夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

本日の私の投稿文、何かと単細胞の私の早とちりと知り、赤面しながらお詫び

2020-08-16 19:33:05 | ささやかな古稀からの思い
本日の私の投稿文、
『 モーリシャス沖重油流出―小泉環境相こそが、最優先として現地を視察を期待していた・・』
と題して投稿した・

たまたま愛読している時事ドットコムニュースを見たりしている中で、
『 専門家らの派遣へ調整 モーリシャス沖重油流出―小泉環境相』の記事を読んだりした次第です・・。

そして小泉進次郎環境相は15日、
《・・インド洋の島国モーリシャス沖で起きた貨物船からの重油流出事故を受け、
「専門家と職員の派遣を(関係省庁と)調整している」と明かした。

サンゴ礁などへの影響を確認した上で、具体的な支援策を打ち出す。東京都内で記者団に語った。・・》

こうした公言を私は読み、何かと単細胞の私は、
環境省の管轄範囲、と思い込んだ次第です。

しかしながら本日の10時過ぎ、舶匝(@online_checker))さまよりコメントを頂き、

夕方に私は気付いたりしました。

>環境省ではなく、国土交通省とその外局・海上保安庁の所管です。
>油濁汚染対策を司る外郭団体・海上災害防止センターも、
>国土交通省の外局・海上保安庁の所管です。
>なので、出るべきは、国土交通大臣であって、環境大臣ではないのです。




こうした私の早とちりと知り、無学な私は赤面しながら、
教えて下さいました舶匝(@online_checker))さまに、
コメント欄でお詫びした次第です。

今回の私の投稿文をお読み下さった諸兄諸姉、
そして名指しでご迷惑をお掛けした小泉進次郎環境相に、
惑わしたことを含めて、深くお詫びいたします。
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モーリシャス沖重油流出―小泉環境相こそが、最優先として現地を視察を期待していた私は・・。

2020-08-16 09:54:49 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の75歳の身であるが、
過ぎし8月12日、日本の貨物船がインド洋の島国モーリシャス沖で座礁して重油が流出した事故で、

同国政府は8月12日、船内のタンクに残っていた重油の回収がほぼ終了した、
テレビのニュースを視聴した。     

何かしら貨物船は長鋪汽船(岡山県)が保有し、商船三井が運航していた「WAKASHIO」。

7月25日にモーリシャス沖で座礁、今月6日から重油が漏れ始めた。
積んでいた約3800トンのうち推定1千トンが流出したとみられ、
船内に残っていた重油を小型タンカーに抜き取る作業が続いていた。

そしてロイター通信によると、沿岸の海は黒く染まり、
油にまみれて死んだ魚やカニ、海鳥などが見つかっている。

多数の住民やボランティアが海岸を清掃したりバケツで重油をくみだしたりしている。

こうした中、サトウキビの葉やペットボトル、
人の頭髪などを詰めた手製のオイルフェンスを海上に浮かべて、
重油の拡散を防ぐ作業も行われており、
豊かな自然や住民の暮らしへの影響は続きそうだ、
このように報じて、無力な私でも震撼させられたりした・・。



この後、現場周辺は重要な湿地保全のためのラムサール条約に指定され、
モーリシャスは豊かな自然と多様な生物で知られ、
主要産業である観光業への打撃は、不可避との見方が出て、
経済のほか安全な食料の確保、健康被害なども懸念されている、
と私はテレビのニュースを視聴して、動顛させられた。



今朝、ときおり愛読している時事ドットコムニュース【 JIJI.COM 】を見たりしている中で、
『 専門家らの派遣へ調整 モーリシャス沖重油流出―小泉環境相
』と見出しされた記事を読んだりした・・。

《・・小泉進次郎環境相は15日、
インド洋の島国モーリシャス沖で起きた貨物船からの重油流出事故を受け、
「専門家と職員の派遣を(関係省庁と)調整している」と明かした。

サンゴ礁などへの影響を確認した上で、具体的な支援策を打ち出す。東京都内で記者団に語った。

https://www.jiji.com/jc/article?k=2020081500399&g=int
【 JIJI.COM 】==>座礁船また燃料流出 船倉に百トン、船体ねじれ―モーリシャス★

小泉環境相は「生物多様性の損失につながる重大な危機だ」と強調。
「環境省としても傍観してはならない」と述べた。

職員や専門家からの報告を踏まえ、
政務三役の派遣を検討していることも明らかにした。・・》 



このニュースを読みながら、小泉進次郎環境相こそが少人数の職員や専門家を率いて
まず現地の首脳、その後に現地の沿岸一帯を視察するべきだ、
と私は無力ながら思い深めたりした。

もとより現地の首脳、その後に現地の人々に謝罪する言動が、最優先であり、
こうした言動こそが同国はじめ、そして欧米諸国に対しての日本の良識あるメッセージとなる。

特に環境問題は世界各国の優先事項としての難題であり、
こうした姿勢が必要あり、無念ながら小泉進次郎さんは、
環境大臣としての感性による責務が少し欠けている、と私は失望をしている。
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戦争を知らない私でも、国民のひとりとして哀悼の意を表し、黙祷を重ねて50数年が過ぎて・・。

2020-08-15 12:34:25 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む75歳の年金生活の身であるが、
朝の7時過ぎ洗面した後、庭のテラスに下り立ち、襟を正して、

都心の皇居に向かって黙祷した・・。

私は1944年〈昭和19年)9月下旬、今住んでいる近くで農家の三男坊として生を受け、
翌年の1945年〈昭和20年)8月15日に日本は連合国に降伏し、敗戦となった時、
一歳未満の乳児であったので、戦争を知らない世代のひとりとなっている。

後年になると敗戦する数年前の状況に関して、祖父、父、母、叔母の同居する人たちから、
或いは親戚の叔父、叔母からも、この当時のことを教えて貰ったりしてきた・・。

         

この当時、住んでいた北の方面には軍事戦闘機を製造する中島飛行機の工場があり、
西の方面には軍事物資を生産する軍需工場とされた東京重機が数キロ先にあった為、
ときおり近くに爆弾が落ち、空襲警報のたびに、
宅地から少し離れた生家の崖の雑木林にある防空壕に避難した、と話しを聞いたりした。

祖父と父か中心となって、程ほどの広さの田畑を耕し、
人手の足らない時は小作人の人々の手も借りたりしていた時代でもあった。

そして空襲警報が発令されると、何をおいてもとりあえず防空壕に避難したので、
慌しい恐怖の時代でもあった。

少しばかり遠方にあった軍事物資を製造する場所、軍用機を生産している場所を目標に、
米軍の爆撃機が幾たびか飛来し、爆弾を大量に落としたのであるが、
ときには付近の田畑、雑木林に落下した、 と後年に親戚の叔父さんに私は教えて貰ったりした。

そして250キロの爆弾と言われても私は定かでないので、
更に教えを乞うと、今で言うと大きなプロパンガスぐらいょ、と叔父さんは私に教えてくけたりした。

やがて私は大きなプロパンガスのような爆弾が、空から大量に降ってくる状況を想像すると、
身も心も身震いをしたのは、高校生の頃であった。

そして後年に、1944年(昭和19年)11月24日、アメリカ軍は、
大型長距離爆撃機の『B29』がマリアナ諸島を飛びだった111機が東京に初空襲し、
目標は中島飛行機の工場だった、と学んだりした。

        

その後、幾たびか東京の都心にも空襲し遭い、決定的な東京の大惨事は、
1945年(昭和20年)3月10日、『B29』が320機以上が、
1600~2200メートルの超低高度で、夜間に焼夷弾攻撃という新戦術が、
本格的に導入された初めての空襲であった。

その目的は、市民の生活の場である木造家屋が多数密集する下町の市街地を、
そこに散在する町工場もろとも焼き払うことにあった。

結果として、大きくの街は焼かれ、焼け焦げた遺体の山となり、死者・行方不明者は10万人だった、
と記載されたいた。


私の生家は、戦時中の頃は、玄関の中は広い土間となり、
その一角の壁面に、各自の綿入れの布地の防空頭巾をつるしていた。

そして空襲警報が発令されると、祖父、父、母、叔母の人々に導かれて、
私が生まれてまもない頃の時は、長兄は5歳、次兄は2歳であったので、
防空頭巾をかぶしてもらい、手をひかれながら、防空壕に避難された・・。

私は乳児であり、おしめの取れない時期であったので、
母たちは何かと大変だっただろう、と思い返したりしている。

後年になると、叔母たちが話されたので聞いたりすると、
この当時は、防空壕の内部の土の上に藁(わら)を敷いた上に、莚(むしろ)か茣蓙(ござ)に座り、
家族全員で互いの安否を確認した上で過ごした、と教えられたりした。

        

私が小学3年生の頃になると、図画の授業で先生に我ら学童は引率されて、
学校の近辺の丘陵の雑木林に行った時、
コンクリートできた高射砲の台の跡が数多く見受けられた。

もとより戦時中、アメリカ軍の飛行機の来襲に備えて、高射砲で向かい撃つ態勢で、
造られた形跡であった。
そして上空から見えにくいようにコールタールの黒色に塗られていた。

この頃までは、小学校の帰路に寄り道をすると、数多くの防空壕が見受けられたり、
生家の防空壕も小学の後年の頃までは遊んだりした。

生家の雑木林の崖の一角に、縦横1.8メートルぐらいの入り口に木戸があり、
少し入ってまもなくすると、横に掘られ横幅が広くなり、奥は8メートルぐらいと感じたりした。
わずかに湿度を感じたりしたが、広間のようにゆったりとしていた。

後年の成人になった私は、
防空壕は入り口からまもなく角度が横になったのは、万一の爆風を避けることであろう、
そして幾分広めの内部は、平素の農作物の保存場所に併用していた、
とおぼろげに思ったりした。

この私の生家の防空壕は、私が中学に入学してまもない時、
都道が新設されることとなり、跡形もなく付近の田畑、雑木林も含め、

住宅街に大きく変貌したのであった。

このように戦争を知らない私は、防空頭巾、防空壕、高射砲台の跡、
後年の後づけとして知ったりした程度である。

       

このようなことを思い馳せたりしていたが、
もとより防空頭巾は、アメリカ軍の爆撃機が飛来して空から爆弾を落としたり、焼夷弾で焼き尽くしたり、
軍事生産地、住宅街などに大打撃を与え、住民も殺傷する目的を防ぐ目的であるので、
地上にいる人たちは余りにも残酷で、戦争は悲惨である。

敗戦となった日本は、数多くの方は家族を亡くされ、住まいも焼かれ、財産も失くしたが、
国からの賠償もなく、国民ひとり独りが立ち上がり、敗戦後の日々を歩みだしたことに、
私はただ項垂(うなだ)れるばかりで、当時の人々に思いを馳せると、胸が熱くなる。

