「夢屋いろはカルタ」は、40日目…『め』
江戸カルタでは「目の上のたんこぶ」、とにかく気に障るものや邪魔になるものの例えであります。しかし、一般的には職場の上司や先輩、親を指す場合が一般的ではないでしょうか。
「こぶ」から連想するのは、昔話の「こぶとりじいさん」でしょうか…。木の洞で眠っている内に夜も更け、鬼の宴会で得意な踊りを披露する。次の日の晩も踊ることを約束させられた「じいさん」は、約束の証として「こぶ」を取られてしまう(取っていただく)ことになる訳ですが、昔話には必ず教訓のためのオチや相反する行動を取る「悪者」が存在し、根性の悪いとなりのじいさんが、下手な踊りを代わりに披露して、余計なこぶを付けられてしまうというお話でした。
しかし、よく考えてみますと、こぶを付けられてしまったこの「じいさん」の罪は一体何だったんだろう?「自分も邪魔なこぶを取ってもらおう」という心理は、「根性の悪さ」から来るものでもなく、自然な発想と思われるのですが、幸と不幸を分けたものは、踊りが上手かったか下手だったかということ位にしか思えません。「安易な人真似は宜しくない。芸は身を助ける。」この辺りが話の落とし所かと思われますが…。
職場の裏庭の置き石に出来た水溜りの「おたまちゃん」たちは、遂にこの一匹だけになってしまいました。季節はずれのアバンチュールは、秋深まるこの季節にまだ、尾っぽを付けたままの「おたまちゃん」を残す結果となりました。彼女の兄弟たちは、鳥に啄ばまれたのか自然死なのか、次々に姿を消していきましたが、彼女だけはこうして手足が分化し、頭もカエル独特の角ばった形に変化してきました。煙草を吸いに裏庭に逃げ込むオヤジたちのアイドルは、このまま成長し、来春を迎えることができるのでしょうか?「煙草を吸う野蛮な」オヤジたちの心にも、「おたまちゃん」の成長を願うなどという良心とやさしさは残っているようであります。
裏庭に訪れる「ベニシジミ」でさえ、翅を広げて、お日様の暖かさを精一杯身体に蓄えようとしている季節。「おたまちゃん」の巣立ちを心待ちにしているのですが、おや、本日のお題は「目の上のたんこぶ」でした。「こぶとりじいさん」の話に話題を振りながら、『こぶとり』を文字変換しておりましたら、『小太りじいさん』と変換されてしまいました。現代の「こぶとりじいさん」は、踊りとカラオケ大好きな「小太りじいさん」ということになるのでしょうか…^^;
お腹に貯めた「こぶ」を取ってくれる鬼は、どこかにいないものでしょうか?