太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

見ない練習

2018-08-08 19:31:03 | 日記
私は基本的にクソ真面目で、深刻になりがちだ。

「基本的に」というのは、まったくそうではない部分が目立つからだ。

クソ真面目も深刻もそれはそれでいいのだが、それを人に求めるところに私の問題がある。


それに気づいたのは、つい最近のことだ。

職場の中で、私はものすごくよく働くと思われている。

たぶん、ここが日本だったら私は平均的な社員だろう。

ハワイという土地柄は、何にしてもユルすぎるので、私が特に良くみえるというだけだ。

私は多くの日本人がそうであるように、クソ真面目に規則を守り、やるべきことをチャキチャキとこなし、

身を粉にして働く。

まわりの同僚はといえば、規則は守らず、嫌な仕事は勝手にパスし、適当にやっている。

それはそれでいいはずだった。




日本で、父の会社で総務として働いていたときのことだ。

社員Aが、社員Bがいかにズルをして働いているかということを私に訴えた。

自分だけが正直に働いているのは許せない、というのだ。

Aの気持ちはわかるが、Bを評価するのは会社だし、私にはどうすることもできない。

その後もAは、これなら自分も適当に働いたほうがいいだとか、文句を言っていた。

そうしたいならすればいい、と私は思った。

適当にやって、それで気が済むならすればいい。

私は、Aのことを半ば見下すような気持ちで、そう思ったのだ。




ところが、私はAだ。いや、Aは私だ。

同僚がどうであれ、私は私のやり方に誇りを持っていたはずが、

ある朝、私の気持ちがいっぱいいっぱいになってしまい、マネージャーの一人に

心情を訴えながら、ぼろぼろと泣いた。

泣くだけ泣くと、つき物が落ちたようにスッキリした。

それだけでなく、いくつかのことがクリアに見えてきた。



私は自分の評価にとてもこだわっていたこと。

評価されていないと少しでも感じることに、躍起になっていたこと。

ゆるゆる働いている同僚たちを、見下していたこと。




そのことがあってから、私はまわりを見ないように努めてきた。

私は私、自分のことだけを見て、自分のペースでやるだけ。

そうしたら、たとえばパートナーが必要な部署になったとき、相手が何をしようがしまいが、

5分の休憩を10分とろうが、まったく気にならなくなった。

私もみんなのように、ユルくやってみようとしたこともあった。

けれども、そういうことではなかった。

私が、クソ真面目なコマネズミのように働くことしかできないように、

彼らもまた、彼らのやり方しかできないのだ。

だから、私がエライわけでもなく、彼らを見下すこともないのだった。

いいだけ年を重ねても、私はまだまだ至らないことだらけである。











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