のりぞうのほほんのんびりバンザイ

あわてない、あわてない。ひとやすみ、ひとやすみ。

なしの木の精スカーレル

2006年03月08日 23時39分10秒 | 読書歴
■ストーリ
 9歳のソーニャと10歳のジーモン。
 ふたりはある日、庭でだれかのなき声を聞きます。
 それはなしの木の精でした。スカーレルと名づけられたその精は、
 それからというもの、ふたりに植物や動物のことをいろいろ教えて
 くれます。しかし大人にはスカーレルが見えません。そして
 「病気の木は切らないといけない」と言うのです。時間に追われて
 暮らす現代の私たちが失ってしまった心の目に気づかせてくれる
 心あたたまるファンタジー。

■感想 ☆☆☆☆☆
 現代を舞台にしたファンタジー。
 話の内容はまったく異なるにも関わらず、伝えている
 メッセージは、ミヒャエル・エンデさんの「モモ」を
 髣髴とさせる。
 ただ、「モモ」は町の人たちが正常に戻り、
 これからも幸せに暮らすだろうと思えるハッピーエンドなのに対して
 この作品は根本的な解決は何もされない、これからきっと状況は
 悪くなるだろう、と思わされる終わり方だ。

 読み終わった後、心が温まると同時にスカーレルの今後を思って
 ほんの少しさびしい気持ちになる。
 植物も風も土地も、誰のものでもない。ただそこにあるもの。
 その当たり前のことを分かり合えない寂しさをスカーレルは
 「しょうがない」とあきらめる。
 けれども、自分の言葉が分かる兄弟には必死で
 「害虫など存在しない」ことを伝える。存在する以上、
 生き物には存在する意味、目的があるのだ。
 自分にとっての利害、感情のみで害虫を駆除したり、
 闇雲に鳥を避ける隣人の姿は腹立たしく感じたものの、
 まさしく私も同じことを行っているわけで胸が痛かった。

 スカーレルと出会った兄妹の描き方も見事。 
 スカーレルを信じているのに信じると言えない
 お兄ちゃんの気持ちも、そんなおにいちゃんをもどかしく
 思う妹の気持ちも手に取るように分かり、改めて大人になる
 ことの不自由さを感じた。

 いや、違う。

 「不思議を排除している今の社会」への寂しさを感じたのだ。
 子供が大人の価値観に左右されていることに
 哀れみを感じたのだ。

 忙しい、忙しいと時計を気にするふたりの父親は
 庭にじっとたたずむこともできない。
 「こんなことをしている暇はない」
 とすべきことを探して動く。

 私は本を読んだり、映画を見たり、手紙を書いたり、
 忙しさとは無縁の日々を過ごしている。
 だが、自然をただ眺めるだけの時間を持ったのはいつだろう。
 何もせずにもの思う時間を持ち、
 ゆっくりとベランダの植木鉢と向き合いたい。
 朝のひと時だけではなく。

 子供っぽくないけれど、やはりファンタジー。
 そう思うのは「丁寧に一秒一秒を丁寧に生きる」ことが
 今の社会ではとてつもなく難しいことだからかもしれない。

小悪魔風?

2006年03月08日 22時00分57秒 | 日常生活
昨日、会社の先輩から
「今日の顔、いじわるー!!あははー!」
と笑われたのりぞうです。

というわけで、今日の一声。
「眠そうな顔から一歩前進できましたー!」

・・・・前進。なのかな。。。。?
どなたか眠そうには見えず、でも意地悪にも見えない
メイク方法を教えてください。
社会人ってむずかしーわー。

*本日の記事、いつもわくわくしながら読んでいる
 「アイコのひとこえ。」さまのパクリでございます。
 ・・・・ホンモノのアイコさんの飄々とした文体には
 まったく近づけてませんが。
 何気にブログに取り上げる人や出来事が
 のりぞうの注目したものと同じで密かに喜んでます。