夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

2月の石垣島と周辺の島々の情景は・・。《3》第2章 玉取崎の展望台も風雨の中

2014-02-05 09:15:26 | 旅のあれこれ
     第2章 玉取崎の展望台も風雨の中

2月9日(土)
石垣島の地勢の中で、人形で表現するならば首のような所に、
『玉取崎(たまとりざき)展望台』があり、この展望台からは、
サンゴ礁がこの岬一帯に取り囲むように海上の100メートルぐらいサンゴ礁の城壁があり、
遥か沖合から白波が打ち寄せるのが一望できる、と称せられて美景のひとつとして知られている。

どんよりとした曇り空の中、私たちはバスターミナルから路線バスに乗り、
          
この『玉取崎展望台』の最寄バス停をめざして、一時間ばかり乗車した。

そして車中で、地元にお住まいの70代のご婦人、そして50代の男性と談笑した。
談笑は確かにしたが、生活感のある話が主体で、沖縄県の本土復帰から翻弄されてきた石垣島の社会実態であり、
さりげなく話題になる内容は近代史の歴史でもあり、私は教えられることが多かった。

こうしたことは私は旅をする時、なるべく地元のご利用される公共交通機関こそが、
その街の実態を学ぶことが多かった。

やがて玉取崎のバス停で私たち夫婦は下車し、小高い丘に展望台の東屋が観え、
          
小雨降る中、ゆっくりと遊歩道の路を登った。

確かには展望台は見晴らしが良いが、雨は本降りとなり、風はまともに受け、
傘を差しても私の衣服も濡れ、肝要の美景も霞(かす)んでしまい困惑したりした。
          

こうした中で、一時間ばかり佇(たたず)んでいる中、
麓(ふもと)の駐車場に観光バスが停まり、30数名の団体客が展望台の東屋に来たり、
観光タクシーのドライバーに導かれた方が見えたりした。

そしてお互いに、あいにくと雨と風ですねぇ、と言葉をまじえながら苦笑したりした。
          

やがて私たちも『玉取崎展望台』を退散して、玉取崎のバス停でバスを待ちわびて、
そして路線バスに乗り、市内に向っている間に、雨は止め、薄日が射し込んできた。

私たち夫婦は、10数キロの及ぶサンゴ礁のリーフとして名高い『白保(しらほ)』の最寄で、
バスから下車した。
                                       《つづく》

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2月の石垣島と周辺の島々の情景は・・。《2》第1章 川平湾は風雨の中

2014-02-04 09:11:37 | 旅のあれこれ
     第1章 川平湾は風雨の中 

2月7日(木)
曇り空の中、羽田空港から午後1時15分過ぎに予定通り飛びだった航空機は、
私は苦手な機内で本を読んだりして、那覇空港に無事に午後4時10分過ぎに着陸した後、
愛煙家の私は喫煙室でやすらぎのひとときを過ごした。

そして安堵した私は、那覇空港から午後4時40分過ぎに離陸した航空機で、
石垣空港に午後5時40分着陸をめざした機内では、
南国に旅に来た実感があるよねぇ、と客室乗務員の若き女性の南国風のお洒落な半袖のブラウス姿を見ながら、
隣席の家内に微笑みながら、話したりした。

そして石垣空港からタクシーで滞在する市内の『ホテルグランビュー 石垣』に向う途中、
ドライバーの方から、この時節は朝夕は20度前後、昼過ぎは25度前後、
と学び、私たちの住む地域の5月頃の暖かさです、と私は話したりした。

チェックイン後、私たち夫婦は指定された6階の一室に入り、宅配便で到着した旅行スーツケースを確認し、
やがて私は部屋の洋バスは苦手であるので、大浴場で安楽のひとときを過ごした。

まもなく一階のレストランで夕食をしながら、
明日から予定通り、路線バスで石垣島の島内めぐりをしょう、と話し合ったりした。

2月8日(金)
ときおり小雨が降るので、『石垣島 鍾乳洞』を訪ねよう、
とホテルのフロントの一角にある観光専門スタッフに道順を確認したら、
          
『石垣島 鍾乳鍾乳洞』のスタッフが、わざわざ歓送迎車を出迎えて頂き、
私たち夫婦は恐縮した。
          
私は鍾乳洞も興味がなかったが、家内は関心があり、洞内めぐりをした。
私は暗い洞内で、私のコンパクト・カメラでどの程度撮れるかしら、
          
と思いながら、たわむれに撮ったりした。
          
この後、鍾乳洞のスタッフの歓送迎車で、島内の路線バスの基点であるバス・ターミナルに送って頂き、
家内は下車する時、程ほどの謝礼品を手渡したりした。

今回の島内めぐりは、原則として『路線バス 5日間フリーパス 2000円』を利用しょうとした。
私の場合は、定年後まもなくして自動車免許証を更新の時に取り止めたので、もとよりレンタルカー不可能で、
年金生活の私としては観光タクシーは贅沢であるし、今後の旅路に利用することにしたのである。

