台風の影響で、家の中でも外に出ても、もぁ~んとした空気がまとわりついてきます。まだ、風も歩けないほどではないので九州北部や山陰に比べれば安心していられます。イレギュラーな台風の進路なのでしょうか。心の痛む事件も多く、憂鬱ですね。
それでも台風のおかげか自宅にいられるので生活がやっと以前のリズムに戻りました。パソコンの前に座る時間もできてきました。静かな音楽を聞きながら、冊子の編集に入りました。9.10月の行事や食べ物のことを書いていました。9月の十五夜(9/10)の食事に栗ご飯がありました。栗ご飯か・・・。
高田敏子さんの詩「少女」に今年は娘に栗ご飯を炊かなかったという最後の節があります。この詩は、子供たちに勉強を教えているときに、知りました。いつもこの時期には思い出します。私にとっても、栗ご飯は母の思い出です。30代前半に実家に帰ると、母は秋には必ず栗ご飯を炊いて待っていてくれました。「栗ご飯炊いておいたわよ」と嬉しそうに母が話します。自分で栗ご飯を炊くようになって、初めてその面倒なことがわかりました。栗の皮をむくことです。まさにこれは母が娘を待つ愛情でした。
私は昨日「着てはもらえるセーター」と自分の料理を例えましたが、家族行事の料理は全員に(8名)に小さなお皿で供えていました。それは子どもの頃からの思い出と今と将来への希望です。
「食べること」その大事さをメダカたちから学んでいます。笑。