どんよりとした空が広がっている。なんとなく気持ちが重くなる。ぼんやりと2階で大家さんの家の蔵の屋根を見て過ごしている。今日はミサに出かけられた。彦根城のお堀の木々ではつつつくぼうしも鳴いている。
今日のミサはいつもの元テノールか歌手の神父様だった。ご自分で大きな声で聖歌を歌いながら入場してこられる。こちらも大きな声で歌えるので、歌がうまくなったような気がしている。(しているだけ)今日の福音は「だれでも、高ぶるものは低くされへりくだる者は高められる」でした。子供達に「へりくだる」の意味はわかりますか?と神父様は聞かれた。子供にはむずかしい言葉かもしれない。生きていくうえでも「へりくだる」は難しいことと思う。自分がなにかを成し遂げていけばいくほど、「へりくだる」を忘れてしまいそうだ。そして、神父様は言われた。「これはいわゆるエリートといわれるひとが陥りやすいのですが、そうでなく失敗を繰り返してなにかそれを克服した人も陥りやすいんですよ」と。
神父様のミサの中のことばを反復しながら、帰路についた。駅まで歩く途中で、『神に出会えたこと』に感謝しなくては、いや、であったたくさんの人への『感謝』を忘れると『へりくだらない、傲慢な人間』になる」と思った。そう思えば、だれにも不平や不満は出てこないはずだ。涙が出てきた。なんと悲しい人間なっていたのかと。ごめんなさい、私はあなたへの感謝を忘れていました。
「感謝」はたくさんの思いやりやいつくしみを感じさせてくれた。こんなにも多くのものを頂いていたのだと。聖書の言葉は毎日読んでいたが、これは自分の理解の範囲でしかなかった。それを越えるには、やはりその道を学びきった人の言葉を聞かなくてはならないのだろう。なにごとにも導いてくださる人が必要だ と痛感した。