島内で一番人気の白い砂浜とエメラルドの色彩の海の『川平湾(かぴらわん)』の最寄バス停留所で下車した後、
松林の中の歩道を歩き、枝越しに川平湾を観たりしながら、展望台に向った。

確かには展望台は見晴らしが良いが、雨は本降りとなり、風はまともに受け、
傘を差しても私の衣服も濡れ、肝要の美景も霞(かす)んでしまい困惑したりした。
          
18年ぶりに訪れたのに・・風か雨か・・どちらかにしてほしいよねぇ、
と私は家内にボヤきながら、デジカメで撮ったりした。
          
その後、やむやく近くの食事処で遅い昼食とした。

そして風雨の中、川平湾を退散して、路線バスを利用して、ホテルに帰館した。
          
                                       《つづく》

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2月の石垣島と周辺の島々の情景は・・。《1》序章 ひさかたに再訪【2013.2.7.~2.16.】

2014-02-03 09:30:07 | 旅のあれこれ
     序章 ひさかたに再訪 

私は東京郊外の調布市に住む年金生活の高齢者の68歳の身であり、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭に築後35年の古ぼけた一軒屋に住んでいる。

こうした中で、私たち夫婦は国内旅行が共通の趣味のひとつであり、
特に雪の舞い降る情景に魅せられて、この時節になると、雪恋し、心情となり、
過ぎし1月20日より北海道の帯広市の郊外にある十勝幕別温泉の中のひとつのリゾートホテルに、
5泊6日で滞在し、周辺を周遊してきた。

そして朝夕はマイナス15度前後、昼下がりはマイナス5度前後の多い中、
私たち夫婦は積雪ある帯広市の周辺をひたすら歩き、
ときには雪舞い降る中を童心のように歓声を上げながら、散策した。

この旅路の帰路、日本列島の南海も久々に観て見たいわ、
と家内は私に言ったりした。


過ぎし2010年に私たち夫婦は、未知の小笠原諸島の『父島』に訪ね、
家内が海上で遊泳している鯨(クジラ)を観てみたいわ、と私に言ったことが起因で、
2月24日から3月7日まで船中泊往復路2泊、『父島』のリゾートホテル滞在9泊したが、
これ以降も私たちは何かと東北、北海道地方の旅路を重ねてきた・・。

このような意味合いもあり、久々に南海の海の旅路を思案したりしてきた。
          
               
たまたま旅行通販会社の大手のクラブツーリズムに於いて、
フリープランのひとつとして、石垣島フリープラン5・10・14日間が掲載されて、
《 離島桟橋まで徒歩3分の大浴場付きホテルに連泊 》と見出しがあり、
私たち夫婦は、石垣島の島内をゆっくり周遊するのも良いかしら、と思い申し込んだりした。
http://www.granview.co.jp/ishigaki/
☆《ホテルグランビュー 石垣》公式サイト☆

私の定年退職する2004年〈平成16年〉の秋の以前の現役のサラリーマン時代は、
数多くの人たちと同様に多忙で、たとえ旅行でも日程に制約があり、
せめて時間の許される年金生活の中、程ほどの旅費で旅行ができるので、
2月7日より9泊10日で滞在旅行となった。


私たち夫婦は南海の旅路に関して、私が50代に初めに沖縄諸島の旅路をした・・。
私の勤めていた会社が勤続25年になると、有給休暇5日間を頂ける制度があり、
私たち夫婦はJALの関係の旅行会社ジャル・ストリーズを利用して、
八重山諸島の石垣島の『ホテル日航 八重山』に連泊した後、その後は沖縄本島の恩納村の『ホテル日航 サンマリーナ』、
そして首里の『ホテル日航 首里』に宿泊して、4泊5日の観光周遊旅行をした。

いずれもジャル・ストリーズの企画した宿泊したホテルから次の宿泊するホテルの間に、
それぞれの名所など周遊できる専用バスのコースがあり、利便性のあるプランを利用した。

この時に石垣島に連泊した時、石垣島の島内を周遊したり、
西表島に船で訪れて、仲間川のマングロープの中を小舟で遡ったり、その後はカンビレーの滝まで散策したりした。
その後は隣接した由布島、そして竹富島などの八重山諸島を周遊したりしたが、
カメラを持参していなかったので、心の片隅に残っているだけである。

これ以降は、沖縄の本島に2007年〈平成19年〉の10月29日から8泊9日間で、
私たち夫婦が高齢者の家内の母の要望と体調を配慮して、私たち3人は沖縄本島の一部を訪れただけである。


