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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

ぼけてしもうた

2019-03-13 18:30:31 | 日記

朝の空気は雨上がりでしっとりとして、春の気配した。沈丁花の花も少し咲き出した。駅には万作の花が活けてあった。朝8時前に家を出ると、小学生や中学生に出会った。日ごろあまり姿を見ないので、ああ、子供たちがいるのだなぁ と思った。今朝は琵琶湖線が車両故障の影響でダイヤが大幅に乱れていた。湖南の膳所まで行くのに、かなりの時間がかかりそうだ。途中から青空が見てきた。

膳所で待ち合わせて取材他の予定が入っていたはず。駅に降りて、「着きました」と電話をすると、1日違うことが発覚!!遅れる電車でやっと着いたのに!水曜日と木曜日の勘違いだ。どこで狂ったのか。今日は水曜だった。約束は木曜日。おそらく、昨日の夕方からだろう。向こうの方は気の毒がるし、私は恥ずかしいし・・・。「また、明日来ますね」としかいえない。ぼけた、ぼけた、ぼけた と落ち込む。

湖南はやはり暖かい。そして、明るい!2時間以上かけてこの琵琶湖畔の風景を楽しんだのだ。それが、たぶん必要だったのだ と思う。のんびりやっていたとはいえ、休めない土日だった。「心が休めと言っている」たしか鶴ちゃんの車内広告にあった言葉だ。心は正直だ。

そういえば、「なんで長浜へ行ったの?」と聞かれるが、これも心が正直に動いただけだろうと思った。よくAIが何かの答を人が想像したのとは違うものを出すことがある。さまざまな情報(言葉)を分析するらしい。AIではないが、私の心がそれをしたのではないだろうか。インプットされていたさまざまな言葉を心が分析して長浜を選んだのではないか などと思いながら帰りのなが~い電車時間を過ごした。長浜は雲のある空と琵琶湖の風が待っていた。それでも、満足だった。ぼけの原因も何かを待っていたので、曜日を1日早く進めてしまったのだろう。

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おとこのうぬぼれ

2019-03-12 20:39:48 | 日記

なんとなく春のような気分で目が覚めた。私の目覚ましは隣のおばあちゃんの洗濯機を回す音。「張り切ってるなぁ、あと30分遅いといいのだけど」と目が覚める。明日は1日外出、明後日からは神奈川、静岡方面へ仕事に。それでも、町へ買い物に行くと1時間以上かけけてのんびりしてくる。この町にずっと住んでいる人はそんなことがないのだろうが、私はごった煮のようなこの町が面白くて仕方がない。そんな風にのんびり仕事をしていても、罪悪感がなくなった。人の評価を気にしなくなったからかもしれない。

夕方、滋賀県のNPO関係の部署から電話が入った。神奈川ではOKでも、滋賀はなかなか厳しい。留守になるので、急いで書類を作った。久しぶりに仕事をした気分だ。5時に夕食の準備どころではない。そんな日もまた新鮮だ。一息ついて、ネットを見ていた。「元嫁」という言葉に出会った。そういう言葉もあるのか。元貴乃花親方が言っていた。元婿と言うのかな?離婚の理由に「相手が60歳になる前に自由にしてあげたかった」とあった。うんーん。6歳年上の私をもと夫は自由にしてあげたかった というのだろうか。いや、そうではないだろうな。彼が自由になりたかったのだろう。

どうも鈍い男の人が多い。というか男の人は自分に自信があるのだろう。(最大公約数的にいうと)時々、朝早くとか、夜電話がかかることがある。一人暮らしだと思うから平気でかけてくるのだろう。「あのー。もし誰かがいたら・・・」と思わないのですか と言いたくなる。もちろんだれもいないが。(悲しいね)でも、だれかいるようなことを匂わせても、そんなことはないと思っている。たとえば、ある土地で、『ここには大切な人がいるからです』などと発言しても、すぐに忘れるらしい。なにか自分は特別な人だと思うらしい。そういう風に思わせて、上手に男性とお付き合いする女性も多いが・・・。

町で桜の花を手に入れた。杏の花も売っていた。250円也。すぐに咲くとお店の人は言う。よく考えると明日から不在がちなのに・・・。これは大事な人に送るのです、と言っても誰も信じないだろうな。

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つれあい

2019-03-11 18:50:13 | 日記

雨が上がると冷たい風になる。おそらく街のどこからでも伊吹山が見えるのではないだろうか。駅からは正面に大きく見える。琵琶湖からの風も冷たい。街の金物屋さんには、大きな雪かきのものと思えるシャベルがあり、長靴も売っている。これを買わないとダメなのだろうなぁ と思う。4月には町会のどぶ掃除。これも道具がいるらしい。まぁ、町内会のことは何とかなりそうだ。以前住んでいた大磯町は『よそ者』という感じで、地元の人は接してきたが、ここは「慣れはりましたか?」と声をかけてくれる。「無理せんでええ」もよく言われる。

「いてはりますか」とか「してはりますか?」などとやわらかい関西弁?でいわれると、関東から来たものは、ほっとする。大阪弁とは違うような気もする。京都に近いからだろうか、京都の言葉に似ている気がする。物越しも丁寧で、運送屋さんや郵便の配達の人もきちんと挨拶をしてくれる。「近江商人だから」という人もいるが、商人とは言え、関東のようにそっけなくない。スーパーのレジの人も丁寧だ。たぶん、他の土地から来たとわかるからかもしれない。

