その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

雀百まで…

2009-10-29 19:59:40 | いろはかるた
「夢屋いろはカルタ」は47日目を迎え…『す』 上方カルタでは、お題の「雀百まで踊り忘れず」であり、江戸カルタでは「粋が身を食う」と相成ります。明日は、いよいよ夢屋一座も千秋楽を迎えることになりますので、何か名文をなどと、要らざる事を書きながらマス目をうめております。
今日は、とても濃い一日でした。朝の打ち合わせに始まり、人生相談や経営コンサル、書画骨董の品定めに、重機や土地の売却交渉、最後はメンタルヘルスに関する要望など…。一体、私は一日何をやっているのだろう?
こんな時は、火星の樹海を眺めながら、また人生を振り返るのであります^^;
ブログ仲間で同級生のHN『貧乏父さん』も、リストラで大時化(オオシケ)の海を何とか泳ぎ切り、就職内定に漕ぎ着けたとの一報が入りました。私たちの年代に成って来ると、やる気と経験、資格だけでは容易に仕事が見つからない…年齢の壁という厳しい現実が目の前に立ちはだかります。
かつて、一国の首相がパフォーマンスでハローワークを訪れ、「将来どうしたいかという大きな夢を持たなきゃ企業は採用してくれないよ…。」などと、若者に勝手なコメントをして自己満足しておりましたが、御曹司で大株主で、就活など縁の無かった方の発言であり、我々オヤジが夢を語ったところで、脛をかじる子どもたちに、どうやって飯を食わせるか…という現実に、語る夢は悪夢へと変わってしまうのであります。何はともあれ『貧乏父さん』良かった良かった…^^;
           
外回りを終えて、日の暮れかかる裏庭を歩いていると、日中壁際で「日向ぼっこ」をしていたと思われるアマガエルが、芝の上をねぐらに帰ろうとしておりました。彼らはきっと枯葉のベッドで今晩眠るのだろうと勝手に想像し、丸い愛くるしい瞳を見ていたら、一日の喧噪も忘れてしまいました。
子どもたちの寝顔や笑顔こそが、お父さんの活力源でありましたが、3人の子どもも家を離れてしまい、お父さんの癒しは、「アマガエル」の円らな瞳となっております。
アレレ。今日のお題は『雀百まで踊り忘れず』でした。
幼い時に身に着いた習慣は、年を取っても身から離れないという例えでありますが、私の場合、身に着いたのは「貧乏性」であり「恥(人の目)」であるような気がします。
我が家の狭い農地に這いつくばりながら、子どもの頃させられた『落ち穂拾い』…私がお袋に「何で拾うんだ。」と聞きますと、お袋は「拾ったところで収量が上がる訳ではないが、無造作に捨て置くことは、人に見られたら恥ずかしいことなんだ…。」などと教えたものです。効率性といった見地からは、絶対に理解できない「恥」の心であり、こうした教えがいつの間にか身に着いてしまったような気がします。かつて学生時代に上野の山で見た、ミレーの『晩鐘』は、私の心の原風景のような気がして、もう再び本物を見る機会はないだろうなどと思いながら、人の波に逆らいながら、半日、絵の前で眺めていた自分を思い出しました。
おっと、巻頭「火星の樹海」は、我が家の庭石のコケでありますm(_ _)m
コメント
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