明日から急遽、山形のシニアサッカー大会へ出かけることになりました。病気と闘いながらサッカーを続ける方が大会に出られると連絡があったので出かけることにしました。そんな方も増えてきました。
昨夜は出かける準備やらで落ち着いたのが10時過ぎ、NHKをつけるとSongsにアリスがでていました。結成50年とか。懐かしい歌が聞けそうでした。歌が懐かしいというよりは、その頃が懐かしいのかもしれません。
考えてみると(いや、みなくても)これまでの人生は90%は失敗でした。ですから、財産も家族も社会的な地位も築けず、貧しいおばあさんで過ごしています。なぜあそこまで間違えたのでしょうか。もちろん、自分ではどうすることもできないこともありましたが。それでも、こうして生きているのよと伝えたくて、「あいある人生を語ることで人々に生きる勇気を与えます」というスタンドで生きようと思いました。この「愛ある」をどうも勘違いしていたようです。
何もないけど、ただ嘘のない愛のある人生を語るが私の考えでした。でもアリスの歌を聞きながら、そうではないような気がしました。この頃、私の発する言葉で勇気をもらいましたという方が増えてきました。?なのですが、「愛をこめて何かをつたえることではないか」と思ったのです。「あいある」は「愛をこめて」のような気がしました。前を向くことのできる言葉を探して発すようにしています。「いいのよ、それでと」
今日の写真は何年か前、阿蘇をサッカー仲間のおじいちゃんの農作業用の車で横断?したときのミヤマキリシマです。身体が飛び跳ねそうなドライブだから思い出に残りました。