平成のあとは、令和だそうだ。
2年前に、やっと東京オリンピック開催のことを知った私としては、奇跡的に速い情報だ。
姉や友人に、年号が決まったら知らせてくれるように念押ししていたのだ。
雅子さまは、私と同じ歳。
皇太子さまは、姉と同じ。
天皇陛下も、皇后陛下も大好きだし(こういう言い方していいかわからんけども)、皇太子ご夫妻も好きだ。
親が心配するほどに、なかなか結婚しなかった姉は、
皇太子さまがご結婚したら、私もできるような気がする、などと言っていた。
親戚の子じゃないんだから・・・
まあ、そんなふうに勝手に身近に感じていたということだ。
昭和から平成になるとき、私はすでに社会人になっていて、
昭和最後の日、私が働いていた、父の会社のオフィスに友人3人がやってきて、
「さよなら昭和!」
と言って乾杯した。
はしゃいだ勢いで、車に乗って静岡駅まで乗りつけ、切符の券売機で入場券を1枚ずつ買った。
「昭和最後の入場券だよぅー」
平成最後の日に、こんな子供じみたことをする大人がいるだろうか。
この4人は、山梨県にぶどう狩りに行き、ぶどうを刈る前にワイナリーに寄って、
そこでしこたま全員でワインの試飲をしてしまい、誰も運転できなくなってしまったというアホ仲間だから、いたしかたない。
「令和だって」
「令和に決まったよ」
姉や友人から送られてくるメール。
夫にそれを伝えると、令和の意味を聞かれた。
友人の受け売りで、『厳しい冬のあとの希望に満ちた季節』と言っておいた。
あっているのかどうか。
すると、
「平成の意味は?」とくる。
「うーん、平和ってこと」
「じゃあ、昭和は?」
「それも平和」
「・・・適当に答えてるでしょ」
知るか!国家にとって平和は1番大事なことだから、それでいいのだ。
「私たちは令和で人生を終えるんだねえ」
友人が言った一言に、しみじみとなった。
昭和に生まれ、年齢だけ大人になって、平成で大波小波の人生を生き、令和で閉じる。
気だけ若いが、思えばすっかり人生を折り返していたのだ。
平成も、最初はとってつけたような感じがしたものだ。
だから令和もそのうちしっくりくるようになるだろう。
日本の外にいる私にとっては、令和という年号は何年たっても馴染みのないものになるだろうが、
レイワという言葉の響きは美しくて好きだ。