太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

年号

2019-04-03 19:05:12 | 日記
平成のあとは、令和だそうだ。
2年前に、やっと東京オリンピック開催のことを知った私としては、奇跡的に速い情報だ。
姉や友人に、年号が決まったら知らせてくれるように念押ししていたのだ。
 
雅子さまは、私と同じ歳。
皇太子さまは、姉と同じ。
天皇陛下も、皇后陛下も大好きだし(こういう言い方していいかわからんけども)、皇太子ご夫妻も好きだ。
親が心配するほどに、なかなか結婚しなかった姉は、
皇太子さまがご結婚したら、私もできるような気がする、などと言っていた。
親戚の子じゃないんだから・・・
まあ、そんなふうに勝手に身近に感じていたということだ。
 
昭和から平成になるとき、私はすでに社会人になっていて、
昭和最後の日、私が働いていた、父の会社のオフィスに友人3人がやってきて、
「さよなら昭和!」
と言って乾杯した。
はしゃいだ勢いで、車に乗って静岡駅まで乗りつけ、切符の券売機で入場券を1枚ずつ買った。
「昭和最後の入場券だよぅー」
平成最後の日に、こんな子供じみたことをする大人がいるだろうか。
この4人は、山梨県にぶどう狩りに行き、ぶどうを刈る前にワイナリーに寄って、
そこでしこたま全員でワインの試飲をしてしまい、誰も運転できなくなってしまったというアホ仲間だから、いたしかたない。
 
「令和だって」
「令和に決まったよ」
姉や友人から送られてくるメール。
夫にそれを伝えると、令和の意味を聞かれた。
友人の受け売りで、『厳しい冬のあとの希望に満ちた季節』と言っておいた。
あっているのかどうか。
すると、
「平成の意味は?」とくる。
「うーん、平和ってこと」
「じゃあ、昭和は?」
「それも平和」
「・・・適当に答えてるでしょ」
知るか!国家にとって平和は1番大事なことだから、それでいいのだ。

「私たちは令和で人生を終えるんだねえ」
 
友人が言った一言に、しみじみとなった。
昭和に生まれ、年齢だけ大人になって、平成で大波小波の人生を生き、令和で閉じる。
気だけ若いが、思えばすっかり人生を折り返していたのだ。
 
 
平成も、最初はとってつけたような感じがしたものだ。
だから令和もそのうちしっくりくるようになるだろう。
日本の外にいる私にとっては、令和という年号は何年たっても馴染みのないものになるだろうが、
レイワという言葉の響きは美しくて好きだ。
 
 
 
 
 
 
 

ピジン

2019-04-03 13:46:20 | 日記
ハワイに来て間もない頃、ビーチに行ったら、近くにいた男性二人が話をしているのが聞こえてきた。
聞き慣れない言葉だったので、夫に聞いた。
「何語?」
すると夫は言った。
「英語」

またあるとき、レストランで、頼んだデザートがなかなか出てこなかったので催促すると、若いウェイターは言った。
「Oh,you like'm?」
ユーライカムって・・・?

これがピジンイングリッシュ。
英語には違いないが、文法もめちゃくちゃだったり、発音もイントネーションも違うし、単語も別の意味で使われることもある。
もともとは、違う言語をもつ人達が開拓者として集まってきた時代に、
互いにコミュニケーションを図るうちに、自然に生まれてきた独自の言葉がピジンだ。
ハワイには、大人になってもピジンでしか話さない人がけっこういて、ピジンイングリッシュでしゃべりまくられると、ほとんど聞き取れない。
普通の英語だってままならぬ私が、もうひとつ言語を学ばねばならないのかと暗澹たる気持ちになった。
普通の英語だけで手一杯、ピジンなんかなくなればいいのに、と思う。

先日、シャワーのあとで、夫のユーカリのスプレーを借りようと思い、夫に言ったら、
「モヤシ?」
と言う。
モヤシ、だなんて言ってない。
「自分が何て言ったのか、よーく思い出してごらんよ」
いや、私は、だから、スプレーを足に使わせてもらおうと思って

「I do  シュッシュ on my アシ」

と言った・・・・
スプレーは、夫にはシュッシュで通じるが、なんとひどい英語でも日本語でもないものをしゃべっているのだろうか。
オン マイ アシ のところが、モヤシに聞こえたのだろう。
私は、無意識のうちに、独自の言語を創り出していた。
これは、ピジンではあるまいか?
恐ろしいのは、自分では英語を話しているつもりでいることである。
夫相手なら、まだいい。
外で、うっかりこれが出ないとも限らない。
いや、もしかしたら、すでにどこかで出ているかもしれない。
くわばらくわばら~





ハワイの桜

2019-04-03 07:41:25 | 日記
ピンクテコマという、桜に似た花がある。
私はこの木を、ハワイの桜と呼んでいる。
日本の桜が咲くのと、同じ時期にピンクテコマも満開になる。


近所のピンクテコマ。

この通りには、ピンクテコマの木が10本以上あって、
どれも木の下に薄いピンクの花びらを、じゅうたんのように散らせながら立っている。
桜ほどの、風情はない。
けれど、本物の桜を見ることができない私にとっては、桜に似ているだけでいい。
上野の桜が、満開なのだと新聞に載っていた。
花見をする人もないピンクテコマの木の下に、少しだけ車を停めて、日本の桜に思いを馳せる。