のりぞうのほほんのんびりバンザイ

あわてない、あわてない。ひとやすみ、ひとやすみ。

なかよし小鳩組 / 荻原 浩

2006年03月26日 21時41分46秒 | 読書歴
■ストーリ
 倒産寸前の零細代理店・ユニバーサル広告社に大仕事が舞いこんだ。
 ところが、その中身はヤクザ小鳩組のイメージアップ戦略という
 とんでもない代物。担当するハメになったアル中でバツイチの
 コピーライター杉山のもとには、さらに別居中の娘まで
 転がりこんでくる。社の未来と父親としての意地を賭けて、
 杉山は走りだす。

■感想 ☆☆☆
 ここ最近、親父が熱い。
 単に私が手に取った本に親父世代が主人公のものが多いだけかもしれない。
 けれども「今、親父が来てるかも。」と思わされるような
 心熱くなる作品が多い。・・・気がする。

 親父世代の主人公には現実的な悩みが多い。
 夫婦仲はちょうど倦怠期にさしかかり
 (今作品の主人公、杉山は既に離婚済み)
 仕事も不況の影響で勝ち組と負け組の貧富の差は
 どんどん拡大するばかり(杉山の会社は倒産寸前)
 30を超え、健康の不安も大きくなってくる頃
 (杉山はアル中一歩手前)、と人によっては
 妙な焦りやがけっぷち気分を味わいがちな世代。
 偏見まみれだが、これが私の中での親父世代の定義である。

 だが、この定義にはもうひとつ大きな要素がある。
 親父世代はかっこ悪さを恐れない。
 どんなに見栄えが悪くても、心の余裕がなくても
 がむしゃらにがんばる。がんばれる。
 そういう熱さを持った世代が「親父世代」なのだと思う。

 私が最近、親父世代を題材にした小説を手に取るのは
 そして、読むたびに心を震わせ、胸を熱くするのは
 そういう他人の目を気にせずにもがけるかっこ悪さが
 新鮮でかっこよく見えるからだろう。

 杉山は仕事がすごくできるわけでも、
 並外れて正義感が強いわけでも
 ものすごく足が速いわけでもない。
 それでも、最後の最後にはがんばる。
 自分のなまった体に悪態をつきながら
 使えない同僚や社長にうんざりした顔を見せながら
 よっこらせと頑張る。そんな姿がとてつもなくいとおしい。

お勧めスポット

2006年03月25日 20時09分32秒 | 日常生活
昼食時、講師の方と旅行が好き、という話題で盛り上がりました。

今年54歳の先生は60歳で会社を閉めて
世界中を旅しながら、悠々自適の生活をするのが今の夢なんだそうです。
まずは手始めに野良猫がたくさんいるというマルタ島に行きたいと
うっとりとしながら語ってくださいました。

「で、のりぞうさんはどんな国に行きたいですか?」

・・・・しまった。
旅行好きという共通点で盛り上がったものの
もっぱら国内旅行専門ののりぞうです。
国内というのがおこがましいほど、
九州地方以外にさえ滅多に出ませんので、
日本以外の国にはまったく興味がありません。
素直にそう伝えると、

「え?九州以外にも出ない?
 いつもどこをうろうろしてるの?」

とたいそう驚かれました。そんなに驚かなくっても。。。。

九州の温泉が大好きなんです。
遠くに行かなくても大好きな方々と
楽しい時間を過ごせれば、それで大満足なんです。
日本国内なら行きたいところはたくさんありますけど
国外はコストパフォーマンスと飛行機拘束時間を考えると
あまり魅力を感じません。

「へえ。。。。じゃ、今後も九州をうろうろと?」

と、近くのスーパーに行くような表現をされる先生。

「はい。でも、今年は友人のひとりと
 ちょっと高級なホテルや旅館で贅沢な空間を楽しもう
 という計画もしてるんですよ。大人の旅計画です。」

と胸を張って答えると、色々なところを旅されている先生は
即座にお勧めスポットをいくつかピックアップしてくださいました。
わあ、たくさんありすぎて覚えられませんー。
とりあえず、もっとも行ける可能性の高い
鹿児島の「雅如苑」と湯布院「ゆうりん」のみ記憶にインプット。

