太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

うらないの誘惑

2019-04-24 18:45:57 | 日記
バスルームの窓が、まるで一幅の絵のようだと気づいた。

どんな絵も、やっぱりほんものにはかなわないよなあ。


人が、手相をみてもらった、リーディングをしてもらった、と聞くと、ウズウズする。

離婚したあと、新しい相手との恋愛成就のためにご縁を持ったエンジェルリーディングは、まさに私の人生を180度変えた。
あっというまにその相手に振られて、今の夫に出会った。
そのあとも数年にわたり、私はずっとセラピストの助けを借りていた。
途方に暮れるような出来事が何度もあって、
彼女がいなかったら、私はそこを抜けられなかったと思う。
しかし、絶対にやりたくないと思うキツイ宿題が、何度も出た。
べつにそれをやらなくたっていい、やったって、いい。
がむしゃらだったそのときは、やりたくない葛藤を押さえ込んでやってきた。
火の輪を(おおげさ)くぐれば向こう側にいけるとわかっていたから。

けれど、だんだんとそれが苦痛になってきた。
嫌だ、と思うのは表面の私であり、本質の私はそれを望んでいるのだろう。
それがわかっているから、なおさら嫌なのである。

人間関係のいざこざで体調を崩してばかりいた友人が、あとのことも決めずに仕事を辞め、繋ぎのつもりでパートタイムで働いていた販売の仕事に、正社員として迎えられることになり、アシスタントマネージャーにまでなった。
仕事は楽だし、もうこのままでいいやと思っていたときに、手相を見てもらったら、このまま終わらなくて大きな次がある、と言われたそうだ。

「せっかく楽になれたのに、もうたくさんだよぅ」

そこ。
そこなのだ。
望まない(表面の私が)未来を突きつけられたときの、そのイヤーな気持ち。
決めるのは自分だ。
けれども、いったんそういわれたら、そうなるほうが「正しい」のではないかという思いもあって、それもまた私を嫌な気持ちにさせる。

先のことを、知りたい気持ち。
確実に幸せになれる近道を知りたい気持ち。
それは多かれ少なかれ誰にでもあるのではないか。
けして失敗のない、生きかた。
壁にぶち当たったら、どうしたらいいか教えてくれる人がいる。
それは素敵なことに見えるし、そういうことが必要な時期もあるだろう。

しかし、
半世紀あまり生きてきて、結局、失敗も間違いもないのだとわかる。
我が身に起きたことも、起きなかったことも、それでよかった。
ものごとを、失敗にするのもしないのも自分しだいであって
だから「正しさ」を求めて自分以外のものに答えをさがすのは、ちょっと違うんじゃないかと思う。

それがわかっていて、
それでも誰かがリーディングを受けたと聞くと、
自分に都合のいい未来しか受け入れたくないくせに、
失敗も間違いもあるはずがないと知っているくせに、
何が正しいか、今自分は正しい道にいるのか、
そんな「正しさ」など意味がないのだと知っているのに、
私の心の、ある一部分が、うずうずとうずくのである。



 



イースター

2019-04-24 03:17:33 | 日記
日曜日は、イースターだった。
日本人で、無宗教の私にはいつまでたっても馴染めない祝日のひとつ。
でもそこは、これまた日本人だから、
なんのこだわりもなく、まわりに合わせて楽しめる。
お寺の経営する幼稚園に行き、カソリックの中学高校に行き、
神社で賽銭投げたあとで、お寺に寄って墓参りをし、クリスマスにパーティした数日後に初詣に行く。
私はこんなふうにこだわりがなく、いいとこ取りできてしまう日本人を愛してやまない。
無節操といわれようが、日本人でよかったと思う。

イースターはカラリと晴れた。
4月になって、庭の緑が一段と濃いような。
アガパンサス
この花が咲き出すと、ハワイももう夏が近い。
いんげん
庭の一角に夫の両親が蒔いた、いんげん。
ジャックと豆の木か、というぐらいの勢いでみるみる成長して、
食べきれないほどの実をつけた。
小鳥のお墓
白い薔薇がおいてあるところは、小鳥のお墓。
猫たちを庭に出したら、死んでいた小鳥をみつけて持ってきた。
てのひらにすっぽり入る大きさの、とてもかわいらしい鳥。
背中はうぐいす色、おなかはオレンジ、首のあたりはクリーム色で、
赤いくちばし。
家を建てたときに、できるだけ窓をたくさん造ったのはいいけれど、
ガラスには空が映るから、鳥が激突してしまう。
数羽の小鳥が、そうやって死んでしまった。
申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
土を掘って、お花と一緒に埋めて、薔薇をお供えした。


今年のイースターの食事は、どこへも行かずに家で家族だけで祝う。
早めの夕食の準備が、テーブルにできている。