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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

コロナウイルス禍 うつ病

2020-06-18 19:01:33 | 日記

雨の町はやはり情緒がある。しっとりとしていて大好きだ。先日、新国立競技場などを設計された隅研吾さんがコロナ後の変化ということで話されていた。「自分は大きな四角い建物ばかりを建ててきたが、これはまさに失敗だった。密で通気性がない。これからは京の町家のような建物を中心に町づくりしたい」と話しておられた。なにかちょっとうれしく聞いた。この家は土壁で木の家だ。マンションを選ばずにこの家を選んでよかった。

コロナ禍は思わぬところで現れたらしい。大企業に勤める人の多くは在宅勤務になったようだ。ご夫婦で在宅勤務になり、子供たちも保育園や学校が休み、家族4人で行き詰ったらしい。経済的にも余裕のある家庭でも、ご主人が疲れてしまった。そして、うつ病に・・・。ご主人は2か月の休職になった。でも、静養で家を出ることもできず、家族は爆弾を抱えて状態らしい。やはり、コロナ鬱は起こっている。心が風邪を引いたくらいだと うつ病に関しては言うが、風邪も大事に至ることもある。こればかりはどうしたらいいのかわらないことが多い。

人は本当に弱い部分がある。どうして?のいうような理由で鬱になり、大事ないのちを落とすことがある。一瞬の間が射すというのか・・・。几帳面な人ほど自分を追い込んでしまうらしい。(いい加減でよかった)私が生き抜けたのは、宿題を持ってきてくれたりした人がいたからだ。そんな時に「おねがいごと」がきた。いろいろなお願い事だったが。救いはやはり人とのつながりかもしれない。

そんなことをすべて癒すように静かにこの町に雨が降る。今日は紫色のあじさいもさびしくはないなぁ。心に雨の降っている人にもピンクの紫陽花が咲きますように。

 

 

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あなたのいのちを だきしめて

2020-06-17 18:53:50 | 日記

朝はひんやりとしたが、すぐに気温が上がった。陶芸教室が先生のご都合でお休みになった。教会のお友達と午後から教会の草取りをする約束をしてあった。また、日程を合わせるのも大変なので、出かけることにした。暑い時間帯の仕事になりそうだ。カマやら軍手など持って勇んで?出かけた。

日陰でまずお昼を食べた。小学生のようにランチをしたが、その折の彼女の話は深刻だった。やはりそうか、話があったのだなぁ と思った。約1時間、汗だくになりながらルルドと言われる場所の前の草を刈った。何も考えずに作業する、こんな時間がいい。

家に戻って、彼女のことを考えた。話を受け止めただけでいいのだろう・・・。そういえば・・・と本を探した。本はほとんど処分したので残っているだろうか。ふと、手にしたのが加島祥造の『LIFE』で文字と絵を組み合わせた本だ。なんでこの本を残したのだろう?もう1冊はある写真家の『ピース』という前の神父様と世界の子どもたちの写真集だ。

神父様の瞳の中にうつくしい「ピース」があった。そして、加島祥造氏のどの言葉にも今必要なメッセージがあった。今、コロナ禍時代に忘れていたものを取り戻そうとしている人へのメッセージのようだ。彼女にこの本を渡そう。

『あなたという自意識が 命という無意識に 手をひかれて進むとき 驚きと喜びの門が ひらくのだ

 おお、勇気を出して両腕をひろげ 抱きしめてごらん

 その時 あなたは知るだろう 命は 愛のことだと それは誰ひとり あなたから 奪えないものだと』(加島祥造)

 

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許しのスポット

2020-06-16 19:27:42 | 日記

 今日もお天気に恵まれた。やはりマスクには暑い。先日蛍を見に行った三島池というところへ昼間出かけた。出かけたい京都方面にはまだ出かけられない。三島池行のバスがあったので、昼間に池を見たくて出かけて行った。夜見た時よりも何か小さい気がした。伊吹山は正面によく見える。この付近は蛍が見られるところが多いようだ。まず、池を1周してみることにした。ここは姉川の伏流水を利用して灌漑用に作られた貯水池とか。蛍を見た「蛍の川」は水が湧き上がっているところがある。