私は小学校の高学年の時、一葉の写真を見た時は、
その夜は子供ながら、浅い眠りとなった。

この写真は、天皇陛下の横で悠然とたたずむマッカーサー元帥の姿であった。
そして私の生を受けた日の一年後であったので、なおさら後年に印象深く、私の心に残った。

1945年(昭和20年)9月27日、
昭和天皇が東京・赤坂の米国大使館に、マッカーサー元帥を訪問した写真が、
2日後に新聞各紙に掲載された写真であった。

モーニング姿で直立する陛下の隣で、開襟シャツの元帥が腰に両の手を当てて悠然とたたずむ、
まさに勝者と敗者の違いを伝えている一葉であった。

             
☆たまたま2015年の5月に、福永文夫・著作の『日本占領史 1945-1952 東京・ワシントン・沖縄』(中公新書)を購読したが、
この本の帯に、昭和天皇が東京・赤坂の米国大使館にマッカーサー元帥を訪問した情景の写真があり、今回あえて掲載した☆
 
私は都心にある高校に入学した1960年(昭和35年の)春、特に日本史、世界史が好きとなり、
こうした中で、まもなく週刊誌『朝日ジャーナル』、そして近代史の書物も乱読してきた。

やがて22歳の頃から、沖縄戦が事実上終結した6月23日の『沖縄慰霊の日』、
原爆という余りにも過酷で悲惨な8月6日の『広島被爆』、そして9日の『長崎被爆』、
まもなく15日の『終戦記念日』と称せられる『敗戦記念日』は、黙祷をして50数年は過ぎている・・。

こうした根底には、かの大戦で、余りにも多くの方たちが亡くなわれて、
尊い犠牲の上で、今日の日本の心の平和の礎(いしずえ)である、と思いながら、
戦争を知らない私でも深い心の傷として、今日に至っている。

このような思いから、私は国民のひとりの責務として、
こうした日は、人々に哀悼の意を表して、黙祷をし、尊い命の冥福を祈っている。 

こうした中、若き10、20代の御方には、
少なくとも日本の過去には、こうした現実があった、と認識して欲しい、固く願っているひとりである。


          


私はここ15年ばかり、この15日に於いては、
都心の千代田区の千鳥ケ淵戦没者墓苑の碑に刻まれた両陛下の詠まれた歌に、
思いを重ねたりしている。

   国のため いのちささげし
      人々の ことを思えば 胸せまりくる         
                       昭和天皇

   戦なき 世を歩みきて
      思ひ出づ かの難き日を 生きし人々
                       平成天皇

私はこの歌を深く拝読するたびに、思わず胸が熱くし、
その時代を少し学んできた歳月に思いを馳せ、まぎれない鎮魂曲のように感じている。

          

この昭和天皇の歌の思いは、
靖国神社から程近い所にある千鳥ケ淵戦没者墓苑は、
訪れる人も少なく、この季節は蝉時雨が響き渡る情景の中、 詠まれた伝えられている。

平成天皇の歌は、戦後60年の年の歌会始の儀で詠まれた、と報じられていた。

そして昭和天皇の御製の碑と向き合う形で、
2005年(平成17年)9月に平成天皇の御製の碑が完成した、
と確か読売新聞で読んだりし、私はつたない身ながら学び、思いを深めている・・。
          
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東京都医師会の尾崎会長、「今すぐ必要」な三つの対策、無力な高齢者の私でも学び、瞬時に賛意を深めて・・。

2020-08-14 12:48:58 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の75歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後41年を過ぎた古ぼけた一軒屋に住んでいる。

こうした中、最高気温が35℃以上の猛暑日が5日間が続き、
戸惑ったりしている。

更に新型コロナウィルスの烈風が各地で発生し、
イベントの中止も多く、外出自粛の風潮となっている・・。



過ぎし7月の月末、東京都医師会の尾崎治夫(おざき・はるお)会長は、
「良識のある国会議員のみなさん、コロナに夏休みはない。
国会をひらき、国がすべきことを国民に示してほしい」
と早急な対応をテレビのニュースで知ったりした。

この後、『AERA 』の2020年8月24日号に於いて、
尾崎会長が単独インタビューに応じて、「今すぐ必要」な三つの対策を公言されていた・・。

無断であるが要約させて頂くと下記の通りとなる。



★特措法改正で休業要請

まず、新型コロナ対策の特別措置法を改正して、
強制力のある休業要請を全国のエピセンター化している地域限定で徹底的に行う。
具体的には14日間休業してもらう。

14日間自粛すれば、そこでの感染は理論的には収まる。
その間にその地域のPCR検査を一斉に行い、
そこでの感染者がどのくらいかを把握し対策を練る。

休業要請を守っていただけないところは、罰則を伴うようにする。
休業補償は、きちんとつける。




★感染症法を改正してPCR検査を拡充すること。

現在、感染症法によって行政が実施する行政検査はすべて保健所の判断で行われるが、
保健所の電話回線はパンク状態。

また都内には専門外来の他、4月に東京都医師会主導でつくったPCRセンターが約40カ所あるが、
7月に入って一部で1日に検査を受けられる人数の上限を超えた所も出ている。
しかも、予約が必要だ。

そこで私が考えているのは、都内全域に1400カ所、人口1万人当たり1カ所の割合で
内科系のクリニックを中心にPCR検査を可能にすること。
もちろん、原則無料です。
すでにいくつかの区で手を挙げてくれている医師たちがいますから、遠からず実現できると思います。




★新型コロナ専門病院の設立です。

コロナ患者を診るためには、病床をつぶし医師や看護師を集中させないといけないため、
他の診察や手術ができなくなり病院の収入が減っていく。
すでにコロナの影響で外来患者が減少し倒産した病院もあります。

さらに、時間がかかる入院の調整をスムーズに行うためにも、絶対にコロナ専門病院は必要。
都内で言えば、少なくとも500床の病院を四つ、計2千床を「都立」でつくってほしい。


これら三つの対策は、東京だけではなく、日本中に求められます。




■今動かなければダメ

「GoToキャンペーン」の悪影響がなく、
飲食店の営業自粛や小池百合子都知事の働きかけなどが功を奏すれば、
今回の東京の波は9月頃には収まる可能性もあるが、問題はその後。

私が心配しているのは、秋からのインフルエンザの感染拡大だ。
その時にコロナが流行するのが一番怖い。
インフルエンザとコロナが同時に流行すれば、今度こそ医療は崩壊する。

そうならないために、すぐに特措法を改正し、休業要請に法的拘束力を持たせ、
発火点となる場所を徹底的に抑える。

政治のスピード感から考えると、今から動かないと間に合わない。

私は良識のある国会議員のみなさんに訴えたい。
「コロナウイルスに夏休みはない。
一刻も早く国会を開いて、国ができること、しなければいけないことを
国民に示して国民を安心させてほしい。それは政治の役割だ」




■政府は各自治体に「丸投げ」おかしい

国が各地の知事に強制的に店舗を休業させる権限や補償の財源など、
戦(いくさ)でいう「武器」を持たせるなら任せてもいい。

しかし武器を持たせず、責任だけ自治体に押し付け文句ばかりを言う。
先日、沖縄でコロナの療養ホテルの確保が追いついていないことに
菅義偉官房長官は記者会見で苦言を呈したが、丸投げしておいてそれはおかしい。




このようなことを学び、尾崎会長の「今すぐ必要」な三つの対策は、
まぎれなく正鵠と思い深めたりしている、

もとより難題のひとつは補償の財源であるが、
日本の財政に長らく無知だった私でも、
財政の実態に最も詳しい高橋洋一さんの書物より多々学んできた・・。

こうした財政面を配慮しても、
尾崎会長の「今すぐ必要」な三つの対策』に準じた総合施策を早期に対応しなければ、
国民の健康と社会経済は崩壊すると、何かと気弱な私は思い深めてきた・・。



そして私は自粛の延長戦として、無力な私でも大切な社会経済の復興を願うが、
自分の身は自分で守る、大切な生活指針としている。

こうした根底には、新型コロナウイルスの難題に対しては、新たなワクチンしか、解消できないと学び、
世界の主要国で、それぞれ専門分野の御方が英知と鋭意で開発して下さり、
やがて私たち国民が誰しも安心して接種できるまで、
それぞれの多くの人は、大なり小なり自粛生活の延長戦が余儀なくされる、
と私は思い深めたりしている。




日本に於いては、山積する難題が多い中、直面している社会経済の復興、そして新型コロナウイルスの
終息まで、
政府が国民に明示すれば、殆どの国民は従う習性がある健全な人々であるので、
政府として、具体的な指針を国民に緊急に提示するのが責務でもある。
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「病床数少ない県ほど健康」データ、自分の健康は自分で守る、高齢者の私は学び、多々教示させられて・・。

2020-08-13 14:39:51 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の75歳の身であるが、
先程、ときおり愛読している公式サイトの【 NEWSポストセブン 】を見たりしていた。


こうした中で、『 「病床数少ない県ほど健康」データ、自分の健康は自分で守る 』
と見出しを見たりした。

私は60代の時は、病院に通院することは同世代の知人と比べて少なかったが、
70代になると内科、眼科、整形外科、歯科医院など通院した体験をしている。

このような深情を秘めた私は、今回の記事に、どのようなことですか、
と思いながら記事を読んで、やがて多々教示させられた。

この記事は『女性セブン』の2020年8月20・27日号に掲載された記事のひとつで、
関連の公式サイトの【 NEWSポストセブン 】に8月12日に配信され、
無断であるが転載させて頂く。



《・・病気を治すために行くのが、病院。
しかし、治療を受けた結果、寿命が縮んでしまうこともありうるという。

東京都立大学名誉教授で長年にわたって健康に関する大規模調査を行ってきた医師の星旦二さんは
「そもそも病院は危険なところ」と警鐘を鳴らす。



「しかし、国民皆保険制度があって気軽に受診しやすい日本人には、その認識が足りない。

EU事務局の調査では、病院の医療事故で亡くなった人は、
年間約14万人にのぼり、EU市民の53%が病院を危険な場所だと認識している。

その一方、日本人の9割以上が『病院は安全』と思っているのです」(星さん・以下同)

その証拠に、星さんが行った調査によると、
全国で寝たきりの人が少ないのは、1人あたりの病床数が少ない、
つまり病院数が少ない県が多く、特に長野県や山梨県が顕著だというのだ。

「これらの地域は、水や空気がきれいで自然豊かな場所であり、
住みやすいという前提はあると思いますが、多少の体調不良では病院に行かず、
自分の健康は自分たちで守ろうとする意識が高いことも、
寝たきりの人が少ない大きな理由の1つだと考えられます。

病院から遠ざかることで『ピンピンコロリ』を実現できているのです」



星さんによれば、肝臓がんの県別死亡率も
「病院いらず」を裏づける重要なデータだという。

「肝臓がんの大きな原因は、大量飲酒だといわれていますが、
男性の肝臓がんによる死亡率を見ると、
新潟、岩手、秋田などの“酒飲み県”や泡盛を好む沖縄の数値は、
それほど高くない。

この中でも死亡率がもっとも低い沖縄は、福岡や大阪の3分の1程度です。

実は、肝臓がんの原因の多くは飲酒ではなく、
予防接種などの際にC型肝炎ウイルスのついた注射器を使い回していたことをはじめとする、
医療事故によるものなのです」

つまり、よかれと思って受けていた医療行為がもととなり、
がんを発症してしまった人が、多くいるということだ。

「福岡や大阪、広島など明治維新以降に医学部が作られた地域で、
肝臓がん死亡率が高くなっている一方、
最後まで医学部が作られず医師不足が叫ばれていた沖縄で
死亡率が低いのがその証拠でしょう」



