私は基本的にクソ真面目で、深刻になりがちだ。
「基本的に」というのは、まったくそうではない部分が目立つからだ。
クソ真面目も深刻もそれはそれでいいのだが、それを人に求めるところに私の問題がある。
それに気づいたのは、つい最近のことだ。
職場の中で、私はものすごくよく働くと思われている。
たぶん、ここが日本だったら私は平均的な社員だろう。
ハワイという土地柄は、何にしてもユルすぎるので、私が特に良くみえるというだけだ。
私は多くの日本人がそうであるように、クソ真面目に規則を守り、やるべきことをチャキチャキとこなし、
身を粉にして働く。
まわりの同僚はといえば、規則は守らず、嫌な仕事は勝手にパスし、適当にやっている。
それはそれでいいはずだった。
日本で、父の会社で総務として働いていたときのことだ。
社員Aが、社員Bがいかにズルをして働いているかということを私に訴えた。
自分だけが正直に働いているのは許せない、というのだ。
Aの気持ちはわかるが、Bを評価するのは会社だし、私にはどうすることもできない。
その後もAは、これなら自分も適当に働いたほうがいいだとか、文句を言っていた。
そうしたいならすればいい、と私は思った。
適当にやって、それで気が済むならすればいい。
私は、Aのことを半ば見下すような気持ちで、そう思ったのだ。
ところが、私はAだ。いや、Aは私だ。
同僚がどうであれ、私は私のやり方に誇りを持っていたはずが、
ある朝、私の気持ちがいっぱいいっぱいになってしまい、マネージャーの一人に
心情を訴えながら、ぼろぼろと泣いた。
泣くだけ泣くと、つき物が落ちたようにスッキリした。
それだけでなく、いくつかのことがクリアに見えてきた。
私は自分の評価にとてもこだわっていたこと。
評価されていないと少しでも感じることに、躍起になっていたこと。
ゆるゆる働いている同僚たちを、見下していたこと。
そのことがあってから、私はまわりを見ないように努めてきた。
私は私、自分のことだけを見て、自分のペースでやるだけ。
そうしたら、たとえばパートナーが必要な部署になったとき、相手が何をしようがしまいが、
5分の休憩を10分とろうが、まったく気にならなくなった。
私もみんなのように、ユルくやってみようとしたこともあった。
けれども、そういうことではなかった。
私が、クソ真面目なコマネズミのように働くことしかできないように、
彼らもまた、彼らのやり方しかできないのだ。
だから、私がエライわけでもなく、彼らを見下すこともないのだった。
いいだけ年を重ねても、私はまだまだ至らないことだらけである。
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「基本的に」というのは、まったくそうではない部分が目立つからだ。
クソ真面目も深刻もそれはそれでいいのだが、それを人に求めるところに私の問題がある。
それに気づいたのは、つい最近のことだ。
職場の中で、私はものすごくよく働くと思われている。
たぶん、ここが日本だったら私は平均的な社員だろう。
ハワイという土地柄は、何にしてもユルすぎるので、私が特に良くみえるというだけだ。
私は多くの日本人がそうであるように、クソ真面目に規則を守り、やるべきことをチャキチャキとこなし、
身を粉にして働く。
まわりの同僚はといえば、規則は守らず、嫌な仕事は勝手にパスし、適当にやっている。
それはそれでいいはずだった。
日本で、父の会社で総務として働いていたときのことだ。
社員Aが、社員Bがいかにズルをして働いているかということを私に訴えた。
自分だけが正直に働いているのは許せない、というのだ。
Aの気持ちはわかるが、Bを評価するのは会社だし、私にはどうすることもできない。
その後もAは、これなら自分も適当に働いたほうがいいだとか、文句を言っていた。
そうしたいならすればいい、と私は思った。
適当にやって、それで気が済むならすればいい。
私は、Aのことを半ば見下すような気持ちで、そう思ったのだ。
ところが、私はAだ。いや、Aは私だ。
同僚がどうであれ、私は私のやり方に誇りを持っていたはずが、
ある朝、私の気持ちがいっぱいいっぱいになってしまい、マネージャーの一人に
心情を訴えながら、ぼろぼろと泣いた。
泣くだけ泣くと、つき物が落ちたようにスッキリした。
それだけでなく、いくつかのことがクリアに見えてきた。
私は自分の評価にとてもこだわっていたこと。
評価されていないと少しでも感じることに、躍起になっていたこと。
ゆるゆる働いている同僚たちを、見下していたこと。
そのことがあってから、私はまわりを見ないように努めてきた。
私は私、自分のことだけを見て、自分のペースでやるだけ。
そうしたら、たとえばパートナーが必要な部署になったとき、相手が何をしようがしまいが、
5分の休憩を10分とろうが、まったく気にならなくなった。
私もみんなのように、ユルくやってみようとしたこともあった。
けれども、そういうことではなかった。
私が、クソ真面目なコマネズミのように働くことしかできないように、
彼らもまた、彼らのやり方しかできないのだ。
だから、私がエライわけでもなく、彼らを見下すこともないのだった。
いいだけ年を重ねても、私はまだまだ至らないことだらけである。
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