅』(新潮文庫)☆


この後の一冊は、若き日に映画青年の真似事をした私は、
映画を数多く観てきたので、瞬時に魅せられた本である。
貴田 庄・著の『原節子 あるがままに生きて』(朝日新聞出版)であり、
本書は書き下ろし、明記されている。

http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=11607
☆朝日新聞出版ホームページ 貴田 庄・著の『原節子 あるがままに生きて』(朝日新聞出版)☆

私はたった二冊の文庫本であるが、この文庫本にめぐり逢えたことに感謝し、
帰宅したのであった。


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