医療を受けない人の方が健康を保てるというのは皮肉なものだが、
新潟大学名誉教授で医師の岡田正彦さんも
「下痢や風邪など、家で寝て治した方がいい病気も多い」とも指摘する。

「これらは病院で診てもらっても、不必要な薬を出されるだけです。
下痢は悪いものを出し切らなければならない。
下痢止めで、排便を止めてしまうとかえって治りが遅くなる。

発熱を解熱剤で下げることや、女性に多い膀胱炎も同じです。
安易に抗生物質を服用すると耐性菌を生むことになるため、
まずは水分を多めにとって悪い菌を出し、様子をみてみることも必要です」(岡田さん)



北海道科学大学薬学部客員教授で感染症専門医の岸田直樹さんも、
病院に駆け込む前に、まずは家で療養できないかと考えるべきだと声をそろえる。

「風邪で病院に行ったところで、できることはない。
胃腸炎も、本来は自然に快方に向かう。

病院で点滴してもらうものだと思っている人も多いが、
点滴の内容に何か特別な成分があるわけではありません。

最近は『OS-1』のような点滴と変わらない経口補水液も市販されているので活用してほしい」




病気の治療のほか、病院に行く用事としては、健診・検査が挙げられる。
だが、これも種類によっては危険性がないとはいえない。

「そもそもリスクのない検査は、存在しません。
レントゲンやCTスキャンには、放射線の被ばくや造影剤のアレルギーなどといったリスクがある。
マイナス面もあることを理解しておいた方がいいでしょう」(岸田さん)


数ある検査の中でも、岡田さんは特に「糖尿病の検査と肺がんの検査はおすすめできない」と話す。

「血液検査から血糖値を計る方法ならば問題ありませんが、
甘い水をのんだあとに血糖値を測る『経口ブドウ糖負荷試験』は避けるべき。

人間ドックなどで幅広く行われていますが、
この検査はもともと糖尿病を患っている人であれば、グンと血糖値を悪化させるし、
そうでない人でも体に負担がかかる。

また、胸部レントゲンによる肺がん検診は、放射線被ばくにより、
かえってがんを発生しやすくしているという報告もあります」



星さんも海外の研究を挙げて言う。
「北欧フィンランドでの調査では、健診を全く受けていないグループの方が
そうでないグループよりも15年後の生存率が高かったというデータがある。

元気に長生きするために大切なのは、検査よりも予防。
適度な運動や質のよい睡眠、快適で住みやすい家づくりに尽力した方が、
病院に頼るよりも、よっぽど長生きできるのです」・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。



私は
健診・検査に於いて、レントゲンやCTスキャンの検査を幾たびに受診してきたが、
今回《・・放射線の被ばくや造影剤のアレルギーなどといったリスクがある。
マイナス面もあることを理解・・》と教示させられたりした。


或いは《糖尿病の検査と肺がんの検査》に於いては、
《・・甘い水をのんだあとに血糖値を測る『経口ブドウ糖負荷試験』は避けるべき。・・》と教示させられ、
今後に検査があった時は、避けようと学んだりした。



いずれにしても最も肝要なことは、
《・・元気に長生きするために大切なのは、検査よりも予防。
適度な運動や質のよい睡眠、快適で住みやすい家づくりに尽力した方が、
病院に頼るよりも、よっぽど長生きできるのです・・》


こうしたことに、そうですよねぇ・・と瞬時に賛意し、微笑んだりした。
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斎藤明美さん著作の『高峰秀子との二十年』を購読して、やがて過ぎし年の思いを馳せて・・。

2020-08-12 14:40:05 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住んでいる年金生活の75歳の身であるが、
4日前に駅前に買物に行った時、やがて駅ビルの中にある本屋に寄ったりした・・。

まもなく単行本、そして新書本、やがて文庫本のコーナーを見たりしていた時、
懐かしい高峰秀子さんの表紙がされている文庫本を私は手に取ったりした・・。

https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784794224514
★【版元ドットコム】 草思社文庫 斎藤明美・著作の『高峰秀子との二十年』★

私は10数年前の頃は、物狂いのように高峰秀子さんに関する本を熱愛して、
購読してきたが、この後は平熱となり、本棚に20数冊の本が鎮座している。

何かしらこの本は、2011年に新潮社より、
『高峰秀子との仕事』の『1』、
そして『2』を台本とし改題し、文庫化にしたものである、
と明記されていた。




斎藤明美さんが週刊誌の契約社員として、高峰秀子さんに初めてインタビューの依頼する時の心情、
やがてインタビューする時の心情、しぐさ、あますことなく発露されて、
やがて初めて高峰秀子さんのお宅に訪問する、その後も幾たび仕事を通して、心の交流を重ねてる。

こうした中で、高峰秀子さんの女優を引退された後、随筆を重ねている日常の中、
言葉、しぐさ、生活信条に魅了され、斎藤明美さんが一冊の本を書き上げて見たい深情となったりした。

やがて斎藤明美さんは苦心惨憺をされ自己格闘をされながら、
高峰秀子さんへの強い思いが増して、
高峰秀子さんを敬愛を深めながら、心に秘めていることなどを深淵まで描き、
文筆家として成長されて、一冊の本を上梓される。

このような過程を読みながら、斎藤明美さんの思い、意志に私は魅了されて、瞼が熱くなったりした。



過ぎし2014年の3月下旬、駅前の本屋で、
新書コーナーの視たりしていると片隅に、
監修・斎藤明美『高峰秀子』(キネマ旬報)と少し厚い本があった。

そして私は手に取ると《 高峰秀子三回忌 永久保存版 》と明記されて、
 過ぎし日の2010年(平成22年)3月に発行、と私は読み、見逃していたょ、

心の中で呟(つぶや)いたりして、購読したりした。



私が二十歳の時は、東京オリンピックの開催された1964年〈昭和39年〉の秋の時であったが、
大学を中退し、映画の脚本家になりたくて、映画青年の真似事をしていた時期で、
オリンピックの競技には眼中なく、京橋の近代美術館に通っていた。

戦前の邦画名作特集が放映されていたので、
数多くの戦前の昭和20年までの名作を観ることが出来た。

この中の作品の中で、山本嘉次郎・監督の『綴方教室』(1938年)、
そして『馬』(1941年)も観て、天才子役、少女と称せられた高峰秀子さんの存在を実感させられた。

私はこの当時の1964年に於いては、 少なくとも木下恵介・監督の『二十四の瞳』(1954年)、
成瀬巳喜男・監督の『浮雲』(1955年)、 木下恵介・監督の『喜びも悲しみも幾歳月』(1957年)、
松山善三・監督の『名もなく貧しく美しく』(1961年)等は当然のように鑑賞していた。

そして封切館で松山善三・監督の『われ一粒の麦なれど』(1964年)で観たばかりの年でもあった。

私は女優の高峰秀子さんの存在は、天上の女神のような存在であり、
『二十四の瞳』と『浮雲』がほぼ同時代に演じたこのお方には、ただ群を抜いた女優であった。

 子役、少女、そして大人としての女優としての存在は、
私のつたない鑑賞歴に於いて、このお方以外は知らない。

その上、脚本家、ときには監督もされた松山善三さんには、
 まぶしいようなあこがれの存在の人であり、秘かに敬意をしていた。


             

このような過ごしていた間、確か冬の日だったと記憶しているが、
私は成城学園の近くの砧にある東宝の撮影所で、宣伝部の方と話し合っていた時、
たまたま高峰秀子さんがこちらに向かって来た時があった。

宣伝部の方が飛び出て、『この青年・・大学を中退し、この世界に・・』
と話されていた・・。

『こんにちは・・でも・・もったいないわ・・大学をお辞(や)めになるなんて・・
でもねぇ・・大変ょ・・この世界は・・』
と高峰秀子さんは私に言った。

私はこの当時も大女優であった高峰秀子さんとは、
 これが出会いであったが、これ以降はお逢いしたことがない。


          

この後の私は、映画青年の真似事、その後に文学青年の真似事もあえなく敗退し、
やむなく私はサラリーマンに身を投じ、音楽業界のあるレコード会社に35年近く勤めて、
2004年〈平成16年〉の秋に定年退職となり、その直後から多々り理由で年金生活を始めた身である。

この間、サラリーマンの現役時代のいつの日が忘れてしまったが、本屋の店頭で、
 高峰秀子さんの随筆の本にめぐり逢い、数冊の随筆集を読みはじめ、
これ以降は本屋で見かけるたびに、購読してきた・・。



そして2010年12月の歳末時に高峰秀子さんの死去が公表されて、私も落胆したひとりであり、
もとより天上の花のひとつとなった高峰秀子さんにお逢いできるひとがないので、
せめて私は高峰秀子さんが上梓された数多くの随筆を読んだり、再読したり、
或いは出演された名画を鑑賞したりして、愛惜を重ねたりしている。

 このような私の心の片隅に敬愛しているお方なので、今回めぐり逢えた本を買い求めたりした。




 今回、文筆家の斎藤明美さんに導かれて、
改めて高峰秀子の御言葉、しぐさ、日常の信条を学び、
清浄に満ちた意思の生活を実践されていた稀な御方・・と思いを深めたりした。
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『 熱中症警戒アラート 』、都心の郊外に住む高齢者の私は、初めて学び、やがて微苦笑を重ねて・・。

2020-08-11 14:50:15 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住む年金生活の75歳の身であるが、
今朝、テレビの天気情報を視聴していたら、

『 都心では本日37度の猛暑となり・・熱中症警戒アラートが発令・・ 』
と私はぼんやりと聞いたりしていた。

の後、私は《・・熱中症警戒アラートが発令・・》って、どのような警戒注意報なのょ、
と学びたく、ここ2週間前に知った公式サイトの【 ウェザーニュース 】で検索した・・。




https://weathernews.jp/s/topics/202008/110055/yn.html
【 ウェザーニュース 】 2020/08/11 08:31  ~ 
    ~ 関東は40℃近い酷暑 各地に熱中症警戒アラート ~★

こうしたことが瞬時に反映されて、私は見たり読んだりした・・。

《・・
連休明けの今日11日(火)の関東は、
この夏最も熱中症に警戒が必要となります。
内陸部では40℃近い暑さになる見込みです。



★内陸部は40℃に迫る可能性                                                                  
太平洋高気圧が勢力を強め、関東など東日本を中心に覆います。
山越えとなる南西風が吹きやすい気圧配置で、
関東で気温が上がりやすいパターンです。

各地とも昨日を上回る暑さが予想されます。

ウェザーニュースによる予想最高気温は、
埼玉県熊谷市やさいたま市で37℃、東京都心が35℃です。
場所によっては40℃に迫る可能性があり、非常に危険な暑さになります。


