逃げた女房『ジーコさん♀』ではあるが…
昨年の今頃、『子猫ちゃん'ず♂♀』との同居のきっかけとなった母ノラ猫『ジーコさん♀』でありますが、今年も秋の出産を終えたようであります。(乳輪が露出していた。)昨年の秋、今年の春と出産はしたものの、どうやら育児には失敗したらしい。昨年の『子猫ちゃん'ず♂♀』だって、ようやく田んぼの「コバネイナゴ」を獲れるようになった頃に、出産の時期が近付き子ども達を置き去りにしていった女(♀)であります。その時から、一方的に児童相談所長を命じられ、気の良い里親となり、エサだけは与える同居人となり、孫を見守る『おやじぃ』となってしまいましたよ^^;
稀にこうして『第2サティアン』を訪れても、ドライフードに目もくれず、『子猫ちゃん'ず♂♀』に睨みを効かせて出て行くのでありますが、今朝の彼女はオドオドとして外の様子を伺い、差し出したドライフードをペロリと平らげて行きました。恨み節のひと言も言いたいところではありますが、授乳でやつれ果て、ボロボロになった彼女を見ていると、男にすがり、邪魔になって子殺しまでしてしまう人間社会の「病理」が見え隠れするのでありますよ。
夜食に「トマトら~めん」?
「人は女に生まれるのではない、女になるのだ。」と女性を定義したのは、フランスの実存主義者ボーヴォワール♀であります。「男女同権論」の代表作とも言われる「第二の性」が刊行されてから、71年経過してもなお、男性は女性の「性」を理解することは出来ないでいる。否、最期まで我がオッカーの心理さえ『おやじぃ』は理解できないに違いない。
『お犬さま』は軛(くびき)につながれ、屋内で養育され、本来の「性」が失われつつありますが、身近にいる『ノラ猫』たちには、まだ野生の生き物の「性」が残されているような気がする。我がご近所を徘徊する『ノラ猫』たちは、気が付く限り圧倒的に♂猫が多く、出産、子育てをしながら生き長らえる♀猫は稀であります。そうした意味では『ジーコさん♀』は、優秀な♀ノラ猫なのでありますが、子育てに関して言えば、何らかの形で人間の手が差し伸べられないと、成猫化するには難しいような気がします。(でもなければ、ノラ猫は爆発的に増えているはずでありますから^^;)彼女の観察を通して、女性の「心理」は理解出来なくても、女性の「真理」には近付けるかも?学生時代に浅読みしたボーヴォワールの著書をもう一度ひも解いてみようかと思った朝のひとコマでありますよ(笑)