夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

斎藤明美さん著作の『高峰秀子との二十年』を購読して、やがて過ぎし年の思いを馳せて・・。

2020-08-12 14:40:05 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住んでいる年金生活の75歳の身であるが、
4日前に駅前に買物に行った時、やがて駅ビルの中にある本屋に寄ったりした・・。

まもなく単行本、そして新書本、やがて文庫本のコーナーを見たりしていた時、
懐かしい高峰秀子さんの表紙がされている文庫本を私は手に取ったりした・・。

https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784794224514
★【版元ドットコム】 草思社文庫 斎藤明美・著作の『高峰秀子との二十年』★

私は10数年前の頃は、物狂いのように高峰秀子さんに関する本を熱愛して、
購読してきたが、この後は平熱となり、本棚に20数冊の本が鎮座している。

何かしらこの本は、2011年に新潮社より、
『高峰秀子との仕事』の『1』、
そして『2』を台本とし改題し、文庫化にしたものである、
と明記されていた。




斎藤明美さんが週刊誌の契約社員として、高峰秀子さんに初めてインタビューの依頼する時の心情、
やがてインタビューする時の心情、しぐさ、あますことなく発露されて、
やがて初めて高峰秀子さんのお宅に訪問する、その後も幾たび仕事を通して、心の交流を重ねてる。

こうした中で、高峰秀子さんの女優を引退された後、随筆を重ねている日常の中、
言葉、しぐさ、生活信条に魅了され、斎藤明美さんが一冊の本を書き上げて見たい深情となったりした。

やがて斎藤明美さんは苦心惨憺をされ自己格闘をされながら、
高峰秀子さんへの強い思いが増して、
高峰秀子さんを敬愛を深めながら、心に秘めていることなどを深淵まで描き、
文筆家として成長されて、一冊の本を上梓される。

このような過程を読みながら、斎藤明美さんの思い、意志に私は魅了されて、瞼が熱くなったりした。



過ぎし2014年の3月下旬、駅前の本屋で、
新書コーナーの視たりしていると片隅に、
監修・斎藤明美『高峰秀子』(キネマ旬報)と少し厚い本があった。

そして私は手に取ると《 高峰秀子三回忌 永久保存版 》と明記されて、
 過ぎし日の2010年(平成22年)3月に発行、と私は読み、見逃していたょ、

心の中で呟(つぶや)いたりして、購読したりした。



私が二十歳の時は、東京オリンピックの開催された1964年〈昭和39年〉の秋の時であったが、
大学を中退し、映画の脚本家になりたくて、映画青年の真似事をしていた時期で、
オリンピックの競技には眼中なく、京橋の近代美術館に通っていた。

戦前の邦画名作特集が放映されていたので、
数多くの戦前の昭和20年までの名作を観ることが出来た。

この中の作品の中で、山本嘉次郎・監督の『綴方教室』(1938年)、
そして『馬』(1941年)も観て、天才子役、少女と称せられた高峰秀子さんの存在を実感させられた。

私はこの当時の1964年に於いては、 少なくとも木下恵介・監督の『二十四の瞳』(1954年)、
成瀬巳喜男・監督の『浮雲』(1955年)、 木下恵介・監督の『喜びも悲しみも幾歳月』(1957年)、
松山善三・監督の『名もなく貧しく美しく』(1961年)等は当然のように鑑賞していた。

そして封切館で松山善三・監督の『われ一粒の麦なれど』(1964年)で観たばかりの年でもあった。

私は女優の高峰秀子さんの存在は、天上の女神のような存在であり、
『二十四の瞳』と『浮雲』がほぼ同時代に演じたこのお方には、ただ群を抜いた女優であった。

 子役、少女、そして大人としての女優としての存在は、
私のつたない鑑賞歴に於いて、このお方以外は知らない。

その上、脚本家、ときには監督もされた松山善三さんには、
 まぶしいようなあこがれの存在の人であり、秘かに敬意をしていた。


             

このような過ごしていた間、確か冬の日だったと記憶しているが、
私は成城学園の近くの砧にある東宝の撮影所で、宣伝部の方と話し合っていた時、
たまたま高峰秀子さんがこちらに向かって来た時があった。

宣伝部の方が飛び出て、『この青年・・大学を中退し、この世界に・・』
と話されていた・・。

『こんにちは・・でも・・もったいないわ・・大学をお辞(や)めになるなんて・・
でもねぇ・・大変ょ・・この世界は・・』
と高峰秀子さんは私に言った。

私はこの当時も大女優であった高峰秀子さんとは、
 これが出会いであったが、これ以降はお逢いしたことがない。


          

この後の私は、映画青年の真似事、その後に文学青年の真似事もあえなく敗退し、
やむなく私はサラリーマンに身を投じ、音楽業界のあるレコード会社に35年近く勤めて、
2004年〈平成16年〉の秋に定年退職となり、その直後から多々り理由で年金生活を始めた身である。

この間、サラリーマンの現役時代のいつの日が忘れてしまったが、本屋の店頭で、
 高峰秀子さんの随筆の本にめぐり逢い、数冊の随筆集を読みはじめ、
これ以降は本屋で見かけるたびに、購読してきた・・。



そして2010年12月の歳末時に高峰秀子さんの死去が公表されて、私も落胆したひとりであり、
もとより天上の花のひとつとなった高峰秀子さんにお逢いできるひとがないので、
せめて私は高峰秀子さんが上梓された数多くの随筆を読んだり、再読したり、
或いは出演された名画を鑑賞したりして、愛惜を重ねたりしている。

 このような私の心の片隅に敬愛しているお方なので、今回めぐり逢えた本を買い求めたりした。




 今回、文筆家の斎藤明美さんに導かれて、
改めて高峰秀子の御言葉、しぐさ、日常の信条を学び、
清浄に満ちた意思の生活を実践されていた稀な御方・・と思いを深めたりした。
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