         
★関東1都6県と山梨県に熱中症警戒アラート
                                                                    
11日(火)14時の暑さ指数(WBGT)
東京では、7時13分に30℃を超えました。

午後の暑さ指数(WBGT)は、関東のほぼ全域で危険レベル(31以上)を大きく上回り、
東京都心など33以上に達する所が多い見込みです。
気象庁は関東の1と6県と山梨県に熱中症警戒アラートを発表しています。

今年の暑さのピークがまさに今日で、
熱中症への警戒が最も必要になります。

昼前後に少し外を出歩いたり、エアコンの効いていない室内で過ごすなど、
普段と変わりない生活をしていても熱中症になるレベルです。

こまめな水分補給と塩分補給は欠かさず、
部屋の温度管理を普段以上に気をつけるようにしてください。
気温の高い時間帯は長時間、外を出歩くことを避けるのも重要です。




★今日明日の熱中症危険度は?
                                                                    
熱中症レーダーで暑さ指数をチェック

ウェザーニュースアプリのレーダータブから切り替え可能な「熱中症レーダー」では、
熱中症予防の目的でつくられた指標「暑さ指数(WBGT)」をマップで確認できます。

警戒(WBGT25℃〜)・厳重警戒(28℃〜)・危険(31℃〜)に加え、
「熱中症警戒アラート」レベル(33℃〜)の4段階で表示され、
その日の熱中症の危険度が、ひと目でわかります。

24時間先までの予想もご覧いただけるようになるので、
勤務先や移動先の予想も確認することができます。

熱中症の危険性が非常に高い予報が出ている場合は、
外出を避けて冷房の効いた涼しい室内で過ごすようにするなど、
対策にお役立てください。
» 熱中症レーダーを見る
» アプリをダウンロードして見る・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。



このような懇切丁寧な情報を見たりして多々教示されたが、
後半の《・・アプリをダウンロード・・》は、微苦笑されたりした。

私は恥ずかしながらガラケーと称される携帯電話は、
半年前の頃より、受信、発信の電話機能だけ使えるようになったが、
スマホと省略されているスマートフォンも使えない拙(つたな)い身である。

こうした中、せめてと思いながら据え置き型のパソコンとノートパソコンを利用し、
時代遅れの国民のひとりとなっている・・。




我が家は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
そして私より5歳若い家内と共に、古ぼけた一軒屋に住み、ささやかに過ごしている。

こうした中、過ぎし年の2004年(平成16年)の秋、民間会社に勤めていた私は定年退職となり、
多々の理由で年金生活を始めた・・。

そして家内は、料理、洗濯、掃除などは専業主婦の延長戦として、積極果敢に了解してくれたので、
せめて我が家の平素の買物ぐらいは・・と私は思い、殆ど毎日のように家内から依頼された品を求めて、
スーバー、専門店に行っている買物メール老ボーイとなって、早や17年目となっている。

          

過ぎし8月1日に『梅雨明け』となった後、連日30数度の熱さとなり、

やむなく買物は3日に一回のまとめ買いとしている。

我が家は恥ずかしながら自動車も所有できない上、
私は根がケチなせいか、利便性の良い路線バスには乗らず、ひたすら歩くことが多い。

こうした時の私は買物をする時、
多くの品を購入する時とか、或いはビール、お米などの重い品を買い求める時、

買物の引き車と称される『キャリーカート』を曳〈ひ〉いたりして歩いたりしている。


         
         ☆過ぎし日、この『キャリーカート』を私は玄関の前で、段ボールを乗せて、
           ゴムバンドで括(くく)り付けた状態をたわむれで撮ったりした☆ 

こうした時の私の容姿は、半袖のスポーツシャツ、或いはアロハシャツ、
長ズボン、そして夏の帽子を深くかぶり、サングラスを掛け、ウォーキング・シューズで足元を固め、
そして紳士バックを園児のように斜め掛けにして、颯爽と歩いたりしている。

しかしながら陽射しが燦燦と照らす青空の中、歩いたりすると汗ばみ、
ハンドタオルで顔をふいたりし、ときおり扇子を取りだして扇(あお)いだりしているが、
汗がひたたり落り、微苦笑したりしている。

やむなくハンドタオルで顔などを拭いながら、できる限り樹の下にある歩道を歩いているが、
炎天下の道もあるので、高齢者の私でも、人生は気合いだ、と自身を叱咤激励をしたり、
或いは冬の寒さを思い浮かべて、 足早に歩いているのが実情である。

         

やがて買物を終えた私は、自宅の3キロ範囲にある游歩道、公園、住宅街の歩道を

少なくとも一時間以上散策しているが、30数度の時は近回りして30分ぐらいとしている。

こうした中、今年の夏より男性用の日傘を買い求めてきたので、
散策の時に日傘を差して、少しは涼しいよねぇ・・と心の中で呟(つぶや)きながら歩いたりしている。


そして時折、休憩ねぇ、と思いながら、小公園に寄り、幾重か大きな樹の下にあるベンチに座り、
コンビニで買い求めたペットボドルの煎茶を飲み、水分補給をしたりしている。

こうした根底には、高齢者は、脱水を起こしやすい要素をいくつも持っていて、
放置すると、寝たきりや認知症を招く結果になりかねない、と学んだりしてきた。

そして脱水にならないことは、やはり喉の渇きを感じる前に、
こまめに水分補給は大切だ、 と思いながら実施してきた


          


もとより高齢者の私が、熱中症で倒れて救急車で搬送されて、
気が付いたら病院のベットの上だったことは、 私も困苦するし、
世の中の多く御方にご迷惑するので、私なりに自己防衛策としている。
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「ボケたら不幸」は思い込み? 認知症のプロが語る「正しい老い方」、75歳の私は学び、やがて不安が払拭されて・・。

2020-08-10 15:26:07 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住んでいる年金生活の75歳の身であるが、
先程、ネットの記事をさまよっている中,
「ボケたら不幸」は思い込み? 認知症のプロが語る「正しい老い方」、
題された見出しを見たりした・・。

私は年金生活を過ごす中、認知症、心筋梗塞、或いは寝たきりなどは、
ささやかな日常の願いも制約されるので、
殆ど毎日のように遊歩道、公園、住宅街を歩き、
ときおり大病に遭遇することは勘弁してねぇ・・と秘かに祈願しながら歩く時もある。


こうした深情のある私は、いつの日にか認知症に遭遇したら、
もとより困苦するので、
今回の《・・「ボケたら不幸」は思い込み?・・》って、どのようなことですか、
と思いながら真摯に記事を精読してしまった・・。



この記事は初めて見る公式サイトの 【 mi-mollet(ミモレ) 】に於いて、
2020年4月8日に配信され、少し古い記事であるが、
認知症はシニアのやがて到来される難題のひとつであるので、
共有致したく、あえて転載をさせて頂く。

《・・
誰もが衰え、日々刻々と老化していく。
自明の理にもかかわらず、「老い」が怖いーー。
そんな不安を持つ人は少なくないのではないでしょうか。



『「ボケたくない」という病』の著者で、
30年以上、認知症の患者さんと向き合ってきた老年精神科医の和田秀樹さんは、
「『認知症は、神様がくださったプレゼントだ』という人もいますが、
確かに、その通りだと思います」といいます。

ではなぜ私たちは、老いが、ボケることがこんなにも怖いのでしょうか……。

 和田さんの本から、そのヒントを探ります。

今のところ認知症を完璧に予防する方法はありません。
認知症は「老化」のひとつですから、受け入れるしかないのですが、

むやみに怖がることはありません。

誤解や思いこみを解いて、正しい知識を持てば大丈夫です。

 

★「ボケたら不幸」は勝手な思いこみに過ぎない!

国立長寿医療研究センターの調査(20代から70代の男女約2000人の調査、2004年)では、

「高齢者になるのは不安」と答えた人は8割以上、
その不安の内訳は、「病気になること」(72%)、
「収入がなくなること」(68%)を抜いて、
「寝たきりや認知症になって介護が必要になること」(78%)が1位になっています。

また、「心配な病気」は、「がん」(77%)と「認知症」(70%)が大多数で、
約4割の人が「長生きしたくない」とも回答しています。

人間は、本来は長生きをしたいと思うものです。
ところが、こうした結果が出ているのは、
それだけ認知症などに対する不安が大きいということでしょう。

 内閣府が行った「高齢者の日常生活に関する意識調査(60歳以上の男女約4000人の調査、 2014年度)」でも、
日常生活でもっとも大きい不安は「健康や病気」(約68%)、
「寝たきりで介護が必要になる」(約60%)、
「収入が不安」(約34%)、「子や孫の将来」(約21%)という結果が出ており、
やはり、「病気」、「寝たきり」、「介護」といったことが、
老後の不安の大きなキーワードになっていることがあきらかです。

これらの調査結果からもわかるように、
多くの人が認知症や、それに付随するかもしれない寝たきりや
介護に対して、大きな不安や恐れを抱いています。

老後が不安になったり、認知症を恐れたりする気持ちもわからないではありませんが、
みなさんが抱く漠然とした不安や恐怖の裏には、
大きな誤解があるように思えて仕方がありません。

大きな誤解。
それは、「認知症になったら、ボケたら・・・その後の人生は、絶対に不幸だ」
という思いです。

あなたの中にもあるのではないでしょうか。

もしそうだとしたら、勝手な思いこみに過ぎないと断言できます。

私はこれまでに数え切れないほどの認知症患者を診てきましたが、
どんなにボケても、幸せな人生を送っている人は大勢います。

ボケても、幸せに過ごすことができる。
そう思えれば、漠然とした不安や恐怖が、やわらぎはしないでしょうか。



★認知症は老化のひとつで、だれにでも起こりうる

それでもどうしても認知症にはなりたくないですか?
そんな人には残酷かもしれませんが、

「認知症は、だれにでも起こりうる病気」ということを強調しておきたいと思います。

厚生労働省の調査では、
「85歳以上の人の40%強が、テスト上は認知症と診断される」と報告されています。

認知症有病率は、70〜74歳では4.1%、80〜84歳では21.8%ですが、85〜89歳では41.4%と2倍に。
90〜94歳では61%、95歳以上となると79.5%という結果が出ています
 (厚生労働省「都市部における認知症有病率と認知症の生活機能障害への対応」平成23〜24年度)。

この数字が何を意味しているか、おわかりでしょうか。

私たちの体には、老化によって、さまざまな不具合があらわれてきます。
認知症の有病率が、年齢を重ねるほどに高くなってくるということは、
認知症もまた、老化によってもたらされる不具合のひとつということです。

いま、世界中でいろいろな研究が進んでいますが、
まだ認知症の完全な予防法は、見つかっていないのが現実です。

つまり、90歳以上のおよそ6割の人が認知症になることを考えると、
人生100年時代といわれる現代に生きる私たちは、
認知症を受け入れて生きていくしかないのです。
 


★「愛されるボケになろう」と腹をくくれば、不安も払拭 

かつて私は、高齢者専門の総合病院・浴風会病院(東京都杉並区)に勤務していました。

この病院では、年間100例ほどの高齢者の脳の解剖を行っており、
実際に解剖に当たっていた病理医によると、
85歳以上の人には、ほとんどの脳にアルツハイマー型認知症 (認知症にはいくつかの種類があり、
もっともポピュラーなのがアルツハイマー型)が見られるなど、
特有の所見が見つかるそうです。

