台風は被害もなく過ぎていった。昼間は蒸し暑く、夕方はひんやりとした空気を残していった。1日中、化粧をしないで過ごした。肌もほっとしているだろう。ということで、夕方になって買い物に出かけた。大家さんが庭仕事をしている。だんだん庭がきれいになる。今は、コスモスが揺れている。彼女と私は似ていると思う。忍者のような格好の彼女と銀行ギャングのような格好の私。世を忍ぶ二人のようだ。雲の流れが速く、夕焼けがうつくしい。
久しぶりに針仕事ををした。というほど大ごとではない。作ったクッションカバーを洗ったので、口を縫うだけだ。毎日やらなくてはと思い、夜なると億劫になる。さいわい、まだ針に糸は通せる。チクチクを縫物をしていると、針仕事も愛情だなぁ と思う。母親になった気分だ。娘がいたら、簡単なものは作ってあげただろうな・・・。洋服屋の家には針でも糸でも売るほどあった。子供のころは、靴下でも繕って履いていた。そういう時代が妙になつかしい。なにかをいとおしむことができる。毎日、履いているクス下でも、着ているシャツでも。
お金を出せば、新しいものがどんどん買える時代になった。考えてみれば、当時は天然の素材で下着でも長持ちがした。シャツのボロは雑巾にもなった。希林さんのいう「使い切る」時代だった。使い切るからものに愛情がわく。そういうことなのだろうな。使い捨ての時代を生きてしまったが、あと少しの人生はものを大事に使い切っていこう と思う。
明日からはまた関東へ出かけないとならない。この家にいると、生まれた家で生活しているようで落ち着く。隣のおばあちゃんが里芋でも煮ているような匂いがする。一人はちょっとさびしい。