その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

涙君さよなら

2009-10-02 04:20:30 | いろはかるた

9月30日「夢屋いろはカルタ」も24日目…『う』
「江戸カルタ」では、「嘘から出た真」をお題として、カルタ48枚ようやく折り返しでございます…などと私の日記ブログを更新する予定でありましたが、2日程お休みをいただきました。なぜか、お題が「涙君さよなら」
嘘のような話でありますが、私、夢屋の父「古老」が、29日午後5時57分息を引き取りました。父の死を、ましてや葬儀前の喪主の立場でありながら、ブログなど更新している親不孝息子をお許しください。
我が家の「古老」の死は、突然でした。病気療養中ではありましたが、順調な回復を見せ、退院も近いことと信じて疑っておりませんでした。前日、愛車「ボロクソワーゲン」が故障したことで笑いを提供出来たように、何の心配もないとの思いでありました。
29日夕刻、仕事を終えて個室病室を見舞うと、古老は緩いあぐらをかきながら、前のめりに倒れておりました。これが最期でした。
ここ数日間、老人の病院生活では起こりがちな、認知症の症状が出始めておりましたが、古老の明晰な頭脳は、私の母の介護(グループホームに入所しており、何の心配もないのですが…)と自身の介護で、私、夢屋に負担をかけてしまうことであろうなどと、要らぬ心配をしておりました。
「俺も腹減ったし、今日は帰るぞ…。」(夢屋)
「ああ、お前だけは無理するな。身体に気を付けろ。早く行け。」(古老)
病室のドアに手をかけた私の肩越しにかけた古老最後の言葉であります。
           
リュウマチを起因とする間質性肺炎…この治療に専念しておりましたが、急な心筋梗塞を起こしてしまったようであります。
病棟のスタッフに気付かれることなく私が看取りに来ることを待つように、苦しんだ顔もせず、安らかな顔立ちの最期でありました。
私は子どもの頃から泣き虫で、今でも、テレビドラマで泣けてしまう程の弱虫ですが、私の父は、一度も涙を見せたことがありませんでした。22歳で父(夢屋の祖父)を失い、歳の離れた4人の弟たちを文字通り父親替わりに育てあげ、苦労の連続であったことは容易に想像できますが、涙を見せたことがありません。いや、本当は一度だけ私に涙を見せたことがあります。長年支えてきた勤務先の会社の立て直しを図り、それでも悔い改めない経営者に嫌気がさして辞職したとき、大学生の私を自宅に呼んで、「仕送りが途絶えるかもしれない…済まない、こんな自分が情けない。」と私の前で涙し、卓袱台の布きんで、憚ることなく涙を拭いた父が一度だけ。
私もいつの間にか当時の父と同じ位の年齢になってしまいました。
そんな父を思い出しながら、喪主として、涙を見せずに送ってやりたい。
でも、また泣いてしまうだろうなぁ…オヤジ、あんた格好良すぎるよ…。
俺にも格好つけさせてくれ…だから、今夜は「涙君さよなら」
     http://bunbun.boo.jp/okera/nano/namidakun_sayo.htm
『ダリア』の花言葉は、「華麗」そして、「威厳」だよオヤジ…。

コメント (6)
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