職場に、韓国人の女の子がふらりとやってきた。
見るからに途方に暮れた、というふうで、事情を聞こうにも
彼女は英語があまり話せないので韓国人の同僚が話を聞いた。
彼女は21歳で、昨日一人でハワイにやってきた。
情報のすべてをインターネットで入手し、昨夜泊まったのは民家の離れをレンタルしているところで
1泊140ドルだという。
それを聞いて私達は青くなった。
彼女が見せてくれた、その泊まる場所のインターネット上の写真はそれは美しい眺望で、
確かにそこは美しい景色が見られるのだろうけれど、その一帯はドラッグをやる人たちがいっぱい住んでいて
家族や複数で行くならまだしも、女の子が一人で行くにはけして安全とはいえないところなのだ。
一夜あけて、今日はアクティビティの予約をしてあるので、その場所まで行くバスを待っていたら
泊まったところの隣に住む男が、車で送っていってあげるという。
車に乗ってしばらくすると男が、送り賃として100ドル払えと言ったので、10ドルだけ払うと
目的地のずっと手前で降ろされた。
その降ろされた場所が、たまたま私の職場の近くで、彼女は店に入ってきたのだった。
韓国人の同僚と話しながら、彼女は泣いていた。
同じ年齢の子供がいる同僚は放っておけず、予約したアクティビティの場所までバスで行かせ、
仕事が終わったら彼女を迎えに行き、自分の家まで連れて帰った。
彼女が予約してあった宿泊場所は、どこも似たりよったりの危ない場所だったのでそれらをキャンセルし、
改めてワイキキのホテルをとろうとしたが、どこも一杯で高い部屋しかあいていない。
それで結局、同僚は彼女をホームステイさせることにした。
韓国人の女の子は21歳にしては幼く、高校生のようにみえた。
彼女は同僚の家を拠点にして、毎日インターネットで調べながら一人で楽しそうにいろんなところに出かけていくのだという。
明日、彼女は韓国に帰るが、ケロリとしてまた一人旅をするのだろうか。
私は一人旅がしたいと思ったことはないし、一人旅ができないタイプの人間だと思う。
スーパー方向音痴だからというだけではない。
美味しいものを食べても、いい景色を見ても、それを分かち合う相手がいなくてはつまらないと思ってしまう。
一人なら、誰に気兼ねもせずに予定を変えられるし、好きなものを食べる自由があるが
私は一人でいることの自由を楽しめない、むしろ自由であることに疲れてしまうと思うのだ。
しかし、というか、だからこそなのだろうが、一人旅にとても強い憧れをもっている。
沢木耕太郎の「深夜特急」シリーズは、何度読み返したかしれないし、
特に女性が日本を飛び出して一人旅をする本は、見つけると必ず読む。
彼女達が体験する、私が得ることができない感動や困難を疑似体験させてもらうのだ。
感動したあまり、ファンレターを(メールだけど)送ったこともある。
ちゃんとした返事を受け取ったときは、それは嬉しかった。
私もこんなことができたらどんなにいいだろうかと思う。
また、一人旅を楽しめる人と私の決定的な違いはなんだろうかとも思う。
作家の角田光代さんも一人旅をする人で、先日その旅のエッセイを読んだ。
角田さんはアジアを中心に、とくに予定を決めずに一人でどこへでも行く。
しかし本の中で彼女が、
『私の友人に、夜、一人で焼き肉屋に行き、カップルやグループに混じってブースに座り
一人でもくもくと肉を焼き、ビールを飲んで帰ってくる人がいるが、私はとてもそんなまねはできない』
と書いているのを読んで驚いた。
アジアのどこかの国境の近くで、長距離バスの休憩のあとで置いていかれ、
荷物はバスに積んだまま、誰も英語を話せないという状況で、何時間もかけて事情を説明し、
なんとか夜まで待てばバスが来るというところまできたのに、待つのがいやでとりあえず山道を歩きだすという、
そんなことができる人が、一人で焼き肉屋に行けないなどということがあるんだろうか。
一人で焼き肉屋に行くのと、見知らぬ国をさまようのと、必要な勇気の種類が違うんだろうか。
焼き肉屋にも見知らぬ国にも一人で行けない私には、逆立ちしたって理解できない話なのである。