今回の旅路は、八重山諸島の中核の石垣島の島内をゆっくり周遊し、
     
そして西表島(いりおもてじま)の東にある新城島(あらぐすじま)を観る。
この新城島は、バラスと称されるサンゴの欠片だけで出来た白い島であり、島内散策と白い浜にたわむれ、
これくらいしか決めておらず、きまぐれに観光めぐりをしょうとした。

もとより旅先に於いては、天候、観光オプション・ツアー施行、中止などに大いに左右されるので、
果たしてどのような旅路になり、私がどのような思いで旅をしたのか、写真も添付しながら、連載する。
                                       《つづく》
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札幌市の郊外にある定山渓温泉、本日より13泊14日で訪れることとなり・・。

2014-02-02 04:18:17 | 旅のあれこれ
私は東京郊外に住む年金生活の69歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかった為か、若き新婚時代の頃から国内の旅を重ねてきた。

そして冬の時節は特に雪の舞い降る情景に魅せられて、この時節になると、雪恋し、心情となり、
過ぎし昨年の1月20日より北海道の帯広市の郊外にある十勝幕別温泉の中のひとつのリゾートホテルに、
5泊6日で滞在し、周辺を周遊してきた。

こうした中、朝夕はマイナス15度前後、昼下がりはマイナス5度前後の多い中、
私たち夫婦は積雪ある帯広市の市内、周辺をひたすら歩き、
ときには雪舞い降る中を童心のように歓声を上げながら、散策した。


この旅路の帰路、日本列島の南海も久々に観て見たいわ、と家内は私に言ったりした。

過ぎし2010年に私たち夫婦は、未知の小笠原諸島の『父島』に訪ね、
家内が海上で遊泳している鯨(クジラ)を観てみたいわ、と私に言ったことが起因で、
2010年2月24日から3月7日まで船中泊往復路2泊、『父島』のリゾートホテル滞在9泊したが、
これ以降も私たちは何かと東北、北海道地方の旅路を重ねてきた・・。
         
このような意味合いもあり、久々に南海の海の旅路を思案したりしてきた。
結果的には、ある有力な旅行通販会社の企画のフリープランのひとつとして、
石垣島フリープラン5・10・14日間が掲載されて、
《 離島桟橋まで徒歩3分の大浴場付きホテルに連泊 》と見出しがあり、
私たち夫婦は、石垣島の島内をゆっくり周遊するのも良いかしら、と思い申し込んだりした。

そして石垣市の市内のビジネスホテル風のホテルに、昨年の2月7日より9泊10日で滞在し、
石垣島の島内、石垣島の周辺に点在している島々を遊学したりした。

やがて昨年の12月になると、雪舞い降る情景を観たいねぇ、
と私は家内に言ったりして、旭川市の郊外にある天人峡温泉に、
12月5日より3泊4日で訪れ、スノーパウダーと称されている粉雪(こなゆき)舞い降る情景に心を満たされたりした。

そして本年の1月に、函館市の郊外にある湯の川温泉の観光ホテルに、
13日より4泊5日で滞在して、函館市の市内、郊外を歩き廻り、遊学してきた。
          

今回の札幌市の郊外にある定山渓温泉の観光ホテルに13泊14日で訪れることとなったのは、
ある有力な旅行通販会社から郵送されてくる小冊誌の中に、
《 定山渓温泉の観光ホテルに14日 》と題したフリープランが掲載されていた。

そして家内が、こうした処で、ゆっくりと過ごすのも良いわ、と呟(つぶや)くように言ったりした。

私たち夫婦の平素の年金生活の中で、私は家内に殆ど家事全般お任せしている身である。
そして私は何かと家内に対しては、日頃の感謝を実感している私は、
家内の願いを叶(かな)えるのも、具体的な責務と思い、
『行きましょう・・』と元気な声で応(こた)えたりした。

こうした私の心情の根底には、お互いに元気で意欲のある今、行きたい所に行ければ、
良いと思ったのが、本音である。

こうした私たち夫婦の数多い旅路として、最も長期の13泊14日となったが、
この間は定山渓温泉地、周辺、そして札幌市内の各地に訪れる予定である。

そして幾たびか冬の札幌市内の訪れてきたが、東京の田舎者の私は、
どのように感じるか、後日の帰宅後に投稿文を重ねる予定である。

尚、旅行の2日から15日まで、投稿文に関して、
昨年のこの2月に於いて、石垣島を訪れたので、
《2月の石垣島と周辺の島々の情景は・・。》として題して、
昨年の旅路を13話ばかり写真を含めて再編集をしますので、
この間、予約セットし公開しますので、お読み頂き、ご笑話を願えれば幸いであります。

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2月の時節は、梅見月、或いは雪見月、と東京の田舎者の私は思い馳せて・・。

