のりぞうのほほんのんびりバンザイ

あわてない、あわてない。ひとやすみ、ひとやすみ。

成果

2006年03月19日 19時05分04秒 | 日常生活
二日続けて友人と後輩が遊びに来てくれたおかげで
家の中がすっきりと片付きました。

ありがとう!後輩!
ありがとう!友人!

今週はこの部屋の状態を保ちたいと思います。

ちゃぶ台の上に新聞や本を重ねません(宣言)
脱いだ服はすぐに片付けます(宣言)
手紙や日記を書くのに途中で飽きたりせず
最後まで書き終えて、すぐに出すようにします(多分・・。)
押入れの中は今週末まで封印しておきます(絶対に!)。


・・・根本から片付ける時間はなかったんです。。。

挫折

2006年03月19日 18時58分02秒 | 日常生活
たまに本文なしのメールをくれる会社の先輩がいます。
本文なし、写真だけ、です。
写真は8割がのりぞうに見せびらかせるためのおやつです。
無言で新商品のお菓子やプリンを自慢します。

・・・・なんて先輩だ!

と、思いつつ、おやつの誘惑になんなく踊らされるのりぞうです。
写真だけのメールに本気で悔しがります。
くっそう。。。

今朝、久々に先輩からメールが届きました。
案の定、プリンです。
・・・ん?!プリンじゃない!
プリン味のアイスです。

おいしそー。
最近、(ものすごーくほんの少し。)
砂糖節制気味なので目の毒具合が5割り増しです。

先輩からの追加メールでの
「ゲキウマ。」という一言メールに
更にテンションがあがるのりぞう。
教会から帰る道すがら、早速コンビニにれっつらごー!
寄り道、大好き☆







・・・プリンとアイスを購入して帰りました。
プリン味のアイスがなかったんです。
帰るやいなやあっというまにぺろり♪
ま、久々だし、いいよね。
と自分に言い訳をするのりぞう。

食べ終わった頃に後輩がおやつを持って
遊びに来てくれました。
おやつはレーズンサンドクッキー!
だーいーすーきー!!!

テンションあがって、あっというまにぺろり。





・・・・えー。
明日から再び(ほんの少し)砂糖節制生活を再開します。

それもこれもあれもぜーんぶ!
朝のメールのせいに違いないっ!
もう、この際、どれもこれも先輩のせいにしちゃいますから。

女の一生~一部・キクの場合~/遠藤周作

2006年03月19日 02時38分11秒 | 読書歴
■ストーリ
 長崎の商家へ奉公に出てきた浦上の農家の娘キク。
 活発で切れ長の目の美しい少女が想いを寄せた清吉は、
 信仰を禁じられていたキリスト教の信者だった。
 激動の嵐が吹き荒れる幕末から明治の長崎を舞台に、
 切支丹弾圧の史実にそいながら、信仰のために流刑になった若者に
 ひたむきな想いを寄せる女の短くも清らかな一生を描き、
 キリスト教と日本の風土とのかかわりを鋭く追及する。

■感想 ☆☆☆
 読み進めるのが辛く、読み終えるまでに随分時間がかかった。
 ページを進めれば進めるほど、登場人物たちに苦難が押し寄せてくる。
 その押し寄せてくる苦難のほとんどが「実話」だと考えると
 更に辛くなる。

 「信仰」とは何なのだろう?私の中での「信仰」は心のよりどころ。
 疲れたとき、迷ったときに指針となるもの。助けてくれるもの。
 「信仰」が弱った私を助けてくれることがあっても、
 信仰によって困ったり苦しんだりすることはない。
 それが私にとっての「信仰」である。

 だが、浦上の人たちにとって「信仰」はもはや「命」であり
 「生きる支え」なのである。捨てては生きていけないもの。
 一生付き合っていくもの。その重みの違いに驚き、何が彼らを
 そこまで「信仰」と向き合わせるのかと疑問に思う。

 特定の信仰を持たない日本では、その「強い信仰」こそが
 恐れの対象になり、だからこそ幕府や新政府がキリスト教を
 禁止することにも納得することができる。これほどまでに強い
 よりどころを見せ付けられたら、脅威に感じるのも無理はない。
 どんなに虐待を受けても、命を落としても信仰を捨てない
 浦上の信者たちは強く清らかで、混沌とした幕末でどこまでも
 まっすぐだ。

