櫻も満開の日、交通事故から3年半、救急で入院した病院へ診察に。1年ぶりの診察。ここへくると、何もしないでただベッドに横になっていた日々を思い出す。「神様のくれた休日よ」と言われたが、なんともとんでもない休日だった。でも、この事故は「運がいい」と皆が言う。警察でも、「よくこの事故で軽症でしたね」と言われた。そして、3年半経って、圧迫骨折はうまく固まったらしい。第3腰椎が半分近くつぶれてはいるが、腰の痛みも足のしびれもない。
「男運が悪いんですって」と友達の彼氏に会うなり言われた。(なんて非常識な男だ)「運がいいから、いろいろ遭ったのよ。よすぎたのよ。」と心の中で思う。「運がいいとか、悪いとか・・・」はさだまさしの無縁坂だったかな。運が強い というならわかる気がする。えっ!と思ってどうしようと困ることも、逆転していい方向に向うことが多い。男運はいいし、強いのだろう。
この頃思うのです。それは私がキリスト者だかもしれませんが、その瞬間に何かが知らせるのです。それは上手くいえないのですが、無意識になにかをつかむのですね。理屈ではない世界です。「運」があるかと言えばあるのでしょうか。それとも自分の人生が「運がよかった」と思うか、思わないか?なのでしょうか。心がどちらを向いてるか(プラスかマイナスか)でつかむ運が違うような気もする。
病院の帰り道、フラワーパークへ、。カメラを持って出かけたのに、3/31まで休園の張り紙。こういう運の悪い日もある。