雨上がりの春の空気はいい。しっとりと包み込んでくれるようだ。冬のぴりりとした乾いた冷たい空気もいいが、やはり春のやさしさがうれしい。とは言え、どうも櫻を見に行く気分になれない。
「老い」の残酷さを親友と語り合う。若いときは、二人とも「あいよ、あい」といいながら、いいご縁にも振り向かず、「お間抜け」と批判されながら生きてきた。まぁ、なんともお間抜けだった。「若さと貧乏」から若さがなくなれば「貧乏」が残る。そして、今頃「私たち、かなり損をしたんじゃない」ということになる。「老い」にはお金が必要だ。日常の生活はもちろん、旅行も趣味も運動するにもお金が必要。若さもお金である程度保持できる。病気や介護が必要になればなおさらだ。有料老人ホームには入れれば手厚いケアや美味しい食事も保証される。私たちには何があるのだろうか?と。
それでも友は青少年育成のバトミントンで汗を流し、早起きして野菜つくりに励んでいる。その空いた時間は、好きな本を読み執筆活動を楽しんでいる。私は暗い気持ちならずに、お茶のお稽古やらボールけりをすることができる。なんとなく心がのんびりしている日は手の込んだ料理を作る。飽きれば、カメラを持ってふらりと出かけることも出来る。「あい」か「お金」か?そりゃ、両方でしょ。花はもちろん、美味しい団子もいいね。
二人は逞しくなった。朱をくぐってきたもんね。熱い恋の思い出も静かなあいのお話も、そりゃお金には勝るからだろう。