その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

喉元過ぎれば…

2009-10-08 17:59:38 | いろはかるた

「夢屋いろはカルタ」は、26日目を迎え…『の』
タイトルは、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」であります。
我が家の古老が急逝し8日目、そろそろ普段の生活に戻れなければいけないのですが、遺品の整理や認知症が進行しているおふくろの荷物を整理していると、あっと言う間に一日が経ってしまいます。
この8日間を振り返りますと、地域の人々に慕われた古老の姿を再認識するとともに、普段、無宗派の様な生活をしていながら、一旦、事が起こった場合に、急に仏教徒の顔に戻り、その仕来たりに合わせようなどとするものですから、不案内な内容や祭事に関し、色々な意見・アドバイスが与えられ、結果的に喪主の頭が混乱するという結果に陥ってしまうということに改めて気付きました。
老年人口の増加によって、葬祭産業の業績はウナギ登り。不景気と言われながらも、その勢いは止まるところを知りません。近親者による密葬や友人葬など、しめやかに、あるいは質素に行うことも可能ですが、「人並みの…」などという遺族の見栄が、この業界を支えているような気がします。
           
普段であれば、スラスラと覚えられるような短い喪主の挨拶文さえ頭に入らず、かつてお世話になった方々が弔問に訪れてくれるだけで、古老の人となりを思い出し涙する…『孤高の涙君』の涙も涸れてしまいました。
そうした生活の心の隙間に入り込む葬祭産業とは…
いえいえ、致し方無いことではありますが、本日、訪れた墓石屋さんだけは許せませんでした。
「○×石材の海千山千と申しますが、新聞お悔やみ欄に掲載された方々のお宅を訪問し、ご焼香させていただいております。」
ここまでは、営業マンとしては当然のこと。私もこうした営業は覚悟の上で、新聞お悔やみ欄への掲載を了承した訳であり、日常の健康状態から急逝など思いも寄らないであろう古老の友人にご焼香願いたい一心での掲載したものであります。遺族が軽くあしらえばそれで良いことでありますが…
「我が家には仏具も墓石もありますので結構です。」(夢屋)
「はい、先程、こちら様の墓石も拝見した上で参りました。」(海千)
     …ブチッ… うちの墓石がボロいってかぁ!!!
普段であれば声を張り上げるところですが、古老が使っていた数珠を左腕に巻いておりますので冷静に対応します。
「我が家では、存命中に孝行することを家是とし、世間体を気にして墓石・仏具にお金はかけないことを家訓としておりますので結構です。」(夢屋)
     …古老を知らない君たちに何がわかるのか…
私、夢屋が誕生した年に古老が建立した「高畠石」の墓石なのだ。ようやく、生活が安定してきた時代に古老が苦労して建てたお墓を易々と建て替えることなど出来るものか…。
その家には、その家なりの歴史があり、思い出があるもの。銭金を惜しんでいる訳ではない。事実、古老は墓地用地を寄進していることから、住職より直々に、一等地に無償で移ることを勧められた経過もありますが、現在の位置にすら歴史があり、頑なにお断りした経過もあるのです。
夢屋第四代当主 夢じぃ家訓
「一、親孝行は生きている内に行うべきものであり候こと」
「一、仏具・墓石は弔いの道具にして、弔いの心こそを大事とすべきものであり候こと」
「一、位階・家格が移ろうは世の常、常に品格を磨くを尊ぶべき候こと」
「一、夢屋家宝は、初代夢じぃから受け継がれたもののみとすべき候こと」
まぁ、この四家訓は、子どもたちに伝わったかなぁ…。
古老が亡くなり、古老への『熱い思いが喉元を過ぎた』としても、夢屋の歴史や心は、子どもたちに伝わって欲しいと思うのであります。

コメント (1)
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