お月見のお供えをした窓から月が見えた。大家さんの屋根と屋根の間に見える。贅沢な時間だった。さわやかな秋晴れの日、今日は取材に出かけなくてはならない。最近主催者側から、「今回はいらっしゃいますか?」のメールが届く。小さな小さなは発信媒体だが、そんな声がかかるのはうれしい。
昨夜のNHKで内田也哉子さんが樹木希林さんを語っていた。明日が1周忌という。もう、そんなに経ってしまったのか。マスコミや本でその姿(写真)を拝見することが多いので、間近に感じている。彼女の残したものの大きさをつくづく感じる。也哉子さんのお話をお聞きすると、若いころからしっかりとした信念で生きておられた。今風にいえば、半端ない生き方だ。
希林さんが9/1に「死なないで、どうか生きて」と窓の外を見ながらほつんと言われたという。9月1日は学校が始まる日で、この日は自殺が一番だということが、也哉子さんは知ったという。不登校の子供達へのメッセージだ。希林さんは「人と自分とを比べない」という生き方を自らも也哉子さんにも伝えていたという。その子育ては、普通の人にはまねできないだろう。
考えれば、人の人生なんて「人と比べる人生」でなりたっている気もする。オギャーと生まれたとき、「おっ、隣の男は俺よりハンサムだ。いい服を着ている」なんて思うはずがない。人はいつから「比べる」を身につけるのだろうか。家庭で保育園で・・・。それを修正するのはやはり「家庭」なのだろう。それでいいじゃyない、すこしぐらい鼻が低くても、ぶつかりにくいわ、なんていう価値観が育てられればいいのだろう。価値観のゆがみを自分で修正する力を身につけさせるのが親の役目かもしれない。
親は「差別」「比較」を作ることはするが、修正しようとはしない。そして、親自身も差別を比較を持ち続けて生きている。希林さんの残したものは大きすぎる。「どうか、生きて!」