太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

レイナの月

2019-04-05 07:36:50 | 絵とか、いろいろ
エンジェル ロミロミをやってくれる、レイナに、月の作品を頼まれていた。
3枚のキャンバスに描いた月の作品の写真を見たレイナが、欲しいと言ったのだ。
しかし、そのオリジナルは既に日本の友人が買ってくれて、手元になかった。
じゃ、そのうち創るよ、と言ったのが2年前。
忘れていたわけではない。
ずっと心のどこかにはあって、キャンバスもずっと前に用意してあったのだけれど、
忙しさを言い訳に手をつけずにいた。

不思議なのだが、
こういうものにもタイミングがあるようで、期が熟すとでもいおうか、
ようやく私は月に取り掛かり、仕上げた。

Raina’s Moon

月曜日、レイナのマッサージの予約が入っていたので、これを持って出かけた。
もちろんサプライズ。
レイナ自身、もう頼んだことなど覚えていなかったかもしれない。
レイナの驚きようといったらなかった。
「魂がふるえてる・・・・!!」
全身鳥肌をたてながら、レイナは涙を浮かべていた。
オリジナル作品は、どうしたって高価になるから、
夫と私ふたりぶんのマッサージの何回分かと交換しようと提案した。
「私、生涯タダでマッサージしたって払えやしないわよ」
いや、そんなに高くはないから・・・・
人間国宝じゃあるまいし。

オリジナルを手放すのは、勇気がいる。
それが特に気に入った作品であれば、なおさらだ。
だから、私が売るのは紙かキャンバスにプリントしたものが殆どで
手放したオリジナルは、ギャラリーで3個、
友人に売った、月のオリジナルが1個だけだ。
でも、こんなに喜んでもらえる人のところにいったほうが、作品はいいのだろうなと
家に溜めてある作品の山を見ながら思う。
私が死んでしまったあと、残った人をわずらわせてしまうのなら。
最近、そんなことを思うようになった。

この月の作品も、いくべきしてレイナの元にいったと思う。
絵には、そういうなにかがある。
昔、日本にいたときに、「月」をテーマにしたパステル画の個展をやったことがある。
30点のパステル画の、すべてに月が織り込まれている。
少し年配のご婦人が、ひとつの絵の前で立ち止まった。
それは、古いヨーロッパの石畳の道の両側に、家が立ち並んでおり、道が遠くに伸びている、その空にぼんやり月が浮かんでいる絵だ。
私が近づくと、その人は涙を流していた。

「私、なぜだろう、ここを知ってる。なぜか知らないけど、涙がでてくる」

そのご婦人は、その絵を買ってくださった。
私はどうしてその絵を描いたのか、わからない。
その町並みを知っているわけでもなく、そういう風景に思いいれもない。
だからきっと、それはそのご婦人のために私が描かされた、
その絵は、そのご婦人のところに行くべきして生まれたと思うのである。