ロマン・ポランスキー監督の映画「おとなのけんか」を観た。もともとは舞台劇だったもので、登場人物は夫婦2組のみ、場所は片方の夫婦の住むアパートの一室という設定。
発端は両夫婦の子供同士のけんかで一方が怪我をしたこと。双方ともそこそこ中流階級の知的な夫婦なので、最初はその解決策を前向きに話し合うはずだったのが、お互いのあてこすりに始まり次第に、まったく関係のないハムスターの話とか、携帯電話の話などがからんで果ては夫婦喧嘩にまで発展していく。
罵詈雑言、ののしりあい、ことばの暴力などまったく反吐の出そうな(というより実際に出るのだが)様相を呈していく。ジョディ・フォスター演じるリベラルな妻の形相が怖ろしいものに変化していくのが怖い。そんな果てしない醜い争いをよそにこどもたちは・・・。
ことばはいたわりの道具、話し合えばわかる、前向きの議論等々肯定的な面もあるが、一方、行動に比べればことばなどむなしいもの、ことばの暴力は凶器にもなりうるという側面もある。こんな映画を観ると「沈黙は金」「不言実行」ということばに肩入れしたくなってしまう。
そこで思ったのだが、震災後あちこちで使われる「絆」ということば。時には陳腐で気恥ずかしく感じてしまうのは私だけだろうか。