その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

得手に帆を揚げる

2009-10-16 17:16:00 | いろはかるた
「夢屋いろはカルタ」は、34日目となり…『え』
江戸カルタでは「得手に帆を揚げる」、実に順風満帆、得意な技を遺憾なく発揮できる好機に恵まれている様を表す言葉であります。
「麻雀は、人生そのものだよ。」とうそぶいたのは、大学の教官でした。
「逆風の時は、どんなに流れに抗っても裏目に出るだけ…。自分に風が吹いている時は、少々無理をしても通ってしまうものさ。麻雀も人生も続けている内に、皆に平等に風は吹く。重要なのは、自分に追い風が吹いていることに気付けるか、気付かないかだと思うよ。吹く風を感じることが重要なんだよ。」と
彼自身、大した研究成果を上げたとも思われませんが、最後は教授まで登り詰めたようであります。
           
山椒の枝で一夜を過ごした「アキアカネ」は、全身に露の衣をまとって、晴れ上がる時をジッと待っています。しかしながら、凡人には「待つ」という行為が中々出来ないものです。非凡な方は、おそらく待つ間に思索を巡らし、知力体力を蓄え、次なる機会を待つということになるのでしょうが、私の場合「待つ」とは、どうしても「落ちて来るはずもないボタ餅」を期待している場合が多く、落ちて来ないことに不平を洩らす凡太郎であります。
           
大体、『努力』という言葉が大嫌いな人間ですから…。「女の又に力を込めて、また、力を込める。」などという行為は、ご免被りたい。仕事にさえ遊び心を取り入れてしまう。楽しまなければ、生まれてきた甲斐がない。
冷たい風にさらされる「アキアカネ」や「アマガエル」たちは、何も無計画に生きて来た訳ではなく、季節(トキ)が巡ってきただけの話なのです。今日があるから明日もある…などと考えるのは、長い人生を与えられた人間だけの勝手な思考であると私は思います。
不幸にして3歳にも至らずに死を迎える幼児の人生は、残された家族に多くの思い出を深く刻み、100歳の天寿を全うした老人も知人がいなければ、その思い出話さえ語って貰えないではないか…などと、今日は、クドクドと死生観を語る夢屋でありました。
コメント
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