半袖で過ごせるくらいの午後、たけのこご飯が炊き上がりました。母の日には、何か作ろうと思いました。
先日、電話をいただいたサッカー仲間の方が、その後、メールで東北へ単身赴任中に、母親に電話すると気が付くと1時間も話していたことを思い出しましたとお話くださいました。65歳以上なのに、正直な方だなぁと思いました。「母親」というものはやはり特別なものなのでしょうね。
肉親くらい面倒なものもありませんね。お友達は中学時代に母親が父親と自分を捨てて出ていったと話しました。その母親とは関わりたくないと思っても、母親が救急車で病院に運ばれたときには電話がかかってきたと言います。「あの人」と彼女は言います。
たしかフロイドだと思いましたが、ほとんどの人が3歳までの記憶がないものだと言いました。(性の目覚めが子どもの頃の記憶を消してしまったという説)今は違う理論が出ています。ある人は「3歳まではどんな愛情をかけても、かけすぎるということはなく、その愛情を使っていきていく」と話しました。私が、6歳ぐらいの時に朝突然「私は橋の下で拾われてきた子供なんだ」と家族の前で言ったことを覚えています。おそらく、弟ばかりかまう母への不満だったのだと思うのです。それから、しばらくは「橋の下で拾われた子」と言っていました。
父の日は好きだったコーヒーを入れるくらいで何もしませんが、母の日はなにか作ります。でもそれは母がしてくれたことです。大家さんで頂いた牡丹が2輪、二人のお母さんのために咲きました。とてもきれいです。立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。きっと二人のための花なのでしょう。
母はうつくしく、そして、かなしい。
写真は子供のころ一緒に買いものに行った谷中銀座、晩年の母