太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

永遠に叶わない恋のようなもの

2023-07-06 06:55:23 | 日記
海の浅瀬に立ち、ふと思う。
私にとって水は、永遠に叶わない恋のようなものだ。


海で、私が平常心でいられる深さは、太ももの半分まで。
腰までの深さになると、波が来た時に胸あたりまで水がくるからダメ。
シュノーケルは、海底が見えなければだめだ。
ハワイ島のハプナビーチのように、ひたすら水が澄んでいて、かつ、明るく、海底が平らで、でかい水槽のようなところだったら、何の恐れもなく楽しめる。
だが大抵、海底に岩がごつごつあって、深いところが暗くて見えなくて、背筋がぞわぞわしてくる。
なるべく下を見ないで、早くその場を離れようとする。
潜っている間は、夫の水着のウェストをしっかり掴んで離さないのだが、夫が、「あそこに魚がいる」と指さして教えてくれても、ただもう浅い所に移動したいから、「あーそうだね」と見たふりをしている始末。


では何故、海に行ったり、シュノーケルなどをするのかといえば、激しい憧れがあるからだ。
どこまでも泳げたら、どんなにいいだろう。魚のように水の中を自由に泳いだら、どんなに楽しいだろう。
しかし私は、深さが怖い。
溺れたことがあるのなら、わかる。けれど、私は水で怖い思いをしたことがないのに、やたらと怖い。
潜在意識では、過去世の記憶としてあるのかもしれないが、今世では理由のみつからない恐怖が、水なのである。

泳げないのだと私が言うと、ある友人が言った。

「なんで泳げないのかわからない。私は物心ついたときには自然に泳げたよ」

泳げる人には、泳げない人の気持ちはわからない。泳げない人は、なぜ泳げないのかがわからない。
二十代の頃、市民プールで水泳教室の生徒募集の抽選があった。私は泳げるようになりたくて申し込んだのだが、抽選の確率を上げようと、母も申し込んだら、二人とも当たってしまって二人で通うことになった。
母は運動神経全般が良く、水泳など習う必要はなかったのだけれど。
結局、そこでも私は泳げるようにはならなかった。「おかしいねえ、なんで泳げないのかねぇ」と母が言った。

夫も、生まれつきのウォーターパーソンで、トライアスロンもやっていたし、夜の海に潜って、家みたいに大きなマンタレイを見たこともあるという。夜の海だなんて、正気の沙汰か・・・・・

船が嫌いなのは、船酔いするからだけじゃない。水の上で遭難だなんて、飛行機でひと思いにいくほうが、まだしもである。
最近みた、インディアナ ジョーンズ最新最後の映画の中で、海に潜るシーンがあった。私はすぐに映画や小説の中に自分を入れ込んでしまうので、お尻がムズムズしてくる。

夫にとって泳いだり潜ったりは、自転車に乗るように簡単なことなのだろう。
ハワイに来て最初の数年は、私に泳ぎを教えようとしていたけれど、匙を投げたようだ。
泳げるようになりたいと言葉では言いながら、私の本心では泳ぎたくないのだと、私は思う。だからきっと私は生涯泳げないまま。

ついでに言うと、私は洞窟も怖い。
整備された鍾乳洞は大丈夫だけれど、できればパスしたい。
なにが恐怖映画といって、深い洞窟に入り、出られなくなってしまう映画ほど怖いものはない。
私はいったい、どんな悲惨な過去世があったのか・・・・


海に入りたいのに海が怖い。
海が怖いのに、海に入りたい。そんな私が海に囲まれた小さな島に住んでいるとは皮肉なことである。
幸運なのは、私向きの遠浅のビーチが近くにあることで、海は一生、ここだけでいいと思っている。