その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

背に腹は変えられぬ

2009-10-28 20:33:50 | いろはかるた
「夢屋いろはカルタ」も46日目となりました…『せ』ということで、江戸かるたでは『背に腹は変えられぬ』と相成ります。
差し迫った苦痛・苦境を脱するためには、少々他の犠牲を払うのもしょうがないといった意味でありますが、「こりゃ、背に腹は変えられねぇ…」と言う逃げ口上を使ってその場をしのぐことが多いような気がします。
直近の事例を挙げれば、本日の画像は、この夏撮り貯めたものであり、夢屋画像集ボツ庫に収蔵されていたものですが、台風の余波で撮影が出来ないとこうして古いボツ画を掲載するしかなくなり、これも小さな「背に腹」状態であります。
大きな事象で言うならば、多くの農家は、土地を担保に「総合商社のうきょう」に多くの債務を抱え、二進も三進も(ニッチモサッチモ)立ち行かない状況が見え隠れします。子どもの進学や農業機械の更新、家の新築など、世間並みと言われる生活を求めた結果、的確な経営診断もないまま融資を受け続けた結果の失態…ある意味、体の良いサラ金地獄と同じような状態の方が見受けられます。世に「有るようで無いのが金。無いようで有るのが借金。」と言われる所以であります。
           
中々腹の内を見せてくれない「アマガエル」の腹の画像を狙うとこんな感じでしょうか…^^;
しかし、考えるに…日本と言う国家自体が借金塗れの状態で、いつ倒産してもおかしくない。そもそも貨幣などというものは、国家の保証によって価値が維持されているものなのですから、いくら銀行に億単位の蓄財をしても「日本国」が倒産すればただの紙くずな訳でありまして…老後の心配より、国家の心配をすることの方が先決なのかもしれません。
古老の死によって、莫大な遺産を相続することとなった(古老は、古物収集癖があったので、莫大なというよりは…数多くの古い物といった表現が適切ですが…)私、夢屋でありますが、その処分に困っております。
親子で価値観が違うと、古老の大切なお宝も、私にとっては唯の瀬戸物であり、ゴミであり、厄介な盆栽であります。国家もまた同じで、国民との価値観の違いが生じると、ダムの堤体も高速道路も、所詮処分のできない粗大ゴミ…都市部に生活のみなさん^^; 道路一本だって、政府が管理を放棄したら、その道路に隣接する土地の価値などというものは、一気に暴落してしまうのですから…。凡そ、この世の資産などというものは、所詮仮初めのものでしかありません。価値として不変の物は、「親子愛」であり「夫婦愛」であります…この「夫婦愛」もいささか変節いたしますが、この際『背に腹は代えられぬ』ということで、せっせと「おかあちゃん」に媚を売る夢屋であります。
コメント
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