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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

希い

2018-04-19 22:58:02 | 日記

明るい朝だった。今日は母の物忘れ外来への通院日。そして母の誕生日だった。その誕生日にこともあろうに転んでしまった。家から5mくらいのところで、足が縺れた感じで鼻で全体重をうけてしまった。怪我もさることながら倒れたショックが大きかったらしい。私もそばにいて・・・とショックだった。見るからに痛そうだったが、大好きな先生に診てもらって少し安心したらしい。ともかくたいへんな日だった。

夕飯を食べるころには、怪我をしたことも忘れている・・・・。まだ諸々の判断は出来るが、なんとも胸が痛む病だ。母は軽いほうだが、そのうち日本中にこんな老人がもっと増える。だれがどこで看るのだろうか。施設は認知症だけでなく日常生活ができない人であふれるのは目に見えている。施設で暮らしても自宅で暮らしても、介護者の負担はどんなに重いだろうか。今日は幸い通りがかりの人が助けてくれたが、私は母を起こせなかった。日常の介護などとても無理だ。

わけのわからない政治家や官僚の問題が新聞、週刊誌、TVで毎日報道される。いちいちコメントする気力もないが、この国はそのうち滅びる気さえする。早く神さまのところへ行ったほうがよさそうだ。

そんなときにメールが中島みゆきのファンの方からメールが届いていた。

 希いに希う人ほど 希いを口に出さない 誰に打ち明けてみても 届かなかった日が多すぎて

 欲にまみれた希いばかりが 先を争って叶ってゆく

 ささやかな希いばかりが 粉雪のように残される 肩を抱いてみても 頬を寄せてみても
 何ひとつ ほんとは聞いていなかったんだ つましい希いだったのに 
 
   
     
     
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半分ほろ苦い

2018-04-18 20:03:05 | 日記

 寒い朝だった。メールを開けると、なんでそんことを言うのか?!と思うメールが届いていた。言い訳をしても今は仕方がないと黙った。気分転換に、昨夜届いた採りたてのたけのこを料理した。今日はお茶のお稽古の日やらで忙しいが、美味しいうちに料理したかった。

 わたしは、たけのこが届いたことがとてもうれしかった。いろいろな思いを超えたたけのこだった。約1年前、どうしようと悩み、立場上、送り主にいわなくてはならないこともあった。言ってからつらかった。他の人に非難もされた。別にきまずいままではなかったし、分かり合えたとは思っていた。でも、このたけのこは、いろいろな思いを伝えてくれた気がする。だから格別うれしかった。

 いいたいことを思い切り言えたら・・・。冗談じゃないどんな思いをしてやっていると思うの・・・。どうせ私なんか不出来だからあなたとは違う・・・。でも、言ってはいけない。その言葉で失うものが多いことを知りすぎた。だから、つらくてもがまんがまん。最近は、半分ほろ苦いでいいのだ と思うようになった。胸がチクチクしてちょっと涙ぐんで終わりにしよう。

 

 

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わたしをとめないで

2018-04-17 16:14:49 | 日記

 外へ出ると、ハナミズキとつつじが咲いている。どうだんつつじの可愛らしい白い花も咲き出した。もみじやさくらの青葉もうつくしい。それなのに今日は冬の格好をしている。がんばってサッカーの練習会に出かけた。久しぶりなので走ると足が上がらない。

70歳以上のシニアに混じって練習をしていると、なにかとからかわれる。こうして取材やらをしていると、いろいろな方と出会う。その方たちとは同士のようなもので、男性として意識することはない。もう、そういう年でもない。だが、世間は「同士」的な見方はあまりしない。

もうそんな機会はないだろうが、寝物語でないと出来ない話というものもある。そういう経験をする人は少ないのかもしれないが・・・。ただその胸のあたたかさのなかで、話したいこともある。だから、世に言うところの「一線を越える」ことはない。「おとこ」とか「おんな」ということよりも、一人の人間として相対する関係もある。もちろん、相手に対して好意があることは事実だが。なにも寝物語をすることは例であって、ただ食事をしたり、散歩をしたりするなかにもそういう関係はある。私はそういう関係で生きているような気がする。むしろ、深い深い人との交わりのような気もする。

だが、世間にはそれは通じないらしい。まぁ、私に夫がいれば、心安らかなことではないかもしれないが。人の心は、何層からもできているし、固定できるもではない。「わたしを止めないで 標本箱の昆虫のように」そんな詩があった

 

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母の形見に

2018-04-15 21:22:32 | 日記

『夜来 風雨の声 花落つること 知る多少』のような雨と風だった。お昼ごろになるとお日さまが顔を出してきた。Tシャツ1枚でいいくらいに暑い。珍しく固定電話が鳴る。さて、だれからだろうか?と思う。日曜日はセールスも多い。地元の時計屋さん(宝石店)からだった。4月末にできると言う、指輪とネックレスのヘッドができたという連絡だった。

 母が地元の呉服屋さんがつれてくる宝石商から指輪やネックレス、ブローチなどをたくさん買っていた。「まっちゃんには何も残せないから、宝石を買っておいた」と母は言う。しかし、どう考えても二人にいいようにおだてられて買ったとしか思えなかった。のこのこやって来ては、お昼など食べていったらしい。今思えば、それだけ母はさびしかったのだろう。そして、母の見得もたぶんにあったのだろう。二人は上手く分割にして、小さな紙に購入した日と支払った日をメモするだけだった。納品書も領収書もない。母が認知症になったとわかったのか、商品は売らなくなった。その商品がちゃんとしたものか鑑定してもらったのが、電話があった時計店だった。

私は宝石にはまったく興味がなかった。何点もあるネックレスなどを処分して母のベッドを新しくしようと思った。地元の良心的な時計屋さんだったので相談に行った。私が売るつもりの商品を上手くアレンジしてくれて私が使えるように提案してくれた。どうにも時代遅れのものは買い取ってくれた。もちろん、費用はかかった。でも、母が私のために残したと言うものは、上手く生き返った。出来た製品を手にして、私はとてもうれしかった。この人のいうとおりにしてよかったと。

お母さん、ありがとう!大事にします。

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青もみじのシャワー

2018-04-14 20:43:05 | 日記

 2日ほど自宅を離れた。関西へ取材に。ほんの少し息抜きに京都から滋賀のほうへ歩いた。青もみじのシャワーを浴びながらエネルギーに満ちた自然の道を歩いた。そのエネルギーがマイナスにでたのか、ホテルに部屋にいると妙に心が沈んだ。夜中に目が覚める。これからの老後私はどこへ行くのだろうか?何処に住んでどんな暮らしをするのだろうか?

翌日は京都でシニアサッカーのUSAのチームと京都のチームで親善試合がある。その取材に。フレンドリーなUSAのチームからパワーをもらう。「楽しむ」ことを知っている大人のチームだ。と言ってもインターネットでメンバーが集まってチームを作っている。初めて会うメンバーもいるらしい。ともかく明るい。

今日は大阪高槻へ。荷物が重く感じるようになる。大阪のチームのあたたかい歓迎とUSAチームとの再会が私をハッピーにしてくれた。足がかなり疲れてきたし、カメラを首に掛けっぱなしなので肩が凝る。でも今日はがんばれる。

帰りの新幹線。隣にハンガリーのブタペストから来たという団体の女性が狭そうに座っていた。第2外国語が英語なので、会話がなんとか成り立つ。気があったのか会話が弾んだ。日本人の旅行者より親切だった。

元気になった。なにも悩まなくなった。一番の贅沢は・・・。

 

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