お礼を言うのりぞうに先生はにっこり笑いながら

「でも、その旅館はカップルで行って欲しいところだよ。
 僕の中では温泉といえばカップル旅行だからね。
 カップル以外で温泉に行く人がいるとはねぇ。」

と、のたまい・・・・コホン、失礼、おっしゃいました。










友人と温泉旅行する人なんて、たくさんいますから!!
今年の夏は、しっとりとした温泉で女の友情を深めます。

競争

2006年03月25日 19時51分19秒 | 日常生活
セミナ開催のため、休日出勤をしたのりぞうです。
休日出勤をしなきゃいけないのに、
うっかりいつもの癖で週末モードの夜更かしをしてしまいました。
なぜか金曜日、土曜日はいつも以上に時が経つのが早く、
油断するとすぐに就寝時間が2時を過ぎてしまいます。

昨日の就寝時間は3時。
さすがにいつもの時間には起きられず6時に起床。
・・・・したものの、布団から出られず
6時45分に行動開始し始めました。

いつもと同じ時間に出勤しなきゃいけないのに!
なんとか準備を終え、会社で食べる朝ごはんを購入して
(朝ごはん抜きという発想にはならないのです)
会社に到着したのがいつもどおりの時間。
ワタクシってば、やればできる子やん!

ネットでニュースをチェックしながら
もそもそとご飯を食べていると、奥の部屋から
のそのそと課長が起きてきました。


・・・・・え?!かちょー?

「参りましたよ!仕事が終わったのが5時ですよ。」

・・・・ご、ごじ?!
(あ、懐かしい。昔、志村さんの番組で
 石野陽子さんと志村さんがこんな夫婦コントしてましたよね?
 あれ?最近、石野さんをみかけないなー。)

五時ってさっきですよ?

「もう、嫌んなっちゃいますよ。」

つかれきった風情の課長に
のりぞうの母性本能がきゅんと疼きました。
ちっとも好みじゃないのに、疲れきった殿方の姿ってば、
胸ときめかせるものがありますわー。

20分後、本日のセミナの企画担当の上司が到着。

「参ったよ。結局、昨日は3時解散だったよ。」

上司は日ごろ、親交のある教育担当の方の
お誕生日祝いをされていたのです。
のりぞうも行く気満々だったものの、
仕事が終わらず泣く泣く断念した飲み会。
・・・・3時まで、ですか。
余裕で合流できたんだわー。。。。

というわけで、本日、休日出勤したメンバの
昨日の就寝時間は

のりぞう 3時ベッドで熟睡
上司   3時解散(おそらく就寝は4時ごろ)
課長   5時会社にて仮眠

・・・・どないやのん?!
今日のセミナ、大丈夫なのん?!

(ひとりで勝手に)どきどきしながらセミナ開始時間を迎えましたが
本日の講師の方の講義の面白さに睡眠不足をすっかり忘れてましたわ!
心配が杞憂に終わって何よりの一日でございました。

待ってました!

2006年03月23日 23時33分47秒 | 日常生活
明日は待ちに待っていた給料日です!
この一週間、ひたすら待ち望んでましたとも。

一昨日は実家にお届け物があったため、帰省したものの
こちらに帰ってくることができず、車で送っていただきましたもの。

・・・・ナサケナイ。。。

昨日、今日と通勤のバスにも乗れませんでしたもの。
昼にごはんも買えず、買いだめしていたパンを持って行ってましたもの。
今日の夕飯に誘われて
「ロッテリアなら行けるよ☆」
ってお答えしましたもの。

「・・・モスは?」
と聞き返されて、思わず自分の財布の硬貨を確かめましたもの。

無事、モスにランクアップできましたー☆
給料日前の最後の晩餐。

とにかくそんな物悲しい一週間も明日で終わり。
明日はこの生活からの開放感を味わいます。
そして、4月こそは予算内での生活を楽しむのです。

・・・と、言いつつ
4月はキャラメルボックスの公演に
上川さんの舞台に映画、と予定が入りまくり。
嬉しい悲鳴ですわー。

今月末より悲惨な来月末になりませんように!

