のりぞうのほほんのんびりバンザイ

あわてない、あわてない。ひとやすみ、ひとやすみ。

目立ってた?

2006年03月12日 16時24分17秒 | 日常生活
後輩の彼氏さんがのりぞうの高校時代の同級生でした。
狭い世界で生きているはずなのですが
世の中のご縁というものは、その狭い世界の中で
色々と絡み合っているようです。

というわけで、彼氏さんの友人も一緒に飲みに行くことになりました。
勿論、彼氏さんの友人も高校時代の同級生です。
前日に名前だけ聞いて、アルバムで探してみたのですが
案の定、顔と名前がちっとも一致しませんでした。
同じクラスの人だったり、友人の友人だったりすると
ちゃんと覚えているのですが、接点がまったくないと
同級生でも難しいですね。よっぽど目立ってない限り。

「はじめましてー」というか
「お久しぶりですー」というか微妙な挨拶を終えて
みんなで仲良く歓談。
後輩も後輩の彼氏さんものその友人さんも大学時代
同じゼミにいたようで、とっても仲良しです。
和気藹々と楽しく過ごせました。

「ごめんなさい。
 接点ないので、顔とか知りませんでした。」
と早めにざんげをしておくと
「いやいや、そういうもんだよね。
 全員は覚えてられんよね。」
とみんなで暖かくフォローしてくださいました。

調子に乗って
「ですよね?私のことも知らなかったでしょ?」
と尋ねると
「いや、それが名前とか顔とかは
 ちゃんとしっとったんよー。
 話したことないよね?」
と尋ね返されました。

・・・いや、だから覚えてませんって
さっき早々とざんげしたばっかやん。。。。
しかも、顔と名前だけ知ってるって
その微妙な覚え方はなんなんだ・・・。

友人さん「なんか、目立ったことしてなかった?」
のりぞう「・・・・応援団とか?」
友人さん「うーん。。。違うようなー。。。」

いや、違うようなーって!!
のりぞうは応援団しましたってば!
本人の自己申告なのにも関わらず、あっさりとはねつけられました。

なんだか分かりませんが、
顔と名前だけは覚えてるそうです。

・・・・思うに、これって気を使われてるだけでは?
こういう大人の対応がのりぞうにも必要だったのでしょうか?

耳をすませば / 1995年日本

2006年03月12日 16時13分24秒 | 映画鑑賞
■ストーリ
  雫は中学3年生。両親と大学生の姉とともに東京近郊の
 団地に住むごく普通の読書好きの女の子だ。そんな雫が親しくなった
 同級生の少年は、中学を卒業したらすぐにバイオリン職人になるため
 イタリアに渡ると言う。進路について深く考えていなかった自分に
 気づいた雫は自分のやりたいことを模索する。

■感想 ☆☆☆☆☆
 大好きな映画です。
 原作よりも映画化されたもののほうが好きっていう作品は
 なかなかないのですが(特に原作を先に読んでいる場合は)
 この作品は見事に映画作品の圧勝です。

 ちょっぴり幻想的だっただけにあらすじにあまりメリハリが
 感じられなかった原作を見事に「少女の思春期」の物語に
 昇華しています。しかも原作の幻想的な雰囲気は壊さずに。

 もっともお気に入りのシーンは
 雫が聖司君のバイオリンを伴奏にして「カントリー・ロード」を
 歌っていると、おじいちゃん3人組がそれぞれ楽器を持って
 飛び入りしてくる場面です。
 知り合って間もない人たちが、年代を超えて、性別を超えて、
 その瞬間を楽しんでいる様子にこちらまで笑顔になってしまいます。

 ただし、大大大好きな作品なのですが
 主人公ふたりの恋愛模様は苦手です。
 「月島」から「雫」と呼び名がふいに変わる瞬間とか
 ラストの告白の場面とかアニメ映画なのに真剣に照れてしまう。
 何度見ても苦手。
 こういうのも、いつか微笑ましく見れるときが来るのかな。

 ところで、今回、6回目ぐらいの鑑賞で初めて気がつきました!
 なんと、声優さんとして劇団キャラメルボックスから
 4人も出演しているのです!うっわー!
 もっとちゃんと見とくべきでしたー。
 見終わった後、即効でネット検索しましたとも。
 (あぁ、この探究心をもっとほかの事に活かせてれば。。。)

 ていうほど、熱を入れて探さずとも
 キャラメルボックスの公式ページにてあっさり解答みっけ!