以前、TVかネットで関東人がわかりにくい関西の言葉に「つれあい」という言葉だと聞いたことがある。確かに、関東では聞かない。初めて聞いたのは、NPOの仕事を始めてから、京都の人が「つれあいが」と言われたときだろうか。意味がわからなくはなかった。いい言葉だなぁ とも思った。そうだなぁ、70過ぎのご夫婦は『連れ添った』という感じでいいなぁ と思う。いろいろあったのだろうし、今も家族のことなどでは問題はあるのだろうが、それでも「おい、あの時、ほらあそこでうなぎを食べた店はなんといったっけ」とかいうと、「なんでしたっけ、えーっと、ほら、」なんて答えている。40年、やがて50年と連れ添えたご夫婦は幸せだと思う。

今なら、『連れ添う』ということができるかもしれない。夫婦とは『曖昧のもの』と思えるからかもしれない。その『曖昧さ』がダメだった。ある意味の、賢さ、悪く言えばずるさ というのか。そういう日本人的の夫婦というものがいやだったのかもしれない。そう、連れ添うよりは寄り添えばいいかなぁ。

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にげはじ

2019-03-10 19:46:48 | 日記

東日本大震災から8年 という番組が多い。まだまだ、その傷跡は大きい。何十回と避難所から仮設住宅など引越しを重ねる人もいる。ご高齢の方には、どんなに酷なことか。まして、家族など近しい人を亡くされていたら・・・。十人いれば、十人の苦しみがあるようだ。

寒い日になった。それでも、日の当たらない2階で工夫しながら(電気ひざかけ毛布を床に敷いたり)仕事をしていた。光熱費節約でも、この部屋に住めるのは嬉しいので、楽しみながら我慢の生活している。4人がけのテーブルが仕事用の机になるので広くて仕事がやりやすい。コピー機が下にあるので、階段の昇り降りがいい運動だ。あきると、また町へ買い物などに出かける。どこの店でも郵便局でも親切だ。関西弁のやわらかさだけではない と思う。

長浜に来たのは、自分のなかでは『納得』のことだった。考えていたことがとんとんと進んだだけだ。でも、そのほかに実は居心地の悪い所から逃げ出した気がする。我慢がなくなったといえばそうなのだが、巻き込まれていくような人間関係から逃げ出したようだ。誰かがいやだとかいうのではないが、はまったらずぶずぶというようなところは「くわばら、くわばら」と逃げ出したのだろう。(そのときは意識していなかったが)まんがやTVの「にがはじ」のようにはできない。

でも、契約で家事を(主婦を)していても、相手に気持ちが移ることもあるのだろう。雇う側も同じだろう。人とはそういうものらしい。「ずぶずぶ」ではなく「ずるずる」もいいものなのかもしれない。気がついたら彼女が住みついていたんですよ なんていう話も聞く。男性はそういうのを断れないやさしい動物なのだろう。(失礼)

年とともに、さらに頑固になったようだ。動かない大きな岩のように、私の心はどこへも飛んでいけず、寒さに耐えているようだ。(笑い)

 

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母親と息子

2019-03-09 18:44:21 | 日記

昼間はコートがいらないほど暖かかった。引越で遅れたNPOの仕事がいよいよ押せ押せにきている。といっても期限があるわけでもにので、ひとつひとつ順序よくやっている。長浜に来てからは、午前中はこれ、午後からはこれとやることを決めて、そして5時になると1階に下りて夕食の仕度ができる。そんな生活がうれしい。今日も街は観光客が多かった。ここにきて困るのは、固いパンがないこと。フランスパン類があまりないし、あっても高い。平塚よりも普通のパンは100円くらい安いし、和菓子も100円くらい安い。でも、こだわりの真知子さんはフランスパンを毎日求め歩いている。

玄関や和室に母の書を飾った。わが母親ながら見事だ。70からの手習いで、師範までやりとおし、展覧会にもよく作品を出していた。残っていた作品や和紙や墨などなど、よくまぁこんなにお金が使えた と羨ましい。でも、こうして遺作を飾ってみると、母を感じることができる。「老後のすべてはお金で決まる」と思うこの頃だが、母はお金は残さなかったが生きる力と豊かさを残してくれた。

遺作を見ながら、弟のことを思い出した。弟は母の形見と渡した宝石をきれいなビロードの宝石入れに飾った。しばらくは、なんで宝石など喜ぶのか?疑問だった。でも、こうして遺作の書を見ていると、弟の気持ちがわかる気がした。生命保険金などよりも嬉しいのだろう。私よりも母との関係が薄かった弟は、宝石で母を偲んでいるのだろう。母が最後まで身につけていた指輪を一番喜んだのもそんなことだろう。母もやはり理屈抜きに、弟が可愛かったのだろう。『男の子よりは女の子がいるといいわよね』とは言うが、母親と息子は娘にはわからない絆がある。まして、男の子が母親を思う気持ちは、ロマンチストで深い。どこの息子も同じ気がする。

 

 

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