にほんブログ村
見るからに途方に暮れた、というふうで、事情を聞こうにも
彼女は英語があまり話せないので韓国人の同僚が話を聞いた。
彼女は21歳で、昨日一人でハワイにやってきた。
情報のすべてをインターネットで入手し、昨夜泊まったのは民家の離れをレンタルしているところで
1泊140ドルだという。
それを聞いて私達は青くなった。
彼女が見せてくれた、その泊まる場所のインターネット上の写真はそれは美しい眺望で、
確かにそこは美しい景色が見られるのだろうけれど、その一帯はドラッグをやる人たちがいっぱい住んでいて
家族や複数で行くならまだしも、女の子が一人で行くにはけして安全とはいえないところなのだ。
一夜あけて、今日はアクティビティの予約をしてあるので、その場所まで行くバスを待っていたら
泊まったところの隣に住む男が、車で送っていってあげるという。
車に乗ってしばらくすると男が、送り賃として100ドル払えと言ったので、10ドルだけ払うと
目的地のずっと手前で降ろされた。
その降ろされた場所が、たまたま私の職場の近くで、彼女は店に入ってきたのだった。
韓国人の同僚と話しながら、彼女は泣いていた。
同じ年齢の子供がいる同僚は放っておけず、予約したアクティビティの場所までバスで行かせ、
仕事が終わったら彼女を迎えに行き、自分の家まで連れて帰った。
彼女が予約してあった宿泊場所は、どこも似たりよったりの危ない場所だったのでそれらをキャンセルし、
改めてワイキキのホテルをとろうとしたが、どこも一杯で高い部屋しかあいていない。
それで結局、同僚は彼女をホームステイさせることにした。
韓国人の女の子は21歳にしては幼く、高校生のようにみえた。
彼女は同僚の家を拠点にして、毎日インターネットで調べながら一人で楽しそうにいろんなところに出かけていくのだという。
明日、彼女は韓国に帰るが、ケロリとしてまた一人旅をするのだろうか。
私は一人旅がしたいと思ったことはないし、一人旅ができないタイプの人間だと思う。
スーパー方向音痴だからというだけではない。
美味しいものを食べても、いい景色を見ても、それを分かち合う相手がいなくてはつまらないと思ってしまう。
一人なら、誰に気兼ねもせずに予定を変えられるし、好きなものを食べる自由があるが
私は一人でいることの自由を楽しめない、むしろ自由であることに疲れてしまうと思うのだ。
しかし、というか、だからこそなのだろうが、一人旅にとても強い憧れをもっている。
沢木耕太郎の「深夜特急」シリーズは、何度読み返したかしれないし、
特に女性が日本を飛び出して一人旅をする本は、見つけると必ず読む。
彼女達が体験する、私が得ることができない感動や困難を疑似体験させてもらうのだ。
感動したあまり、ファンレターを(メールだけど)送ったこともある。
ちゃんとした返事を受け取ったときは、それは嬉しかった。
私もこんなことができたらどんなにいいだろうかと思う。
また、一人旅を楽しめる人と私の決定的な違いはなんだろうかとも思う。
作家の角田光代さんも一人旅をする人で、先日その旅のエッセイを読んだ。
角田さんはアジアを中心に、とくに予定を決めずに一人でどこへでも行く。
しかし本の中で彼女が、
『私の友人に、夜、一人で焼き肉屋に行き、カップルやグループに混じってブースに座り
一人でもくもくと肉を焼き、ビールを飲んで帰ってくる人がいるが、私はとてもそんなまねはできない』
と書いているのを読んで驚いた。
アジアのどこかの国境の近くで、長距離バスの休憩のあとで置いていかれ、
荷物はバスに積んだまま、誰も英語を話せないという状況で、何時間もかけて事情を説明し、
なんとか夜まで待てばバスが来るというところまできたのに、待つのがいやでとりあえず山道を歩きだすという、
そんなことができる人が、一人で焼き肉屋に行けないなどということがあるんだろうか。
一人で焼き肉屋に行くのと、見知らぬ国をさまようのと、必要な勇気の種類が違うんだろうか。
焼き肉屋にも見知らぬ国にも一人で行けない私には、逆立ちしたって理解できない話なのである。
にほんブログ村