池の北東の「女滞」というところを過ぎると静かになる。これは不思議な体験なのだが、視界が開けて緑の道に出る。なにかここはすべてのことが許される気がした。そういう「開き」を感じた。(あくまで私の感覚)ここは特に多くの血が流されたところ。なにか許しのスポットがあるように感じられた。いや、この長浜や米原というところはそういう「許し」が得られる場所のような気がした。だから私は人生の最期にここに来たような・・・。ここだから許されることがあるようなそんな気がした。

このごろマスコミのレベルの低さを感じる。その昔、石田純一が「不倫は文化だ」と言った。「文化」ともおおよそ言い難く、単に「己の欲求の処理」としか言えないことが「不倫」と言われる。別に「不倫」なるものを奨めるのではなく、こんなことをまじめに議論しているマスコミがわからない。すべてのことは「個人」の問題だろう。奥さんがかわいそうだ というが無理やり婚姻届けを出さされたわけではないだろう。どんなにひどい夫でも選んだのは自分のだから。残酷な言い方だが。「生きるの、死ぬの」の不倫もある。それは時には小説にもなる。「お彼岸や妻に内緒の墓ができ」を以前ぶろぐで紹介したが、最期まで誰にも内緒で気づかれずいくことができるなら、それはもしかしたら二人の人間の「文化」なのかもしれない。許されるかどうかはわからないが。

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美人だったわたしのアルバム??

2020-06-15 18:41:14 | 日記

朝起きてカーテンを開けると、テーブルの上のメダカを見ている。1センチが一番大きいくらいのメダカが50匹はいるだろうか。しばらくは飽きもせず眺めている。共食いしないように朝夕餌をやっている。毎日のルーチンワークになった。飛躍して、孫はかわいいわけだ となる。

昨日は、土曜日の取材疲れでぐーたらだった。午後から写真の整理をしようと 始めた。子供のころの家族のアルバムは弟のところに渡したので見ることができない。そこにはかわいい手作り洋服を着た私がいた。(かわいいは洋服に掛かる)どの家庭にも家族のアルバムがあるのだろうな。そういう歴史がないのはさびしい。それでも大事な自分の姿なので、一つ一つ見ていった。失敗して大変なことなんてどこにもないようだ。なんでこんなに長い間整理しなかったのだろう。自分を大事にしていなかったのだなぁ。

写真を選んで、1冊だけの私のアルバム作りだ。こうしてみると貫かれた一つの姿があった。それが今も同じように貫かれている。「相手にふさわしいようにきちんとした自分でいたい」という想いだ。若い時はそれが強すぎたのかもしれない。今は肩の力が抜けて、ただ元気で楽しんですごしていればいい と思うようになった。写真は捨てずに最期に処分してもらおう。これが財産だから。

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たいせつなものを失わないために

2020-06-14 17:15:32 | 日記

今日からミサが始まった。注意事項が書かれたはがきが届いていた。手の消毒のこと、座席のこと、讃美歌は歌わないことなどなど細かい注意点が書かれていた。9時と11時のミサなので遅いほうに出かけた。参加者は6名で9時が多かったようだ。教会から感染者を出さないように厳しく決まりを守っていくということだった。それは私たちのいのちが神様からいただいたものだから ということだった。ただ座っていて祈るだけなのでミサに集中できた。3か月以上ロックされたお御堂でイエス様は待っていてくださった という。

TVで接客業などのお店の様子を見ていると、マスク着用のきれいな和服を着た女性になんとなく違和感がある。せっかくきれいなのに・・・。どこも今まで通りでは生活ができない。おそらく元に戻ることはしばらく難しいだろう。それがいつまで続くのかは、だれにもわからない。

ミサの終わりに神父様は「こういう状況の中でも大事なことは『どう生きるか』だと思います。それはまず、今日1日目が覚めて、眠りにつくまで神の子として生きることです」と話されました。今、与えれれているものの恵みに感謝して、毎日を大事に生きるという、ごく当たり前のことのようです。

梅雨の空のようにすっきりしなった気持ちが明るくなった。今あるこの恵みをなによりも大切にしていこうと思う。

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