太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

プラダのバッグが1000円だったら。

2019-04-26 07:52:24 | 日記
私はブランドものに興味がない。
最初に勤めた会社はローカルのテレビ局で、時はバブル。
「郵便局に行ってきまぁす」といって出かけた同期の女が、
2時間後に堂々とサンローランやフェラガモの紙袋を下げて帰社する、
なんてことがまかりとおっていた。
娘の誕生日に、アウディの新車にリボンをかけて局に届ける、なんていう成金の親もいた。
やっぱりあの頃、なんだか社会全体がおかしかったと思う。

高級なブランドものを身にまとい、爪を長く伸ばしてマニキュアを塗り、
たっぷり化粧してタバコを吸い、気取って歩くくせに、
化粧室でタバコのヤニ取り歯磨きで歯を磨いている。
彼女達が、仕事ができる、都会の洗練された女性だったらともかく、
そうじゃないから、私はそういうグループの人たちが嫌いだった。

最初に結婚した相手は、高級好きだった。
自分のスーツも、私が着る服やバッグも、名前の通ったブランドのものを買った。
そういう志向は、年数がたつにつれて顕著になっていき、
昔、シンガポールで一緒に買ったショルダーバッグを持って繁華街に出た私を見た相手が、
「そんな安っぽいもの持ってくるなよ。もっといいやつ持ってるだろう」
と吐き捨てるように言った。
「これは思い出のバッグじゃん!」
頭にきた私は、その日家に帰ってから、そのバッグを筆頭に「安物」のバッグを相手の目の前でゴミ袋に詰め込んで捨てた。

相手の部下が家に遊びに来る日、
「(私が)アウディに乗ってることになってるから、話あわせて」
と言う。
私の車はマークⅡで、アウディは実家の父の車だ。
「なんでそんなことになってんの」
呆れて聞くと、
「話の綾だ」とかなんとか言ってごまかした。
言葉の綾なら知ってるけど、話の綾ってなんのこっちゃ。

その後、車はベンツになり、郊外に土地を買って家を建てた。
相変わらずブランドものを自分にも、私にも買った。
「シロが(姉妹の中で)1番幸せになった」
と父が言った。
私は何も反論しなかったけれど、ベンツじゃなくても、すばらしい家じゃなくても、
大切にされて笑いながら仲良く暮らすほうが、ずっとよかった。

郊外に建てた家に行く狭い道で、農作業の帰りの軽トラックとすれ違い、
もう少しでミラーが接触しそうになった。

「貧乏人が!」

そう舌打ちした相手の横顔を見て、私は、いったいどこでどう間違えてここまできて、なぜまだここにいるんだろうと思った。
怒る気にもなれなかった。悲しくもなかった。


ようやく身の回りのものをもって家を出たのは、それからまもなくだ。
そのときに乗ってきたベンツは、すぐに売り飛ばして現金にした。
中身は空っぽのきれいな箱ばかり作ってきた11年だった。



私がブランドものを敬遠するのは、
テレビ局の中身のない女たちと、前の夫のことをいまだに軽蔑しているからなのだろうと、最近になって思うようになった。
ベンツが100万円だったら、プラダのバッグが1000円だったら、欲しいと思わない人たち。
良いから欲しいのではなく、高いから欲しい人たち。
良いものを持っているのではなく、高いものを持っているのを人に知らせたい人たち。
そういう人たちに、私は彼女達や前の夫を重ねてしまう。

 



今の夫は、真反対のところにいる。
ブランドどころか、物欲が薄い。
大きなスーツケースが2個あれば、すべての物が納まるほどしか物を持たない。
車は新車を買ったことがない。
今乗っているホンダは2004年のモデルで、動かなくなるまで乗る。
夫の両親は、そうとう裕福だと思うのだが、
両親ともに車はホンダを新車で買い、10年以上乗り、またホンダを買う。
ブランドの服も小物も持たないが、ただ頻繁に出かける旅行はビジネスかファーストクラスだ。

私は今、
物で見栄をはることもなく、等身大の自分に寛ぐことができる人たちの中にいる。