太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

長いお別れ

2022-12-15 08:00:13 | 日記
中島京子さん著「長いお別れ」
中学の教師を経て、中学校の校長を歴任した東昇平がアルツハイマー型認知症になり、本人と家族のバタバタを描いた物語。
軽快でさばさばと描かれているので、重い悲壮感はそれほどない。
けれど、私の両親が存命中にはけして読めなかった類の小説だ。



私の父は83まで毎日会社に行き、そのあと骨折や肺炎で入院したときに一時的にせん妄状態になり、手術のあとでリハビリ施設にいたときには完全に自分で作った世界で生きていた。
会いに行くと、昨日は誰々と山を歩いてきただとかいった話を楽しそうに聞かせてくれた。
そしていつも、食事の代金をずっと払っていないから、お金を置いていってくれという。
もう全部最初に支払ってあるから心配しなくていいんだよ、と言っても、次に行った時にはまたお金の心配をする。

母は病気と、薬の副作用もあって、幻覚をよくみていたけれど、それ以外はわりとしっかりしていた。
何を恐れていたといって、祖母のように家族のことがわからなくなってしまうのが怖かった。だから両親とも、最後まで娘のことを忘れないでいてくれたことは幸せなことだったと思う。


小説の題名の「長いお別れ」は、主人公の孫が通うアメリカの学校の校長が、祖父が亡くなるまでの話を聞いて、言った言葉だ。ゆっくりお別れができてよかったね、と。
心の準備もなく、突然いなくなってしまうのはたまらなく辛い。
けれども、長いお別れのその過程には、また別の辛さがある。
私たちを常に庇護してくれていた人たちが、少しずつ、いろんなことができなくなっていくのを目の当たりにするやるせなさ。
同居していた姉が、親に対してついキツイ態度になってしまうのも無理はないと思う。

母が父の世話をできなくなって、父をリハビリ施設から直接グループホームに託すことに、最初は罪悪感があったのだけれど、後になってみれば、それでよかったと思っている。
姉が奔走し、いくつもの施設を見学して決めた所が、家から徒歩1分で、ほんとうに温かいケアをしてくれる施設であったこと。
姉家族が、日々の小さな衝突やいざこざにイライラしなくてすむようになったこと。
家族よりも優しくしてくれる人たちに囲まれていること。
親も私たちも、離れていることで互いに穏やかに接することができること。


年齢に比べて快活で元気なことが自慢だった父が、亡くなる数日前に私と夫がグループホームを訪れた時に、
「おれも年とったなあ、って思う」
と初めて弱音を吐いた。
パンデミック最中で、母に2年以上会えないまま母は逝ってしまったので、最後に母が何を思っていたのかわからない。
母が亡くなってしばらくして、姉が言った。
「最近、よくおかあさんのことを思い出したり考えたりするんだよ。私にも人間らしい気持ちがあったんだって安心した」
姉は姉で自分を責め続け、近くにいすぎることが辛かったのだ。

長いお別れができたことは、両親にとって幸せだったろうか。