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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

いま 泣いている人は

2019-02-18 19:56:32 | 日記

暖かい1日。秒読みの引越しはどうなることやら。疲れもあり、どうしてもいらいらしてしまう。そんな中、昨日はミサに出かけられた。お寺も教会もやはり心を落ち着けるいい場所なのだろう。心が清められる。教会では、聖霊が満ちているというのだろうか。

昨日のミサでは、有名な「貧しい人々は、幸いである。神の国はあなたがたのものである。今飢えている人々は幸いである。あなたがたは満たされる。・・・」という福音でした。「今、貧しい人は・・」となっている福音もある。神父様は「さびしくてもいいんですよ。悪いことではないのです。悲しいんでもいいんですよ。悲しいことが悪いことではないのですから、無理をしなくていいのです」と前よりもはっきりと話されました。どうしても、さびしいと思うことがいけないことのように思ってしまう。

今日は弟ともとかのとランチをした。ずいぶん疎遠になっていた彼女だ。私が長浜に行くので、その前に会いたいという。複雑な思いで会うことにした。この忙しいときに・・・・。弟と現れた彼女は脚を怪我をして杖をついていた。少しやせたようで、日焼けのせいでしわが目立った。でも、大きな声で「お久しぶりです!」という声が聞けた。弟と彼女は二人は面白い関係で、気の知れたいいお友達のようだ。近くに住んでいて、弟の留守を預かっているようだが、あまり深入りはしないようだ。(お互いの経済状況などには)

時は偉大だ。こだわりのよじれた結び目を解いてくれた。お互いに家族がほとんどいないせいかもしれない。昔、一緒に出かけたときのこと、母の思い出、彼女の息子がもう35歳になること・・・・。話は尽きなかった。弟は言葉は少ないがうれしそうだ。母の死も、私の引越しもむしろ三人には「幸い」ともなった。あたたかい気持ちで、長浜に引っ越せそうだ。

 

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