このことからも、高齢になればボケは、避けられないことがわかるでしょう。


★どんなボケ方をするかは予測不能

ただし、ボケにも、個人差があります。

たとえば、解剖した脳には明らかにアルツハイマー型認知症の所見が出ているのに、
生前は、それほどボケたように見えなかった人がいる一方で、
生前は、ひじょうにボケが進んでいたにもかかわらず、
解剖してみると、脳自体にはそれほどの変化が見られなかったという人もいるのです。

どのようなボケ方をするのか。
正直、だれにもわかりません。

そうであるならば、認知症をいたずらに恐れたり、
「絶対にボケるものか!」と気を張ったりして生きるより、
「認知症になったら、そのときのことだ」と、どっしりかまえて生きたほうがいい。
私は、こんなふうに思っています。

ただ、気楽にかまえて生きるにしても、
認知症に対する正しい知識は、持っておいたほうがいい。
そうすれば、ムダに怖がることもなくなるでしょう。

認知症になっても、愛される人がいる。
幸せなボケの人もいる。
こうした事実を知るだけでも、気持ちがラクになったりします。

長生きをすれば、人はボケるもの。
このことを素直に受け入れ、「どうせなら愛されるボケになろう」
と腹をくくれば、気持ちがリラックスします。

そのことが、結果としてボケを遅らせたり、
ボケたとしても幸福な人間関係を築いてくれることもあるのです。

そう考えると、認知症に対する不安が軽くなってきませんか。
不安が払拭されて、ゆったりした気持ちになると、感情が安定します。


感情の安定は、いまを楽しく生きることにもつながりますから、
一石二鳥です。

『「ボケたくない」という病』
著者:和田秀樹(世界文化社/税込1,320円) ・・》


注)記事の原文に、あえて改行を多くした。



これまでの私の人生は、亡くなってしまった知人、友人を含めて、
私は多くの御方に助けられて、ささやかな願い事もかなえられてきたので、
多くの御方に感謝を重ねてきた・・。

私は9月下旬になれば76歳となり、やがて健康寿命を保てば、
何とか80歳の誕生日を迎えられる、と念願したりしてきた。

しかしこればかりは、自助努力も大切であるが、
神様か仏様の采配する世界だよなぁ・・と微苦笑をしている。


私のこれからの難題は、やはり 認知症が最も困苦すると思っているが、
今回、老年精神科医の和田秀樹さんの導きで、不安が払拭されて、光明を感じたりしている・・。



《・・認知症をいたずらに恐れたり、
「絶対にボケるものか!」と気を張ったりして生きるより、
「認知症になったら、そのときのことだ」と、どっしりかまえて生きたほうがいい。
私は、こんなふうに思っています。

ただ、気楽にかまえて生きるにしても、
認知症に対する正しい知識は、持っておいたほうがいい。
そうすれば、ムダに怖がることもなくなるでしょう。

認知症になっても、愛される人がいる。
幸せなボケの人もいる。
こうした事実を知るだけでも、気持ちがラクになったりします。

長生きをすれば、人はボケるもの。
このことを素直に受け入れ、「どうせなら愛されるボケになろう」
と腹をくくれば、気持ちがリラックスします。

そのことが、結果としてボケを遅らせたり、
ボケたとしても幸福な人間関係を築いてくれることもあるのです。

そう考えると、認知症に対する不安が軽くなってきませんか。
不安が払拭されて、ゆったりした気持ちになると、感情が安定します。


感情の安定は、いまを楽しく生きることにもつながりますから、
一石二鳥です。・・》

このようなことを学び、これからの晩年期、たしかな光明を頂いたりした。
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病気に負けない9つの免疫力アップ術、高齢者75歳の私は学び、多々教示させられて・・。

2020-08-09 13:46:34 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住んでいる年金生活の75歳の身であるが、
先程、ときおり愛読している公式サイトの【 介護ポストセブン 】の『健康』を見たりしていた。

こうした中で、病院や薬に頼らず、放っておいたほうがいい病気があると主張する専門医に、
病気を治すための生活や健康法を聞いた。

病気に負けない9つの免疫力アップ術をお伝えする。
このような首記文を見たりした。

私は何かと無知なことが多く、遅ればせながら学ぼうと思い、
こっそりと読んで、多々教示され、やがて微笑んだりした・・。

この記事の原文は、『女性セブン』の2020年7月30日・8月6日号に掲載された記事のひとつで、
関連の公式サイトの【 介護ポストセブン 】で8月5日に配信され、
記事の要点を転載させて頂く。

《・・病気に負けない9つの免疫力アップ術



1.体を温めて回復力を向上させる

風邪やインフルエンザ、高血圧、膀胱炎など、
多くの病気が放っておいた方がいい経過を辿ることが、
専門家への取材で明らかになった。

→放っておいた方がいい病気リスト|風邪、膀胱炎、高血圧…治療や薬をやめて治った!?

しかし、一口に「放っておく」といっても、
何に気をつけてどんな生活をすればいいのか。

青山・まだらめクリニック院長の班目健夫さんが解説する。
「病気を治そうとするなら、体を思いやった生活をすることが大事です。
たとえ病気にかかって治療を受けるにしても、
体の回復力を充分に発揮できる状態にしておかなければ、効果が期待できません」

体の回復力を発揮するために班目さんが重要視するのは、
「体温を上げる」ことだ。

「名古屋の小学校で調査したところ、
体温が低い子供は、欠席が多いことがわかりました。

白血球の中でもリンパ球は、体に入ってくる異物を排除する働きがありますが、
体温が低い人は、血液中のリンパ球が少ない。

体が冷えていると、リンパ球の数が少なくなり内臓の機能も悪くなります。
肩や首のこりや痛みに悩む人が多いのも、
体が冷えて、内臓に血液がきちんと流れていない状態だからです。
体を温めれば回復力は向上します」(班目さん)



2.湯たんぽ健康法で体温を上げる

体を温めるために班目さんがおすすめするのが、「湯たんぽ健康法」だ。

「容量が2Lの湯たんぽを使って、中に沸騰したお湯を入れます。
温めるのは一か所につき3~10分。

お腹→太ももの前面→お尻→二の腕の順番で、湯たんぽを移動させて、
体を温めます。

やけどをしないように気をつけて、あと5分くらいしたら
汗をかきそうと感じた時点で、次の部位に湯たんぽを移動させましょう」(班目さん)


不調を治す「湯たんぽ健康法」のやり方

【1】お腹を温める
あお向けになり、下腹部に湯たんぽをのせ、少しずつ位置をずらしながらお腹全体を温める。

【2】太ももを温める
あお向け、または椅子に座った状態で太ももの前面に湯たんぽをのせる。
 足の付け根からひざまで、まんべんなく温めることを意識するとよい。

【3】お尻を温める
湯たんぽを椅子の背もたれに置き、背中をくっつけて腰からお尻にかけてを温める。
椅子がない場合はあお向けになって、お尻の下に湯たんぽを置く。

【4】二の腕を温める
机の上に湯たんぽを置き、その上に二の腕をのせる。
二の腕の内側にある「伸筋」が充分に温まるように意識する。



3.昼冷たいものを飲んだら夜は温かい紅茶

冷たい飲み物が欲しくなる季節だが、飲みすぎないようにする工夫も必要だ。
「炎天下を歩いて体温が上がったときは、
温かいものを飲んでも吸収されないので、冷たいものを飲んだ方がいい。

ただし、冷たいものばかり飲んでいると、胃が疲弊します。
胃の温度は約38℃ですが、冷蔵庫から出してすぐの飲み物は4℃ぐらいしかありません。

飲み続けると胃の温度が下がって、疲労を感じやすくなるのです」(班目さん)

昼間冷たいものを口にしたら、夜は温かい紅茶を飲むといい。
一日の中で帳尻を合わせれば、体温が下がらないし、夏バテ防止にもなる。

「胃に負担をかけないよう、食べるときはよく噛んで唾液の分泌を盛んにし、
消化吸収しやすいような状態で飲み込むことも大事です」(班目さん)



4.手首をそらせるストレッチ

体を温めるには、手首をそらせるストレッチもいいという。
「親指以外の4本の指先を反対側の手でつかんで、
手首を思いっきりそらします。

前腕の筋肉が張って、痛いと感じるくらい何度も強くそらすと、
血流がよくなっていきます。

個人差があるので、腕が温まるのを感じるまで続けてください」(班目さん)



5.免疫の7割は腸内環境にある

順天堂大学医学部教授・小林弘幸さんは、体が健康な状態を保つためには、
「腸内環境」、「自律神経」、「ストレス解消」のトライアングルが重要だと指摘する。

「自律神経がよくなると腸内環境が整い、腸内環境が整うとストレスも軽減するといったように、
3つはそれぞれが影響しあっています。

例えば、腸内環境が良好であれば、
幸せホルモンと呼ばれるセロトニンやオキシトシンが増えて、
ストレスが軽減されます。

ストレスが減ると自律神経のバランスが改善され、
体の抵抗力も上がります。

相互に関係しているので、どれか1つでも悪化すると、免疫が低下します。

特に、免疫の7割は腸内環境が影響しているといわれており、
まずは腸内環境を整えるといいでしょう。

腸にあるTレグ細胞と呼ばれる免疫の恒常性を維持するうえで、
重要な役割を果たす細胞が少ない人は、
新型コロナウイルスに感染しやすく、重症化しやすいという報告もあります」


6.食べすぎ厳禁! 腹七分目

小林さんによれば、腸内環境を整えるいちばんの方法は、
「バランスよく食べるが、決して食べすぎない」ことだという。

「腸内環境を整えるには、食物繊維や発酵食品を意識して、
3食きっちり食べるようにしましょう。
ただし食べすぎは禁物。

腹八分目という言葉がありますが、理想は『腹七分目』。
八分目だと満腹感がありますが、満腹な状態というのは
体が消化にエネルギーを費やすので、腸にストレスをかけてしまうのです。
 毎食、腹七分目を意識するといいでしょう」



7.「吸う1:吐く2」呼吸で自律神経を整える

腸内環境がケアできたら、次は自律神経を整えたい。

小林さんは、「自律神経を整えるいちばんの方法は、呼吸」だとつけ加える。
 「ストレスがかかると呼吸が浅くなり、体内に取り込む酸素の量が減るため、
免疫力は大幅に下がってしまう。

理想は、吸う息よりも、吐く息が倍の長さになる“1対2の呼吸”です。

特に、長くゆっくり息を吐くことで、自律神経が安定します。
ただし、普段の呼吸から常にゆっくり吐く必要はありません。

朝昼晩や寝る前など、1日3回程度、
数分間でいいので呼吸を整える時間を作ってください」(小林さん) 



8.寝る2時間前に情報を遮断

「ストレス解消」については、コロナ禍のいま、多くの人が難しい状況に直面しているだろう。
「気分転換もできずに不安なニュースばかりで、
ストレスを強く感じている人は多いと思います。