2014-02-01 09:51:50 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市の片隅に住む年金生活の69歳の身であり.
今朝ぼんやりとカレンダーを眺め、『睦月(むつき)』の1月のカレンダーに
愛惜を秘めながら別れを告げた後、
新たな『如月(きさらぎ)』の2月のカレンダーを見ながら、
ようこ~そ、と心の中で呟(つぶや)いたりした。

過ぎ去ってしまえば、新年を迎えて最寄りの神社、寺院を訪れたり、
そして三寒四温の中、近くの遊歩道、公園などをひたすら歩き廻ったりした。
或いは北海道の函館市の郊外にある湯の川温泉の観光ホテルに4泊5日滞在し、
函館市内、周辺を歩きながら遊学したりしてきたが、齢を重ねるたびに早く感じたりしている。

しかしながら私の住む世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域は、
昨年の12月頃から平年より寒い日が多かったので、
我が家の小庭にある水仙(スイセン)も莟〈つぼみ〉も見えず、
白梅(ハクバイ)、そして紅梅(コウバイ)は莟〈つぼみ〉が固く、
平年より数週間は遅れているのかしら、と苦笑をしたりしてきた。

私は幼年期に農家の児として育った体験を重ねたりすると、2月の『如月(きさらぎ)』は、
やはり『梅見月』、或いは『雪見月』かしら、と東京の田舎者の私は思い馳せたりした・・。

平年のこの2月の私の住む地域は、1月には水仙(スイセン)が咲き始めて、
我が家の小庭でも咲き、冬麗の美を感じ、深めてきた・・。
            
             ☆2007年2月旬、たわむれに我が家の花を撮ったりした☆

そして2月中旬の頃になれば、玄関庭にある白梅が、遅れてご免なさい、と言ったように、
恥じらいながら数輪咲き始めて、やがて白梅は凛とした純白の色合い、
紅梅は華やかな朱紅色の色あいに圧倒的に魅了されて、毎年過ごしてきた・・。                         

こうした中で、澄み切った青空の中、陽射しは燦燦(さんさん)となる日には、
早春の清麗の美として、毎年感じたりしてきた。
ときおり玄関庭に下り立ち、昼下りの陽射しを燦燦と受けた白梅の花が、静寂の中に咲き、
私は微笑みながら、長らく見つめたりした。
                    
そして梅の純白の花は、ときおり微風が吹くと、
かすかに花びらが揺れて、まぎれない美を幼年期の頃から、私は感じたりしている。

朝方のひとときは、この世に比類のない清麗の美を感じ、
昼下りの陽射しの中では、早春の訪れを実感させられ、
夜の薄闇の中に於いては、白き花が浮かんだりした情景を眺めると妖艶さも感じさせる多彩な花であるが、
私は四季折々の花木の中で、特に魅了される花のひとつである。

そして私は恥ずかしながら俳句を詠(よ)む素養はないが、たわむれに数句を脳裏に浮かべたりした・・。

     凛(りん)として ほのかに匂ふ 梅の花

     梅の花 人知(ひとし)れず咲き 匂い寄せ

こうした中で、白梅(ハクバイ)より10日ぐらい遅れて咲いてくれるのが紅梅(コウバイ)であり、
少し華やいだ情景が享受できる。
          

しかしながら3月の女の児の祝賀会の『桃の節句』までは遠い時節であり、
三寒四温の中、天上の気候の神々の采配により、私の住む地域でも3年に一回ぐらいで、
わずか5センチ前後の雪が降ることもある・・。
      

私は幼年期は東京郊外の農家の児として育ち、遥か60年前の1951年〈昭和26年〉の当時、
この冬の時節に30センチ前後の雪が数回は降ったりしていた。、

その後、1955年〈昭和30年〉の頃から、都会の人たち達が周辺に家を建てられ、
私が小学校を卒業した1957年〈昭和32年〉であるが、
この頃になるまでベットタウンの住宅街に大きく変貌した。

やがて1964年〈昭和39年〉に東京オリンピックが開催された時代になると、
数年に一回程度、15センチぐらいが降るが、この間は殆ど数センチ前後の小雪となっている。
          
こうした幼年、少年期を体験した私は、この時節の寒い時期を迎えると、心の奥底に雪恋しとなり、
私が40歳を過ぎた頃から、家内と共に毎年、この時節になると北の地域に旅行し、
雪の情景を享受してきている。
          
          ☆2013年2月、札幌市の郊外にあるリゾートホテルに滞在して、北海道大学の中を散策させて頂いた☆

          
          ☆こうした旅路の中、周辺にある支笏湖を訪れたりした☆

こうした齢ばかり重ねた東京の田舎者の私としては、この2月は『梅見月』、或いは『雪見月』かしら、
と思い深めたりしている。

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