小林賢太郎ライブポツネン2006「○ ~maru~」

2006年03月23日 23時23分57秒 | 舞台(キャラメルボックス)
運命の殿方(の手)に会いました。
もうめちゃくちゃ好み!(の手)。
ひたすらひたすらうっとりと彼(の手)を眺めてました。

これはもう運命としか言いようがない!
そう確信しましたが、彼が結婚してると知って
(勿論、彼の手も)がっくりきているのりぞうです。

そんな邪念の入り混じった目で
小林賢太郎さんの舞台(と、彼の手)を鑑賞してきました。

以前から好きな方ではありましたが
実は彼の舞台をじっくり見るのは初めて。
舞台どころか彼をじっくりたっぷり見るのは今日が初めてです。

もう、そんな自分を恨めしく思うほど
楽しくて幸せで、でも少し物悲しくて切なくて
とにかく胸いっぱいになる1時間半の舞台でした。
笑えるんだけど、少し胸がちくりとする、というか寂しくなる。
なんというか「大人の苦さ」が入り混じった笑いでした。
あぁ、なんでもっと前からゆっくりじっくり見てなかったんだろ。

彼の計算しつくされた笑いに
「賢い人っていうのはこんな人のことを言うのねー。」
と自分の凡人ぶりを突きつけられましたとも。
でも、それがちっともいやみじゃないのは
彼自身が「考える」作業を楽しんでいるからなんだろうなぁ。

特に好きだったのは
「白ヤギさんと黒やぎさん」の童謡を基にしたひとりコントと
ラストの童話のようなお伽話のような「○を愛した男」の話。
とにかく胸に染み入る素敵なお話でした。
賢くて品がある。そんな言葉がぴったりです。
大口開けて笑うような舞台ではなく(笑っちゃったけど)
にやりくすりとできる極上のライブでした。

大人のオトコってかんじでしたわ。

とにかく言葉では言い尽くせません。
だから舞台って大好きなのです。

・・・それにしても彼の手ってば!(しつこい)

まだまだ道に迷い中

2006年03月21日 04時33分16秒 | 音楽鑑賞
土曜日、友人とNHKの 「家族で選ぶにっぽんの歌」を鑑賞しました。
視聴者アンケートをもとに家族で楽しめる名曲を紹介する
年に1度の特集番組です。NHKらしく安心してみていられる
セレクトで流れる歌にしみじみできます。
ここ数年、外出の際は録画して見るほど、楽しみにしていたため
遊びに来てくれた友人を付き合わせちゃいました。

今回、もっともテンションがあがったのは
卒業ソングメドレーで流れた「青春時代」。

「青春時代が 夢なんて
 後からほのぼの 思うもの
 青春時代の 真ん中は
 道に迷っているばかり」

この曲の歌詞もメロディも大好き。
今、色々なことで苦しんでいても
数年後にはほのぼのと思い出せるようになるのね。
そうだよね、そんなもんだよね。
と思わず、ナチュラルに昔を思い返せちゃいます。

もっとも、じたばたしていた頃のことを思い返すと
未だに恥かしくていても立ってもいられなくなりますが。
まだまだほのぼのと思い返せる段階には来てないようです。

のりぞうがこの曲で興奮していると
友人が興味を示してくれました。

友人「この曲、誰の曲?」
のり「・・・誰だっけ?
   うー!!思いだせんっ。気になるっ。
   ピアノを弾き語りしてる変な顔の人!」
友人「・・・その情報じゃまったく分からんけん。。。」

ごもっとも。
あー!こんなに好きなのに
名前がちっとも思い出せません。なんだっけ?

