太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

無限にあるジョーシキ

2022-09-20 08:20:26 | 日記
自分が常識だと思っていることが、必ずしも他の人もそう思っているとは限らない。
なんてことはみんな知っていると思うけど、1日に何百人という人に接している私は日々、その確信を深めている。


売り場に、バスケットに20個ぐらいのヘアクリップが入っており、$3.49と書かれたプライスカードが、ひとつついている。
ある女性が、そのバスケットごとレジスターに持ってきた。
「これを全部買うんですか?」
と私が聞くと、
「そうよ、だって$3.49でしょう。安いわーー!」
そのとき、同じことが何年も前にあったことを思い出した。
「ひとつ$3,49だけど、わかってます?」
「えーーーー!!!!」
女性は、ものすごく驚いた。
「これ全部で$3,49でしょう?」
「いえ、ひとつ$3.49です」
「だって、ここに書いてあるじゃないの」

以前に同じことがあったときは、その人の常識の欠如に驚いたけれど、今は
(そういうふうに考える人もいるのだな)と思うに留めている。
私の常識から外れた人を批判することに疑問も感じるようになったし、そういう気持ちになることに辟易してきた。

私だって人に驚かれるようなことをさんざんやってきた。今でも気づかないだけで、どうしてそうなるの?ということを信じて疑わないでいるに違いない。

喉が渇いたからミネラルウォーターが欲しいという子供に、
「水なんか味のないものより、ソーダのほうがおいしいからこっちにしな」
と言ってコーラを買い与える親。
お金を払う前に、チップスの袋を開けて食べてしまう大人。
なんて親だ、だらしのない大人だ、と見下すのは簡単だが、そう思ったあとは必ず胸に黒い煙が残る。

(この人はそういうふうに育てられて大人になったんだな)

私とは違う常識をもっているだけなのだと思って、さらりと流せば、心は平安。
水よりソーダを与えられている子供が将来どうなろうと、それはその親と子供の問題であり、私には関係がない。
私は自分の子供には水を与えればいいだけであり、そもそも私には子供がいないのだから、ますます関係がない。


昔、前の夫が、観光地の店内でソフトクリームを食べながら品物を見ている人たちを
「なんて常識のない奴らなんだ。恥ずかしい。しかも子連れだぜ」
と罵り、ここにもいる、あそこにもいる、と探しては批判していたことを思い出す。
怒る相手に引きずられるように私も同調していたけれど、あれから四半世紀、私もいくらか人生経験を重ねてきた。
大人になっても、人は学べるものなのである。