しかし長引くストレスは免疫力にとって悪い影響を及ぼして、
ほかの病気を引き寄せる可能性すらあります。

さまざまな情報を集めたくなりますが、
例えば眠る前2時間はスマートフォンやテレビを見ないなど
意図的に暗いニュースをシャットアウトする工夫をしてみてほしい」(小林さん)



9.早歩きを10分で免疫力アップ

「トライアングル」を意識した生活で免疫を上げたら、
今度は下がらないように留意したい。

新潟大学名誉教授 医師・岡田正彦さんは、
免疫力を下げてしまう要因として、5つの生活習慣を挙げる。
「免疫を低下させる生活習慣は、
運動不足、喫煙、肥満、お酒の飲みすぎ、栄養バランスの偏りの5つです。

これらの生活習慣を続けると、本来持っている免疫力を下げてしまいます。
 特に高血圧の人は、私の経験や欧米の論文から見ると、
運動が最も病気を治す力を高めると考えられます」

芝大門いまづクリニック院長の今津嘉宏さんも
「運動は免疫力を下げないようにするうえで重要」と声を揃える。
「運動はまったくしなくても、激しすぎても免疫力を下げてしまいます。

脈拍数が100前後になるくらいの、体に少し負担がかかる内容がおすすめです。
目安は汗ばむ程度の早歩きを10分程度。
気温が高くない早朝や夕方以降に行うのがいいでしょう」
ほどよい食と運動がいちばんのクスリと言えそうだ。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

          

私は記事を読みながら多々教示させられたりした。

私は年金生活の中で、熱い夏でも原則として散策し、        
私の夏模様として、容姿は制服のようになった半袖のスポーツシャツ、或いはアロハシャツ、
長ズボン、そして夏の帽子を深くかぶり、サングラスを掛け、ウォーキング・シューズで足元を固め、
そして紳士バックを園児のように斜め掛けにして、颯爽と歩いたりしている。

しかしながら陽射しが燦燦と照らす青空の中、歩いたりすると汗ばみ、
ハンドタオルで顔をふいたりし、ときおり扇子を取りだして扇(あお)いだりしているが、
汗がひたたり落り、微苦笑したりしている。

やむなくハンドタオルで顔などを拭いながら、できる限り樹の下にある歩道を歩いているが、
炎天下の道もあるので、高齢者の私でも、人生は気合いだ、と自身を叱咤激励をしたり、
或いは冬の寒さを思い浮かべて、 足早に歩いているのが実情である。
         


やがて休憩ねぇ、と思いながら、小公園に寄り、幾重か大きな樹の下にあるベンチに座り、
コンビニで買い求めたペットボドルの煎茶を飲み、水分補給をしたりしている。

こうした根底には、高齢者は、脱水を起こしやすい要素をいくつも持っていて、 

放置すると、寝たきりや認知症を招く結果になりかねない、と学んだりしてきた。

そして脱水にならないことは、やはり喉の渇きを感じる前に、
こまめに水分補給は大切だ、 と思いながら実施してきた

          

こうした中、暑い32度前後を超えた熱い時の場合は、我が家の平素の買物専任者の私、
やむなく利便性の良い路線バスに乗り、バスの車内の冷気に甘えて、帰宅することもある。

或いは自宅の3キロ範囲にある遊歩道、公園、住宅街の歩道を少なくとも一時間以上は散策しているが、
熱い中は近回りして、30分ぐらいとなっている。

もとより高齢者の私が、熱中症で倒れて救急車で搬送されて、
気が付いたら病院のベットの上だったことは、 私も困苦するし、
世の中の多く御方にご迷惑するので、私なりに自己防衛策としている。




このように私は過ごすことが多いが、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフの私なりの健康体の三種の神器として思い、年金生活丸16年近く過ごしてきた。
        

そして私は認知症、心筋梗塞、或いは寝たきりなどは、ささやかな日常のささやかな願いも制約されるので、
殆ど毎日のように遊歩道、公園、住宅街を歩き、
ときおり大病に遭遇することは勘弁してねぇ・・と秘かに祈願しながら歩く時もある。





回、病気に負けない9つの免疫力アップ術を学び、
私の昨今の欠点である食べ過ぎに注意すれば、もしかしたら健康寿命の身で、
あと4年後に80歳のお誕生日を迎えられるかしら、と微笑んだりしている。
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「帰省しないで」お盆を前に悩む田舎の人々。口に出せないその一言、都心の郊外に住む私は真摯に学び・・。

2020-08-08 15:56:28 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住んでいる年金生活の75歳の身であるが、
先程、くらしとお金の経済メディアとして名高い公式サイトの 【 LIMO 】を見ていたら、
「帰省しないで」お盆を前に悩む田舎の人々。口に出せないその一言、
題された見出しを見たりした・・。

私のふるさとは、今住んでいる近くに生家があり、三男坊の私としては長兄宅が実家となっている。
そして私はこの地域には結婚前後の5年間を除き、70年ばかり住んでいる。

このような事情もあり、毎年私は帰省の方たちを見かけると、少し羨(うらや)ましいのが本音である。

こうしたことは過ぎし一年の思いを秘めて、ふるさとの親、親族、そして友人たちに再会して、
共に語る合う情景が浮かび、
どうかご無事で行かれ一族再会のような親愛を深めて下さい、と思ったりしてきた。




しかしながら今年のお盆休暇は、たまたま先日、

私の若い30代の知人と立ち話をした時、
田舎に帰ることをやめました、と私は聞いたりした。

何かしら詳しい理由は、ご当人が発露されれば、ともかく、
多分、新型コロナウィルスの烈風に伴い、断念されただろう、
と私は感じ取ったりした。

このような心情を秘めた私は、それぞれの御方の人生の機敏を学びたく、記事を精読してしまった・・。

この記事は、フリーランスライターの佐渡 六花さんの寄稿文であり、
公式サイトの 【 LIMO 】に8月6日に配信され、無断ながら転載させて頂く。




《・・まもなく今年もお盆シーズンが到来します。

例年なら地方への帰省ラッシュが始まる季節ですが、
今年はコロナ禍ということもあり、
例年同様にいかない人も多いのではないでしょうか。

帰省するかしないかの判断は、
ふるさとを出て都市部で暮らす人の意志による部分が多く、
ふるさとで待つ側は、今年は遠慮してほしいと思っていても、
なかなか「こないで」とは言い出せないようです。



★今年の里帰りはしないべき?

2020年8月2日の朝日新聞デジタル「#ニュース4U」によりますと、
「この夏に旅行や帰省を考えている」という質問に対し、
「いいえ」と答えた人は66%にのぼりました。

また、20%が「迷っている」と答えていることからも、
今年の里帰りは「帰らない方がいい」と思っている人が
大多数を占めているようです。

ただ、国や自治体から緊急事態宣言などが出されていないため、
「禁止されていないのなら、いいのでは」という意見も聞かれます。 

2018年7月にソニー損保がおこなった「お盆の帰省に関する調査(2018)」によると、
お盆の帰省にかかる費用は一世帯あたりの平均は21579円。

なかでも、自家用車で帰省する人の平均は18393円となり、
鉄道を利用する人の38493円、飛行機を利用する人の61583円に比べ
安価で移動できることがわかっています。

加えて今年は「家族としか接しない自家用車での移動なら、安全なのでは」という意見もあるようで、
鉄道・飛行機利用者に比べ、自家用車利用家族は「安くて安心感がある」ため
比較的帰省を計画する傾向にあるようです。



★地方で待つ家族は戦々恐々

地方の町に暮らすYさんは、長男の嫁だそう。
夫は三人兄弟の一番上で、義実家近くに住んでおり、
義父は持病があるといいます。

例年ならお盆時期には、都市部で暮らす夫の弟妹一家が義実家に帰省し、
三世代十数人が集まる一大イベントが行われるそう。

「私たちの町は、まだ感染者が数人という状態なのですが、
夫の兄弟は、どちらも都会に住んでいるので、
こちらとはけた違いの感染者数と聞いています。

当然今年は帰省してこないものと思っていたのですが、
義母から『日程を短くしてこっちにくるみたい』と聞いてびっくりしました」

義母の話によると、義妹一家は、
車で2時間ほどの義実家への帰省を通常通り計画しているとのこと。

しかも、義母も孫に会いたいからか、好意的に受け入れているようなのです。

「義妹夫婦は、共働きで不特定多数の人と触れ合う業種です。
お子さんも保育園に通っているので、話を聞いた時は
『無症状で感染している可能性は考えないの?』と思ってしまいました。

また、義父の持病のことを承知しているはずの義母も止めないんだ・・・
と私ひとり焦る気持ちに」
Yさんのモヤモヤはさらに続いたそうです。



★一族との感覚の違い

その話をご主人にしたところ、
それなら我が家も顔を出そうという話に。

「夫の反応に『この人もあの家族の感覚なんだ』と思ってしまいました。
私が一番気になるのは、やはり義父のことです。

高リスクな義父に対し、私はとにかく感染リスクを回避しなくては
ということをいつも考えて暮らしています。

小学校に通ううちの子供も、最近では顔を出すのを遠慮するほど。
それなのに、数百人の感染者を毎日のように出している都市部からくる一家を一緒になって
歓迎しようという考えが私には理解できませんでした。

私たちがいくことこそ『密』を作り出すのではないでしょうか。

そして、『今この町で他県ナンバーの車が、数日止まっていたら?』、
『10人を超える人数で食事を取ったなんて、ご近所に知られたら?』
ということが引っ掛かりました。

簡単に引っ越すことのできない田舎町で暮らすものとして、
あとあとまで噂されるような火種を作って欲しくない。
私はその思いで頭がいっぱいでした」

そんな気持ちは持ちながらも、直接義両親に
「帰省を辞めさせるべきなのでは」といえないというYさん。

「夫の口からならまだしも、
私の口から義兄弟に『来るな』は、さすがに言えません。

一度だけ『この辺とは感染者の数が違うみたいなので、お義父さんが心配じゃないですか』
といったのですが『車で来るし、大丈夫じゃない?』と言われてしまいました。

何度も止めるのは、さすがに嫁の立場ではできませんでした」

毎日の感染者が増えるたび、
ご主人には「やはり止めた方がいいと思う」とつぶやいているというYさん。

帰省しても子供と自分は、顔を出すつもりはないと話したところ、
ご主人との間に嫌な空気が流れたそうです。

「これ以上感覚の違いで、溝ができるのは正直しんどいです。
政府か首長が禁止してくれないか、毎日願って仕方ありません」



★対策を万全に、親孝行をしたいという気持ちも

ただ、現在のところ都市部からの帰省は、禁止されている行為ではありません。
あくまで「3密」や「大人数での会食」などを避けるよう注意が促されているので、
静かに移動し密を避けながら、お墓参りをするなどの行為は止められていません。

コロナ禍での子育てをしている人の中には
「生まれてからほとんど赤ちゃんが、人と触れ合っていない」という人も多く、
そんな人たちが抱く「お盆くらいはマナーを守り親に会いたい、子供をみせて喜ばせてあげたい」
という気持ちも理解してあげたいという思いもあります。