 伊藤ひろみさん:セリフは「暑いわねえ」。
         団地の階段を主人公・雫と通りすぎる主婦。
 岡田 達也さん:木村先生。雫が職員室に行くと天沢くんについて
         教えてくれる先生。
 成井 豊 さん:雫の担任の先生。
         「この問題は試験に出すからなあ」というセリフ。
 今井義博さん(退団):天沢くんが来た時、雫に取り次ぐクラスメイト。

花嫁はエイリアン / 1988年米国

2006年03月12日 15時56分36秒 | 映画鑑賞
■ストーリ
 妻を亡くして以来研究一筋の科学者スティーヴ(ダン・エイクロイド)
 が実験中の事故で宇宙に放ったビームによって、ある惑星が
 絶滅の危機に陥ってしまった。そのピンチを救うため、惑星から
 美女エイリアン(キム・ベイシンガー)が地球にやってきて、
 素性を隠してスティーヴと結婚するのだが。

■感想 ☆☆☆
 深夜のテレビ放映作品を途中から鑑賞しました。
 本当は他の作品を見る予定だったのに、チャンネルを
 変えられなくなってしまったのです。
 それぐらいテンポよく楽しめる作品。

 今見ると、SFって言うのがおこがましいような
 へなちょこ映像なのですが、それがまたほのぼとした
 コメディの雰囲気をより際立たせています。

 食べることもセックスすることもくしゃみをすることもなかった
 エイリアンがその楽しさに目覚めていく様子を
 キム・ベイジンガーがチャーミングに演じてます。

 それにしても、美人さんだと、くしゃみもかわいいのねー。
 のりぞうの場合、くしゃみを「おもしろい」とか
 「たのしい」とか言ってる余裕はないのですが。
 「ぶっしゃくっしょい!!」ていうぐらいの勢いある
 くしゃみしかできないんですけど。
 勢いつきすぎて「うぃー。」とため息ついちゃうんですけど。

 と、地球人とエイリアンの生態の違いどころか
 べっぴんさんと普通人のくしゃみの違いにまで
 思いをはせることができました。

 それにしても、ラストのお気楽な解決方法は
 いかにも「ビバ!アメリカ!」ってなかんじの
 浮かれポンチ具合であっけにとられてしまいました。
 のりぞうは好きです。こういう浮かれ方。

はじめての住まいづくり

2006年03月12日 15時43分34秒 | 読書歴
副題は「家族の夢いっぱいに、かしこく!」
月刊誌「美しい部屋」の別冊バージョンです。

「子供の成長」「家事」「自然」「健康」「コスト」「趣味」
この6つのテーマを中心に「ずっと暮らせる家」について
考えた雑誌です。

小さい頃から、家の間取りを見るのが大好きで
妹と毎朝、新聞広告を取り合ってました。
勿論、今も大好き。
広告に飽き足らず、定期的にこういった本を借りては
眺めてしまいます。しかも、結構真剣に。

おかげで、自分が将来住みたい家については
かなり詳細に思い描くことができます。

・・・・予算を度外視さえすれば。

基本的にお金の勘定が苦手なので
その辺はちっとも考慮に入れてません。

でも、自分の経験から言って、たとえ何人家族でも
家にはリビングと寝室と書斎があればいいかな、と。
基本的にみんなが常にリビングにいる家庭で
育ったからでしょうか。
もっとも、男の子がいたら、
そうも言ってられないのかなとも思います。
(年頃の男の子って、のりぞうにとっては
 異性人並に未知の生物なのです。)

とにかくリビング!リビングに電話。
電話の内容はみんなで聴いてみんなで会話です。
迷惑がられようが、聴いちゃいます。
おかげで、のりぞう家族は、他の家族の友人についても
かなり詳細に知っています。

床下暖房つきのあったかくて広々としたリビングは
のりぞうにとっては、永遠の憧れです。
そして、家族共有の書斎(図書室)。

そんな空想や妄想をしながらページをめくると、
あっというまに時間なんてたってしまうのです。

舞姫通信 / 重松清

2006年03月12日 15時32分10秒 | 読書歴
■ストーリ
 ラストシーンは、もう始まっているのかもしれない。
 人は、誰でも、気づかないうちに人生のラストシーンを
 始めている。17歳で死んだ「自殺志願」のタレント
 城真吾にとっては、16歳は晩年だった。
 城真吾は教えてくれた。人は死ねる。いつ。いつか。いつでも―。
 でも、僕は思う。僕の教え子の君たちの「いつか」が、
 ずっとずっと、遠い日でありますように。
 教師と、生徒と、生と死の物語。

■感想 ☆☆☆☆
 「どうして人を殺してはいけないんですか?」
 数年前に論争をかもしだした若者の発言である。

 この作品で城真吾が問いかける質問は
 「僕たちは生きてなくちゃいけないんですか?」
 「自殺するのはよくないことなんですか?」

 生きるのは義務なのか?
 自分の命は自分のものであり、死ぬことも権利として
 許されるのではないのか。

 この質問への明確な答えは最後までなされない。
 主人公はこの質問に対して答えることはできない。
 ただ、自分の思いに気がつく。
 彼は願うのだ。

 人は死ねる。
 いつ。いつか。いつでも。
 人はいつか死んでしまうし、いつでも死ねる。
 その「いつか」がいつ来るのかは誰にもわからない。
 君の「いつか」がずっと、ずっと、遠い日でありますように。

 ひとりの若者、城真吾の出現によって
 死は思ったよりも身近なところにあると気づく若者たち。
 そう。死は私たちにとっていつでも身近なところにある。
 死は特別なことではない。
 けれど、私たちに死ぬ権利はない。
 生きる義務がある。そう思いたい。

 「なぜ、生きていなくちゃいけないのですか。」

 私が死ぬことによって、悲しむ人がいる限り
 私は死を選んではいけない。そう思う。