 しかし、もっとも強く私の心に訴えかけてきたのは、この信者たちの
 まっすぐな抵抗ではなく、彼らと対照的に描かれている
 長崎の役人、伊藤の生き様だった。
 時代の波にうまく乗る賢さもなく、役人としての正義もない
 伊藤は自分の苛立ちや弱さを心の強い信者たちにぶつけ
 彼らを虐待し続ける。だが、本物の悪党ではない彼は
 信者を虐待する自分に罪の意識を持ち、苦しみ続ける。

 プチジャン神父が苦しんでいる伊藤にこう伝える場面が好きだ。

 「神は虐待を指示しているだけの本藤さんよりも
  実際に虐待をしている伊藤さんを愛されてます。
  神様は弱い人を、神を必要としている人を愛されます。」

 伊藤の卑劣な行動は許せない。女性として嫌悪感をぬぐえない。
 この小説の中で誰よりも卑怯者だと思う。
 それでも彼が許されて、神に愛されてほっとする。

 それは、誰よりも人間らしい人物が伊藤だから。
 いや、人間らしいというよりは、誰よりも私に近い人物が
 伊藤だからだろう。私には浦上の信者のように
 「ひとつのこと、ものを信じ続けてそのために命を捨てる」強さはない。
 キクのように「愛する人のために自分を犠牲にする」美しさもない。
 本藤のように、時流をよみ、その時代にうまく乗るこずるい賢さも勿論ない。
 だから、この小説の中で誰よりも弱く、誰よりも卑怯で、
 誰よりも自分勝手な伊藤が、誰よりも苦しみ、傷つき、
 罪を背負い続けた結果、許される結果にほっとした。

 それでこそ「神」なのだと思った。私にとって、神とは
 人間には不可能な愛の存在、許しをされる方であり、
 弱いものの傍に降り立ってくれてこその神様なのだと
 改めて自分の宗教観に気づかされた作品となった。

これは王国のかぎ / 荻原規子

2006年03月19日 00時51分12秒 | 読書歴
■ストーリ
 失恋して泣き疲れて眠ったあたしが目覚めたら、そこはチグリスの畔
 目の前にはターバンの青年が。月の砂漠、王宮の陰謀……。
 アラビアンナイトの世界に飛び込んだ少女の愛と冒険の物語。

■感想 ☆☆☆*
 「樹上のゆりかご」の主人公ひろみが中学生の頃に
 遭遇した冒険を描いた作品。「樹上のゆりかご」を読んで
 「この作品は「これは王国のかぎ」という作品の続編なんだそう。」
 などと書いた私だが、読み出して数ページで気がついた。

 ・・・・この作品、読んだことがある。
 自分の記憶力にまたもや愕然とする。

 しかし、前作を読んでこの作品を思い出さなかったのも無理はない。
 それぐらい、本当にまったく異なるテイストの作品。

 この作品を読んで、「樹上のゆりかご」を読むと
 主人公のひろみがこの冒険を通して、どれだけ大人になったか
 この魔法の世界での出来事から現実世界に戻って
 どう折り合いをつけたか、が分かる。
 その流れが自然、かつ現実的で子供だましではないところに
 共感を覚えた。

 主人公ひろみは失恋のショックでアラビアンナイトの世界に
 たどりつき、魔人として色々な人と係わり合い、
 彼らの人生を助ける。もっとも魔人とは言え、中学生。
 彼らのちょっとした一言に傷つき、分かりやすい策略に
 簡単にひっかかってしまう。その冒険を通して
 少しずつ、少しずつ現実世界での「失恋」や「自分」を
 見つめなおすひろみ。彼女は徐々に、辛いと感じていたのが
 「失恋」ではなく、その「失恋」を抱え込み、
 平気なふりをしている「優等生のひろみ」を作り上げている
 自分自身だったのだと気づく。

 自分自身の人生で自分を思うように解放できないでいる
 ひろみは、自分の思うように生き、人生を楽しもうとする
 ハールーンに惹かれ、純粋にひたむきに自分の信じる道を
 歩もうとするラシードに今までの自分を振り返る。

 「これは王国のかぎ」

 王国は自分。かぎも自分。自分の人生は自分のもの。
 二人と過ごした時間によって、この解答にたどりついた
 ひろみは現実世界に戻ってくる。
 ほんの少し切なくて苦い王国との別れに胸がしめつけられ、
 そして爽快な気分で本を閉じることができる。