阪神淡路大震災から24年。親友の息子さんが神戸に就職が決まっていたがだめになった年だ。24年前はスマホもなく情報手段が今ほど進んでいなかったし、耐震に対する意識も低く、箪笥の下敷き というようなことも多かった。街の火災の状況を見ると、いまでも胸が痛む。
そんな日に渋谷まで電動車椅子サッカーのドキュメンタリー映画「蹴る」の試写会に出かけた。出演している選手たちは大会で見ていた。重度の障害をもつといっても、筋ジストロフィー、脊髄性筋萎縮症(SMA)、脊椎損傷、脳性まひなど様々だ。彼ら(彼女ら)たちの電動車椅子が個別仕様になること、家族の介護の状況、選手たちの恋や結婚、監督が6年間という撮影を通して得た信頼があるから撮れたドキュメンタリーだ。電動車椅子サッカーW杯出場までの選手たちの足取りが描かれている。準決勝で破れ、USAとフランスの決勝を見た選手の一人が「違う!ちがう!これはサッカーじゃない。電動車椅子のパワー対決だ」と叫んだ。ほかの障がい者スポーツでもそうであるが、技術力の勝負のような気がする。それでも彼らはその思いの強さで電動車椅子を動かせる限りサッカー続けるという。
一緒に行った友だちが会場を出ると開口一番「『ぼーっと生きてるんじゃないよ!』ね。」と言った。昨年12月の電動車椅子サッカーの取材が私の意識を変えた。あと何年自分の思うように生きられるか。後がない。どうせならいのちを燃やして終わりたい。だって私はひとりだから。いつ終わりがくるかわからないなら、せめて、せめて、琵琶湖に沈む真っ赤な大きな太陽のようにあいに燃え尽きたい。