ハラハラという音を聞いたような気がして目が覚めました。カーテンの隙間から朝日が漏れています。ああ、晴れなのかなと思って起きだしました。ソファーの前のテーブルの上にきれいな黄色の牡丹の花びらが散っていました。これが散った音ではないけれど、なんとみごとな散り方なのでしょう。「散る」という哀れさはなく、むしろ華やかさがありました。花びらを集めて、押し花の乾燥材の中に入れました。
TVのニュースでは相変わらずウクライナのずたずたになった街の様子が映し出されています。まさか21世紀に戦争のむごさをみることになるとは。でも、現地の様子はそれ以上に想像を絶するもののようです。基本的に人は人を殺すことはできないそうです。1対1で戦場で出会ったときは、知らんぷりをしてそっと通り過ぎるということです。
大河ドラマの「死」も最近の4回くらいは壮絶で残酷です。戦いに勝ち抜き頂点に立つために、誰が泣こうが喚こうが邪魔者は殺していくのです。殺さなくては自分のいのちも危ないのです。それに段々人が慣れていくということは恐ろしいことですね。三谷の脚本は、心をえぐり取っていきます。
ウクライナのマリウポリのアゾフ大隊の死を覚悟しての戦いは胸が痛みますが、止めることはむしろ彼らの意志を軽んじるのではないのではとも思うのです。人と人が争うこと、殺しあうことのむごさに「美しい死」という言葉を使っていいものなのか・・・。
今日は白い花がカメラに残りました。
パソコンの更新してシャットダウンをしたら、メールソフトが突然消えていました。(データは幸い残りましたが)ITの担当者も初めてとのこと。今日はそのパソコンのそばを離れてべつのPCで書いています。何が起こるかわかりませんね。