「夢屋いろはカルタ」は33日目…『こ』であります。
江戸カルタでは「子は三界の首枷」であり、親は子を思う心にひかされて、終生自由を束縛されるという諺であります。ちなみに、このブログをご覧の皆様、あなたの右手でも左手でも結構です。どうぞ手のひらを眺めて見てください。あなたの親指も私の親指も必ず小指(子指)の方向を向いております。生物学的に言えば、これは類人猿の特質であり、親指と他の指が対向していることによって、物を捕まえることが容易になるという性質を持っております。
私のお袋の受け売りではありますが「夢!小指(子)は、常に外(将来)を見ているが、親指(親)は常に子を見つめているものだよ…。」などと、大学進学で上京する私に諭したことがありました。(ちょっと、良い話でしょう。)
血気盛んな青年からすれば、親の要らぬ心配など迷惑千万な話ではありますが、私も子を持ち、当時のお袋と同じ様な年齢に成りますと、要らぬ心配をするバカな親父になってしまっております。
秋の澄み渡るような青空は、心地よい限りですが、放射冷却現象で、このところの朝は肌寒く、濃い霧が立ち込めます。何か良い画像がないものか…などと家の周囲を徘徊しても、寒さの影響で生き物の姿を目にすることが少なくなりました。こんな時は、今年訪れた南海の海のサンゴでもお届けしましょうか…?エヘヘ。巻頭画像の種明かしをすれば、庭石に生した『コケ』の拡大画像であります。
手荷物をまとめて旅立った『アマ執政』の昨夜のお宿は、畑の青菜の間でありました。これが本当の『アマ宿り』なんてね…下らないオヤジギャグです。夏場の眼が見開かれた頃を思いますと、閉じられた眼は浅い眠りを感じさせます。この時期、刈り取られた稲わらの下や葉の間に潜んでは、朝の寒さを凌いでいるようです。
野に暮らす生き物たちに「今朝は寒くはないかい。」などと、声をかける所作も無駄な心配ではありますが、認知症の進んだお袋も、先日他界した親父も、ひとりで一丁前(一人前)になったつもりでいる私、夢屋をいつも心配していたのだろうなどと、感傷的になる秋の朝でありました。