日曜日の朝寝。OL(OB おーるどばば)時代のように、うれしい。スクールガードの30分の重みは大きいです。のそのそと起きだして、ミルクなどを温めて、ボーっとしている時間。でも、今日は頭が頭痛です。ばんやりとしていてどうも本調子ではありません。どうやら、昨日寒くて風邪をひたようです。ほんとうに上品な??体になりました。今日もまた、隣の隣の…の彼女のためにネットで調べもの。そんな時に、長谷川真理子さんの日経ウーマンの記事に出会いました。
長谷川真理子さんは、人類学者とありますが、放送大学で学ぶ時に動物の性淘汰や人間の進化と適応に関して講義を受けました。その講義はとても興味深かったです。動物の性淘汰では、信じられないような動物の性淘汰の行動があることを知りました。今日は、そのお話ではなく、彼女が新年に立てるいわゆる「元旦の一年の計」がなぜ長続きできないかというお話でした。確かに、ことしは何々はしようと思っても、3日、7日、この先は3か月とかしか続かなということですね。
彼女がなぜ続かないかをよ~く考えてみると、要するにそのことに本当の必要性が欠けているということだということでした。これを1年間守っていこうという必要性がないと、継続は難しいということでした。確かに!そうですね、あっという間に終わって記憶の片隅の片隅にあるこひと同じかもしれません。よ~く考えてみると、その時は必要と思って夢中になったようですが、あんまり必要なひとではなかったということでしょうか。一時的に必要な救急救助のの浮き輪のようなものかも。(そういういい方は失礼ですが)それが、3日か7日か3か月か3年か、7年か?本当の理由はある年が過ぎて、本人が一人密かに思うものかもしれません。あれは何の間違いだったのだろうか?その理由は言ってはいけないかもしれませんね。でも、ひとにはそれも必要なのかもしれません。生き残るために。
また、彼女の講義を聞きたくなりました。ご主人の長谷川寿一先生との講義もとても面白かったのを覚えています。「真理子先生、それはどういうことなのでしょうか?」などと質問されるのが新鮮でした。お互いに必要性が大でしたのでしょう!