コロナ対策に関する感覚は、本当に人それぞれです。
それゆえに線引きも難しく、ストレスになっているという人が多く、
今年は各地でそんな悩みの声が聞こえてきそうです。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。




記事を読みながら、地方の町に暮らす長男のお嫁ちゃんのYさんは、
夫は三人兄弟の一番上で、義実家近くに住んでおり、
義父は持病がある状態となっている。

そして例年ならお盆時期には、都市部で暮らす夫の弟妹一家が義実家に帰省し、
三世代10数人が一族再会の親睦を深めてきた。

しかしながら今年の夏だけは、新型コロナウィルスの烈風に伴い、
感染が怖くて悩む長男のお嫁ちゃんのYさんの深情は、痛いほど理解できる。



私は幼年期に農家の児として育ち、祖父、両親、父の妹が3人いて未婚だつた当時、
そして私は兄ふたり妹ふたりのサンドイッチで、三代の同居する大家族であった。

こうした中、親戚、知人などで確執も、子供心に感じたりしてきたので。
私の母の立場は、《・・口に出せないこと・・》、私は後年に母から多々聞いたりしている。

今回、義妹一家は、車で2時間ほどの義実家への帰省を通常通り計画していることに関して、
長兄のお嫁ちゃんのYさんの苦悩が深まる・・。

せめて夫が感じ取り、たとえば残念ながら今年は三世代の一族再会の親睦は、やめようと、
両親、弟、妹に早めに通知して理解をして頂く・・このようなことを私が長兄だったら、思い深めている。
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深刻化するカメラ市場の苦境、高齢者の私は、動顛しながら学び、やがて震撼して・・。

2020-08-07 13:53:43 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の住んでいる年金生活の75歳の身であるが、
確か一週間前の頃、公式サイトの【 東洋経済オンライン 】を見て、

ひとつの記事に動顛させられたりした・・。

この記事は、昨今の深刻化するカメラ市場の苦境の実態の記事で、
私は2004年(平成16年)の秋に定年退職後、多々の理由で年金生活をしてきた中、
デジカメを愛用してきた身であるので、関心がある記事であったりした。

この記事は、 東洋経済 記者の大竹 麗子さんが取材されて、纏められた記事で、
 東洋経済オンライン 】に7月25日に配信され、無断であるが記事を要約させて頂く。



《・・この6月、カメラ業界を揺るがすビッグニュースが相次いだ。

オリンパスは6月24日、デジタルカメラを中心とする映像事業を分社化して、
投資ファンドの日本産業パートナーズ(JIP)に売却すると発表した。
9月末までに最終契約を結び、年内に売却を完了する予定だ。

売却額は未定で、「オリンパス」ブランドは、当面維持するという。
1936年以来、創業期のオリンパスを支えたカメラ事業から撤退する。



★カメラ撤退のタイミングを模索

オリンパスは、フルサイズより小さい画像センサーを使った
小型・軽量で扱いやすいカメラを得意としている。

中でも「PEN」(ペン)シリーズは、テレビCMに女優の宮﨑あおいさんを起用して
女性ファンも増やすなど高い人気を誇ってきた。

その技術は医療用の内視鏡や顕微鏡などの研究開発にも生かされている。

しかし、デジカメ市場は、スマートフォンの普及に伴って、急激に縮小。
デジカメが主力の映像事業は近年、
2017年3月期を除いて営業赤字続きだった。

世界シェアは4%程度にとどまり、
工場閉鎖などの構造改革を続けても黒字化できなかった。
(略)




実際、デジカメ市場は、縮小の一途をたどっている。

カメラ映像機器工業会によると、2019年の世界総出荷台数は1521万台。
 ピークだった2010年(1億2146万台)の8分の1に縮小している。

そこに襲いかかったのが新型コロナウイルスだ。
外出規制やイベントの中止によって、カメラ市場は一段と冷え込んでいる。

カメラ映像機器工業会によると、
5月の世界総出荷台数は、前年同月比72.6%減の約37万台と大きく落ち込んだ。

1〜5月の累計では、前年同期比50.4%減とかつてないほど悪化している。



★雑誌『アサヒカメラ』も休刊に

折しも、オリンパスがカメラ事業撤退を発表する3週間前には
94年の歴史がある朝日新聞出版の総合カメラ雑誌「アサヒカメラ」も
広告収入の減少を理由に2020年7月号をもって休刊することを決定。

オリンパスとアサヒカメラの撤退は秒読みとされていたが、
業界関係者やファンに衝撃を与えている。

かつて日本のお家芸だったデジカメ業界は、オリンパスに限らず苦境に陥っている。

2017年には、リコーがカメラ機種を縮小し、
カシオ計算機も2018年にコンパクトデジタルカメラからの撤退を決めた。
 中堅メーカーを中心にリストラのドミノ倒しが始まっている。



大手メーカーも安泰ではない。
特に厳しいのが一眼レフカメラで、キヤノンと双璧をなしてきた名門ニコンだ。

ニコンは2020年3月期連結決算でデジカメを中心とした映像事業が
171億円の営業赤字に初めて転落。
好採算の一眼レフや交換レンズの販売が振るわないのが原因だ。
(略)

ニコンが厳しいのは、市場環境のせいだけではない。
縮小するカメラ市場の中でも、
人気が比較的高かったミラーレスカメラでの出遅れが響いている。

小型軽量で高画質の写真が撮れるミラーレスは、
一眼レフカメラの需要を浸食し続け、
2018年には国内出荷台数でついに一眼レフを逆転した。

一眼レフとの食い合いを恐れていたニコンが、重い腰をようやく上げ、
ミラーレス市場に本格参入したのは2018年のことだった。

だが、時すでに遅し。2019年のミラーレスの生産台数は
首位のソニーが165万台に対して、ニコンはわずか28万台。
ライバルのキヤノンも94万台を生産しており、ニコンの一人負けは鮮明だ(テクノ・システム・リサーチ調べ)。



★ソニーは「α」シリーズで独走

ニコンが収益柱の一眼レフで、
展開するフルサイズモデルとの食い合いを警戒して慎重だったのに対して、
ソニーは一眼レフ製品を持たないことを逆手に取り、
フルサイズのミラーレス機種やレンズに集中投資して一気にラインナップを拡大した。

2013年には世界初のフルサイズミラーレス「α7」を、
2017年には「α9」を発売し、
2019年のミラーレスの世界生産台数シェアは、ソニーが41.8%と独走している(テクノ・システム・リサーチ調べ)。
(略)

ソニーに対抗して、キヤノンも7月9日にフルサイズのミラーレスカメラ「EOS R5」を発表。
フルサイズカメラとして初めて8Kでの動画撮影に対応した。

スペック上ではソニーのα9を上回る性能を出しており、
プロやハイアマチュアカメラマンから賞賛する声が相次いでいる。
(略)



★カメラ三強体制は維持できない

ソニー、キヤノンという上位2社に対し、
ニコンは6月にようやく一眼レフの最上位新機種「D6」を出したが、
ミラーレスカメラでは出遅れが目立つ。
(略)

もっとも、デジカメ市場は、2020年後半も冷え込みが続く見通しだ。

ある業界関係者は「伸びが期待されていたミラーレスカメラの需要すら
回復しないことに加え、
カメラは(スマホカメラの高機能化で)プロ向けのみ(の商品)になっていく」と指摘する。

コロナで加速したデジカメ市場の縮小がこのまま進めば、
現状のソニー、キヤノン、ニコンという3強体制は維持できない。

現状の構造改革だけで、ニコンが事業を継続できるのか。
オリンパスのカメラ事業撤退を機に、カメラ各社の帰趨が注目されている。・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。



記事を読みながら多々教示させられ、動顛したりした。

《・・ 2019年の世界総出荷台数は1521万台。
ピークだった2010年(1億2146万台)の8分の1に縮小している ・・・》

私はスマホが使えなく所有していないが、
スマホのカメラ機能は飛躍的に向上して、
初心者の手軽なコンパクト・デジタル・カメラとは、遜色がない程度、
と私は知人から聞いたりしてきた。

こうした結果、何かと利便性のあるスマホを保有していれば、
わざわざカメラを持つことが不用と思われる。

こうした中で、
2010年(1億2146万台)の8分の1に縮小したと思われるが、
この研究・開発、そして生産、やがて販売に関わった多くの人は、
どのように過ごされているのか、思案させられたりした・・。




私の過ぎしサラリーマン時代は、音楽業界のあるレコード会社に、
1970年より2004年まで務めたりした。

こうした中で、1998年に売上の主力となるCDがピークとなり、
この前後より各レコード会社は、リストラ烈風となったりした。

やがて私も各レコード会社が、CD、DVDなどの音楽商品の物流を委託している会社に、
出向となり、5年過ぎた頃に定年退職時を迎えたりした。

このような体験があり、ここ10年でも、
音楽業界の黄金期を象徴したCDなどの「音楽ソフト市場」は激変し、
「音楽有料配信市場」は増大傾向の中、「音楽コンサート市場」が躍進している・・。

もとより各レコード会社、各ソフト販売店も大幅に変貌しているので、
音楽業界の卒業16年生の私でも、今回のカメラ業界の縮小は震撼させられたりした。

このようなことをデジカメ愛好家の私は、無力ながら、思案を重ねたりしている。
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猛暑の対策のひとつ、75歳の男性の私でも、生まれて初めて日傘を買い求めて・・。

2020-08-06 15:26:06 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住んでいる年金生活の75歳の身であるが、
私は我が家の平素の買物専任者であり、その後は散策をしている身である。


昨年までの私の夏模様として、容姿は制服のようになった半袖のスポーツシャツ、或いはアロハシャツ、
長ズボン、そして夏の帽子を深くかぶり、サングラスを掛け、ウォーキング・シューズで足元を固め、
そして紳士バックを園児のように斜め掛けにして、颯爽と歩いたりしている。

しかしながら陽射しが燦燦と照らす青空の中、歩いたりすると汗ばみ、
ハンドタオルで顔をふいたりし、ときおり扇子を取りだして扇(あお)いだりしているが、
汗がひたたり落り、微苦笑したりしてきた。

やむなくハンドタオルで顔などを拭いながら、できる限り樹の下にある歩道を歩いているが、
炎天下の道もあるので、高齢者の私でも、人生は気合いだ、と自身を叱咤激励をしたり、
或いは冬の寒さを思い浮かべて、 足早に歩いているのが実情である。


         

