夜中(もう朝に近かったが)ガタガタと音がする。地震だろうか。寝ぼけた頭で考える。どうも玄関の戸がガタガタいっているようだ。かなり強い風が吹いているらしい。台風のときはたいへんだなぁ などと思いながら眠ってしまった。風のおかげか雨の予想が晴れになった。2階のカーテンを開けると陽射しが差し込んでくる。晴れの日はうれしい。今日は2階で仕事ができる。1階と2階の生活の区分は、生活にリズムがでるのでストレスが減った。
お昼ごろ買い物に出かけると、背中が痒い。気温の変化だろうか。寒冷か温暖かのアレルギーだろうか。年のせいか小さな環境の変化に敏感になる。アレルギーもその一つだろう。昔は『背中のボタンが止めにくい』だったのが、今は『背中のアレルギーが掻きにくい』だろうか。友だちは薬が塗れなくて困るという。なんとも色気がなくなってしまった。
夕方、近くへ買い物に出ると、調度夕日が沈む時間だった。春分の日も近いのであの方向が西なのだ と思った。琵琶湖に沈む真っ赤な大きな夕日は正にあれなのだ!琵琶湖までは25分かかる。今日は諦めよう。この夕日が私を長浜に招いたのだ。家に戻って、ネットのニュースを見ると、「絶望しても生きろ」本の教え というタイトルがあった。きっとフランクルノの著書「夜と霧」でないかと思った。岩手県の陸前高田市で震災の被害を受けた人たちが『夜と霧』の読者会を開いたというニュースだった。絶望の中にも希望があるのを、教えてくれた本だ。ナチスドイツの収容所の厳しい条件のなかでの1日の作業を終えたときに、美しい夕日を見たという文章があった記憶がある。あるゆる希望がないなかでも、まだ美しい景色がある。それは「人生が自分への期待」をやめないということだという。
『生きる』より『死ぬ』方が楽と思った日もあったが、私はどこかで美しい夕日を見たのだろう。そして、私に期待してくれる子供達に出逢った気がする。だから、いまも夕日に魅かれるのだろう。