お友だちから年末に届いた紅茶の封を切った。ハンドメイドというティーバックはうつくしいレースの糸がついていてガーゼのような素材だった。香りといい味といい今までには味わったことのないような優雅なものだった。貴婦人のようだ というのがあてはまりそうだ。調度朝からNPOのことで神奈川県のNPO推進部とのやりとりでいらいらしていたとき、ピュアのカモミールティーは心が安らいだ。すてきな紅茶カップがほしくなった。
そういえば、親友のYちゃんは昔、喫茶店に行くと紅茶しか飲まなかった。(喫茶店がたくさん時代のこと)この人はコーヒーが嫌いなんだと思っていた。それはどのくらい続いていたのだろうか。もう二人が40代になった頃、「実は私、コーヒーは大好きなのよ」と打ち明けられた。えっ!という感じだった。「人をとても傷つけるようなことを二十歳のときにしたわけじゃない。せめてそのことを忘れないようにと、許してください という意味で好きなコーヒーを断ったのよ」と彼女が教えてくれた。そうか・・・・・。紅茶が好きだったとうわけではなかったのか。傷つけたと思っていた人と会ったそうだ。元気で暮らしているので、それでほっとして、コーヒー解禁にしたそうだ。でも20年くらいコーヒーを断っていた。
そういえば私は「お米断ち」した。「茶断ち」は神仏へ祈願した時などに、ある期間お茶を断つこと という意味らしい。お茶ではと思い、お米にした。結構大変だった。朝飯と昼食はいいが、夜は食べるものに悩んだ。約半年、住まいの近くの神社に祈願した。。「念願」がかなったときに食べたのはおすしだった気がする。まぁ、若き日は純粋だったのかなぁ。今の人たちはしないだろうな。
新しい住まいで新しいティーカップで、Tea for Two にはならないが優雅に貴婦人のように(笑わない)この紅茶を味わおうかな。