しかしながら今年の2月頃より、新型コロナウイルスの烈風の為、外出の時はマスクを付けてきた・・。

やがて4月の中旬の頃から、陽射しの中を歩けば、
マスクで呼吸が万全でなく息苦しく、口の周辺も汗ばんだようになり、困苦したりしてきた。


そして今年の梅雨に関して、都内の郊外では梅雨の晴れ間もなく、
雨が降らない日があったかなぁ・・と感じながら過ごしてきた。

何かしら気象庁では、東京の7月の1か月中で、全く雨が降らなかった日は、
わずか1日だけです、と公表されて、私は微苦笑をしたりした。




そして8月1日に『梅雨明け』となり、最高気温は30数度の連日の猛暑となり、
私は戸惑ったりした・・。

たまたま本日、買物先は最寄り駅のひとつ京王線の『仙川』駅の付近となり、
家内から依頼された品を買い求めた後、日傘を買い求めようと思い立った。



過ぎし7月の中旬、男性用の晴雨兼用の傘で、使用から15分経過すると、
一般的な日傘と比べて8度以上の温度差が出る「ひんやり傘」があると学んだりした。



ーベンの「ひんやり傘」は遮熱効果で一般的な日傘より涼しく感じる
 
私は9月の誕生日を迎えると、76歳となるので、前祝いとして、
今年の夏は、「ひんやり傘」の男性用を差して、散策しょうかしら、と微笑んだりしてきた。
しかしながら、この傘は都心のデパートで販売していると思ったりし、
「不要不急の外出自粛」の要請の中で、密閉、密集、密接から名づけられた『三蜜』の風潮の中、
我が家より都心の新宿までの45分は、遠い世界に感じたりした。



そして身近な京王線の『仙川』駅の付近にあるホームセンターの『島忠』に、
 男性用の日傘があるかしら、と思いながら立ち寄ったりした。

やがてリーベンの「ひんやり傘」よりは、遮熱効果などは幾分負けるが、
人生は妥協も必要だ、と私は幾たびも学んできたので、
買い求めたりした。

https://search.rakuten.co.jp/search/mall/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%82%BB%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3+%E5%82%98/?scid=s_kwo_2014test_test#qv_240029_10001720
★【楽天】傘・・・このようなゴルフ向きの大きな傘で、日傘として兼用でき、緑色とした 

そして税込み2200円だったので、年金生活にやさしいお値段だ、
と微笑んだりした。


          

やがて帰宅後、33度前後の熱い中、我が家の近くに流れている野川の遊歩道を、
生まれて初めて買い求めた日傘を差して、幾分涼しいかしら、と感じながら散策をした・・。
 
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体力の衰えた私、夏の熱い時節の散歩道のひとつは、神代植物園、深大寺・・。

2020-08-05 14:34:33 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住んでいる年金生活の75歳の身であるが、
過ぎし日の2月上旬の頃から、新型コロナウイルスに伴い、テレビのニュースなどで、
感染した事態が日々報じられ、何かしら重苦しい風潮の中、私は戸惑いながら過ごしてる。

こうした中、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、
政府より「 不要不急の集まり」を避けるよう公言されている。

そして体力も衰えた私は、新型コロナは、
どこで感染して、どこでウイルスを広げているのかわからないのが怖く、
せめて人出の多い処では、苦手であるがマスクをしている。


こうした中、そして知人に逢った時は、お互いに2メートルぐらい距離を開けて、
談笑したりしている。





私は我が家の買物の責務を終えて帰宅した後は、
やはり独りで自宅周辺の3キロ範囲を歩くことが多くなっている。
         
こうした中、付近に流れている野川の両岸にある遊歩道を歩いたり、
或いは小公園、小学時代に通学した旧市道を歩いたりしている。

ときには最寄駅の商店街に立ち寄り、知人と談笑したり、
都立の神代植物園に遠征したりすると、中学時代の同級生に逢う時もある。

こうした時、偶然だよねぇ・・、とお互いに再会を喜びながら、
過ぎし中学時代のそれぞれの同級生のことを話したりすると、長話になったりする時もある。            

そして私は、亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖におしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。




こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。

ときには遊歩道、公園などを歩いたりしていると、見慣れた情景でも、
樹木、草花など、 初めて気づかされて、こんなに美麗な花だったの・・
新たなめぐり逢いに感謝をしたりしている。



たまたま本日の散歩道は、都立の神代植物園そして隣接している深大寺とした。

我が家より最寄り駅のひとつの京王線の『つつじが丘』駅まで、
15分ばかり歩いて、やがて駅前より路線バスで『神代植物園』の正門前で下車した。

やがて30数度の熱い中、園内を2時間ばかり歩いて、

移ろう情景を撮ったりした・・。











この後は、隣接した深大寺に向かい、境内を散策した後、まもなく辞したりした・・。














そして熱中症が怖くて、路線バスの冷気に甘えて、路線バスを乗り継いで帰宅した。

このように熱い時節は、安楽なコースを選定した、歩いたりしている。



このように過ごすことが多いが、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフの私なりの健康体の三種の神器として思い、年金生活丸16年近く過ごしてきた。
        

そして私は認知症、心筋梗塞、或いは寝たきりなどは、ささやかな日常のささやかな願いも制約されるので、
殆ど毎日のように遊歩道、公園、住宅街を歩き、
ときおり大病に遭遇することは勘弁してねぇ・・と秘かに祈願しながら歩く時もある。



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日本の社会保障制度の年金、医療、介護の基盤は、働いて下さる現役世代の諸兄諸姉に高齢者は支えられて・・。

2020-08-04 12:37:57 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住む年金生活の75歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後41年を過ぎた古ぼけた一軒屋に住んでいる。

そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。




こうした中、過ぎし2週間前の頃、調布市より私宛に、

『後期高齢者』の保険証が送付されてきた。

何かしら令和2年8月1日から保険証がカードサイズに変更となり、
カードサイズに小さくなります、と公報されていた。

https://www.city.chofu.tokyo.jp/www/contents/1218431204921/index.html
★【調布市 公式ホームページ】===>『後期高齢者医療制度』★
    ==>図1-2 後期高齢者医療被保険者証の見本(令和2年8月1日以降)サンプル

私は昨年度の9月に75歳となり『後期高齢者医療被保険者証』を使用してきたが、
本日、整形外科に通院しているので、
新たなカードサイズになった後期高齢者医療被保険者証』を持参したりした。



先程、後期高齢者医療被保険者証』に同封された『後期高齢者医療制度のしくみ』の小冊子を見ていたら、
改めて気付かされたことに、微苦笑してしまった・・。

『後期高齢者医療制度の財政』に於いて、
医療費は、患者負担分を除き、約1割を被保険者の皆さんからの保険料でまかない、
約5割は公費(国・都・区市町村)、
約4割はその他医療保険制度(現役世代の方)からの支援金によって、
まかなわれています、
と明記されていた。

こうした実態を改めて学んだ後、年金制度も同じだよなぁ・・と微苦笑をしたりした。





過ぎし2017年度の公的年金は、国から年金が支払われたが、
55兆円のうち約7割は、働く世代の人たちが納める保険料。
約2割は国が集めた税金、
残りの約1割は、公的年金のために積み立てているお金などが充てられた、

と学んだりした。

そして改めて55兆円のうち約7割は、働く世代の人たちが納める保険料、と知ったりした。



ここ数年、個人消費が延びない限りは、民間会社は剰余金が豊富でも、設備投資には積極的になれず、
結果として働いて下さる方の給与は、物価を上回る実質賃金の増加は困難となり、益々消費低迷となっている。

そして私は、何かと働いて下さる現役の諸兄諸姉に注視するのは、
もとより日本の社会保障制度の年金、医療、介護の基盤は、
高齢者が使う費用は、その時の現役世代が保険料や税で負担する財政方式(賦課方式)を取っているので、
働いて下さる現役世代の諸兄諸姉が、その時の高齢者を支えている現実からでもある。 

そして年金も現役世代が払う保険料で、高齢者に年金を支給する「世代間扶養」の仕組みを取っているので、
団塊の世代が65歳を過ぎた現在、社会保障を長らく支えてきた団塊の世代が、
「支えられる世代」となって、若い世代に重い負担を強いることになってしまった現状である。


             
          

私も40代の頃は、給与から『厚生年金』が差し引かれて、

こんなに差し引かれるのかょ、と微苦笑したりしてきた。

或いはこの当時、たまたま家内の父と年金の話題になった時、
『お義父(とう)さんは、年金生活を始められたが、5人でひとりをささえる時代であるが、
僕たちが年金生活を始める頃は、3人でひとりをささえる時代と思われるので、大変ですょ・・』
このような意味合い言葉を、私は家内の父に苦笑しながら言ったりしたことがあった。


             

周知の通り、失われた15年での中、政治は混迷、経済は低迷、そして社会も劣化した後、
ここ10年は特に、たえず短期に成果を問われる勤務となっている。

そして大企業の正社員であっても、常時リストラ時代と称せられ、
多くの会社は正社員は6割、契約社員、アルバイトなどは4割、と知り、深く憂いたりしてきた。

或いは国税庁による「民間給与実態統計調査」に寄れば、
1人あたりの年間平均給与は、継続的に下がり続け、
平成16年には438.8万円だったのが、やがて10年過ぎた平成26年には415.0万円と知ったりした。
                   
こうした過酷の中で働いて下さる現役世代の諸兄諸姉の人たちは、このように熾烈な状況の中で奮戦する中、
「世代間扶養」の原則に基づいて、保険料のひとつ『厚生年金』を支払って下さり、
数多くの私たちの年金生活は支えられている現実がある。

更に私は、昨今学んだことは、《・・年収700万円世帯の手取り収入は、15年前に比べて50万円も減った。・・》
こうした現実に、無力な私は、瞼(まぶた)が熱くなってしてしまった。

                                    

まして今年は、新型コロナの悲惨な影響で、経済は激変している中、
このような状況下て働いて下さる諸兄諸姉に心情を深めてきた私は、
年金生活をしている私としては、
改めて働いて下さる諸兄諸姉に感謝を深めている・・。
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手がべとつかない『こぼれないシャボン玉』、高齢者の私は学び、やがて微笑み・・。

2020-08-03 14:05:05 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の住んでいる年金生活の75歳の身であるが、
先程、ぼんやりとネットでニュースを見ようと思い、パソコンを立ち上げたりした・・。


まもなくマイクロソフトの公式サイトの【 msnオンライン 】を見たりしている中、
『 手がべとつかない『こぼれないシャボン玉 』と題された見出しがあり、
添付された写真に見惚(みと)れたりした・・。

http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e6%89%8b%e3%81%8c%e3%81%b9%e3%81%a8%e3%81%a4%e3%81%8b%e3%81%aa%e3%81%84%e3%82%88-%e3%80%8c%e3%81%93%e3%81%bc%e3%82%8c%e3%81%aa%e3%81%84%e3%82%b7%e3%83%a3%e3%83%9c%e3%83%b3%e7%8e%89%e3%80%8d%e8%aa%95%e7%94%9f/ar-BB17ugLm?ocid=FUJITSUDHP17
【 msnオンライン 】==>『 手がべとつかない『こぼれないシャボン玉 』



幼年期、農家の児として育てられた私は、
父の妹が未婚だった当時、セッケンから麦藁(みぎわら)をストローのようにして、
シャボン玉を宅地の庭先で見せてくれたりした・・。

青空の中、陽射しを受けたりすると、多彩な色合いを見せてくれ、
私は七色に変化する不思議なシャボンに見惚れたりしていた。

このように思い馳せ、今回の手がべとつかない『こぼれないシャボン玉』は、
幼児の夢のある玉手箱かしら、
と高齢者75歳の私は微笑んだりしている。
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