と、苛々したので、本日、母親に聞いてみました。

のり「青春時代はー♪ ゆーめーなんてー♪
   あとからー♪ ほのぼのー♪ おっもうーものー♪
   っていう曲、歌ってる人って誰だったっけ?」
母親「あぁ。あのピアノを弾いてて変な顔の人でしょ?
   名前、なんだっけ?」

・・・さっき、検索して調べました。

親子ともども、失礼なことを言ってしまってすみません。
森田公一様

この曲、大好きです。もう本当に大好きですってば。




文通大好き

2006年03月21日 03時47分31秒 | 日常生活
年末に転勤で引っ越しをされた方と文通を始めました。
もともと文章を書くことが大好きなので
手紙も葉書も苦になりません。
高校時代の友人とは、未だに携帯やメールで連絡を取るよりも
手紙や葉書で近況報告する回数のほうが多いくらい。

しかし、新しい文通相手は今までの文通相手と
一味もふた味も違うのです。
面白すぎて、突っ込みを返さずにはいられないような
そんな文章の達人です。ひとりで読んでいるのが勿体無い。
なのに本人は無自覚です。

・・・・訂正。
確信犯かもしれません。
むしろ、確信犯であって欲しい。そんな文章です。

前回の手紙は、パソコンでA4用紙1枚に
ぎっしりと綴ってくださっていました。
そのうち、半ばあたりまでが
時候の挨拶と時事ネタ「トリノオリンピック」について。
おかげで、フィギュア3人娘の身長と体重、3サイズを
言えるようになりました。

今回もA4用紙1枚にパソコンでぎっしり。
手紙のスタイルは変わりません。
変わったのは季節の挨拶と時事ネタの量。
今回の時事ネタはWBCについてでした。
その時事ネタがA4用紙の最後までぎっしり。

最後の1文は
「WBCのおかげで、伝えなければいけない用件が
 手紙に入りきれなくなりました。では、また。」

・・・・・本当の用件はなんだったんですか?!

意地でもA4用紙1枚というスタイルは崩さないようなので
次回からはひたすら季節の挨拶と時事ネタのみになるのでは
と不安で仕方がありません。

ま、手紙なんてそんなもんなんですけどね。
のりぞうが皆様に送った手紙で
有益な情報や伝える必要がある内容が書かれているのは
引越しのお知らせぐらいです。人のことは言えません。

成果

2006年03月19日 19時05分04秒 | 日常生活
二日続けて友人と後輩が遊びに来てくれたおかげで
家の中がすっきりと片付きました。

ありがとう!後輩!
ありがとう!友人!

今週はこの部屋の状態を保ちたいと思います。

ちゃぶ台の上に新聞や本を重ねません(宣言)
脱いだ服はすぐに片付けます(宣言)
手紙や日記を書くのに途中で飽きたりせず
最後まで書き終えて、すぐに出すようにします(多分・・。)
押入れの中は今週末まで封印しておきます(絶対に!)。


・・・根本から片付ける時間はなかったんです。。。

挫折

2006年03月19日 18時58分02秒 | 日常生活
たまに本文なしのメールをくれる会社の先輩がいます。
本文なし、写真だけ、です。
写真は8割がのりぞうに見せびらかせるためのおやつです。
無言で新商品のお菓子やプリンを自慢します。

・・・・なんて先輩だ!

と、思いつつ、おやつの誘惑になんなく踊らされるのりぞうです。
写真だけのメールに本気で悔しがります。
くっそう。。。

今朝、久々に先輩からメールが届きました。
案の定、プリンです。
・・・ん?!プリンじゃない!
プリン味のアイスです。

おいしそー。
最近、(ものすごーくほんの少し。)
砂糖節制気味なので目の毒具合が5割り増しです。

先輩からの追加メールでの
「ゲキウマ。」という一言メールに
更にテンションがあがるのりぞう。
教会から帰る道すがら、早速コンビニにれっつらごー!
寄り道、大好き☆







・・・プリンとアイスを購入して帰りました。
プリン味のアイスがなかったんです。
帰るやいなやあっというまにぺろり♪
ま、久々だし、いいよね。
と自分に言い訳をするのりぞう。

食べ終わった頃に後輩がおやつを持って
遊びに来てくれました。
おやつはレーズンサンドクッキー!
だーいーすーきー!!!

テンションあがって、あっというまにぺろり。





・・・・えー。
明日から再び(ほんの少し)砂糖節制生活を再開します。

それもこれもあれもぜーんぶ!
朝のメールのせいに違いないっ!
もう、この際、どれもこれも先輩のせいにしちゃいますから。

女の一生~一部・キクの場合~/遠藤周作

2006年03月19日 02時38分11秒 | 読書歴
■ストーリ
 長崎の商家へ奉公に出てきた浦上の農家の娘キク。
 活発で切れ長の目の美しい少女が想いを寄せた清吉は、
 信仰を禁じられていたキリスト教の信者だった。
 激動の嵐が吹き荒れる幕末から明治の長崎を舞台に、
 切支丹弾圧の史実にそいながら、信仰のために流刑になった若者に
 ひたむきな想いを寄せる女の短くも清らかな一生を描き、
 キリスト教と日本の風土とのかかわりを鋭く追及する。

■感想 ☆☆☆
 読み進めるのが辛く、読み終えるまでに随分時間がかかった。
 ページを進めれば進めるほど、登場人物たちに苦難が押し寄せてくる。
 その押し寄せてくる苦難のほとんどが「実話」だと考えると
 更に辛くなる。

 「信仰」とは何なのだろう?私の中での「信仰」は心のよりどころ。
 疲れたとき、迷ったときに指針となるもの。助けてくれるもの。
 「信仰」が弱った私を助けてくれることがあっても、
 信仰によって困ったり苦しんだりすることはない。
 それが私にとっての「信仰」である。

 だが、浦上の人たちにとって「信仰」はもはや「命」であり
 「生きる支え」なのである。捨てては生きていけないもの。
 一生付き合っていくもの。その重みの違いに驚き、何が彼らを
 そこまで「信仰」と向き合わせるのかと疑問に思う。

 特定の信仰を持たない日本では、その「強い信仰」こそが
 恐れの対象になり、だからこそ幕府や新政府がキリスト教を
 禁止することにも納得することができる。これほどまでに強い
 よりどころを見せ付けられたら、脅威に感じるのも無理はない。
 どんなに虐待を受けても、命を落としても信仰を捨てない
 浦上の信者たちは強く清らかで、混沌とした幕末でどこまでも
 まっすぐだ。

 しかし、もっとも強く私の心に訴えかけてきたのは、この信者たちの
 まっすぐな抵抗ではなく、彼らと対照的に描かれている
 長崎の役人、伊藤の生き様だった。
 時代の波にうまく乗る賢さもなく、役人としての正義もない
 伊藤は自分の苛立ちや弱さを心の強い信者たちにぶつけ
 彼らを虐待し続ける。だが、本物の悪党ではない彼は
 信者を虐待する自分に罪の意識を持ち、苦しみ続ける。

 プチジャン神父が苦しんでいる伊藤にこう伝える場面が好きだ。

 「神は虐待を指示しているだけの本藤さんよりも
  実際に虐待をしている伊藤さんを愛されてます。
  神様は弱い人を、神を必要としている人を愛されます。」

 伊藤の卑劣な行動は許せない。女性として嫌悪感をぬぐえない。
 この小説の中で誰よりも卑怯者だと思う。
 それでも彼が許されて、神に愛されてほっとする。

 それは、誰よりも人間らしい人物が伊藤だから。
 いや、人間らしいというよりは、誰よりも私に近い人物が
 伊藤だからだろう。私には浦上の信者のように
 「ひとつのこと、ものを信じ続けてそのために命を捨てる」強さはない。
 キクのように「愛する人のために自分を犠牲にする」美しさもない。
 本藤のように、時流をよみ、その時代にうまく乗るこずるい賢さも勿論ない。
 だから、この小説の中で誰よりも弱く、誰よりも卑怯で、
 誰よりも自分勝手な伊藤が、誰よりも苦しみ、傷つき、
 罪を背負い続けた結果、許される結果にほっとした。

 それでこそ「神」なのだと思った。私にとって、神とは
 人間には不可能な愛の存在、許しをされる方であり、
 弱いものの傍に降り立ってくれてこその神様なのだと
 改めて自分の宗教観に気づかされた作品となった。